人生で一番の予祝。 | 美塾塾長 内田裕士オフィシャルブログ「人のために美しく生きる」Powered by Ameba

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2008年2月11日。 



僕は飛行機で空の上にいました。 



母と初めての2人旅行で台湾へ。
ほんの少しの仕事を口実に…。



行きの機内で
初めての息子との海外旅行に
はしゃぐ母が言いました。


「ね!ひろし♫
   目標設定しよ!」


当時僕は日頃から、
必ずと言っていいほど実現しない
目標設定が大キライでした。


息子に「目標設定しよ!」


ってどんな母よ…
と思いましたが、

なぜかこの時は気乗りがして
やってみることにしました。


美塾3年目。
当時は東京拠点で、
大阪神戸のスタートがうまくいき、


ようやく軌道に乗りかけていた時でした。


さて、
これから・・・



創業の時に掲げた理念、


「らしさが美しいを文化に…。」


を、ノートの一番上に書きました。


これを実現すべく、
毎日を生きていましたが、


これってつまり
なんのことだろう?


美塾が何をしたら
この理念は果たされるのか?
考えました…。



「…あ!ぴらめいた!
  全ての街に美塾
   があればいいんだ!」


と思いました。 


そして女の子が年頃になったら、
お母さんが


「あなたもそろそろ美塾に行く頃ね。」


「やったーー!
月謝はママが出してくれるんでしょ?!」 


「もちろん!ただし中級まではね!
上級からは自分で支払うっていう決まりだから、お小遣い貯めて自分で行きなさいよ!」


「もちろん!やったーー!」



なんていう会話が
全国で繰り広げられるのです。




ふんふん。いいぞいいぞ。




さて?

あらゆる街にあるもの…



 

・・・あ!公文式じゃん!





そこでノートの

「らしさが美しいを文化に…。」

の一段下に、


「メイク業界の公文式になる!」


と書きました。


おぉーーーっ!


見えてきた!見えてきた!


当時、公文式は55周年で、
国内27000教室、世界18000教室
とありました。


これを
美塾55周年
で果たせばいいのか!



2060年   僕81歳…。


生きてそうだな…。


そこから掘り下げる形で、



2039年
60歳で引退して、世界中の美塾を回り、
ファンデーションのついた
美塾講師の手を
「これがええ。これがええ。」
と握って感謝を伝える。
 (それができるほどの組織を構築している。)

※本田宗一郎さんが
引退後、感謝を伝えるため、
世界中のホンダや町工場を
回っていた際、
本田さんと握手をしたくて
油まみれの手を洗おうとした工場長に
「そのままがええ。」
とその汚れたままの手を握り、
「ありがとうありがとう。」と伝え、
工場長が涙したというエピソードを
僕も再現したい! 


2029年
50歳で講師が講師を
育てられるようになっていて、
広まる仕組みが確立している。


2019年
40歳
海外進出



などと、どんどん書けたのです。


そして、


2009年
30歳
僕以外の美塾講師誕生


と書きました。


このヴィジョンを叶えるには、
来年には美塾講師が誕生していないと
間に合わないことが分かったのです。


おぉ!!ということは、
今年中に講師養成を始めなくては
間に合わない!!


なんか見えてきたぞ!!


と今年やるべきことまで
ノートに書き留めて、


よっしゃーー!


と母を見たら、


ほとんど何も
書かれていないノートに
突っ伏して
寝ていました…。


飛行機でうつぶせ…。






台湾のホテルに到着すると


「ね!街を散策しよ!」


とはしゃぐ母が言うので、

恋人かよ…と思いながらも、
街に出ました。


すると、
街に出た途端、
1人のおばあちゃんがトコトコと、
僕たち目がけて歩いてきたのです。


そのおばあちゃんに、
僕たちはりつきました。


なぜなら、
亡くなった
祖母にそっくり
だったのです。




しかも、
2007年2月11日
が祖母の命日で、

この日は祖母の
ちょうど一周忌だったのです。

そのおばあちゃんは、

「日本の方ですか?」

と僕たちに話しかけ、
そこから他愛のない世間話をして、
2,3分で立ち去っていきました。



おばあちゃんを見送って、
見えなくなるや否や、
ぼくと母は目を見合わせて、



「おばあちゃんだよね?」



と同時に言いました。
そのくらい明らかだったのです。





ぼくはその時、

「ひろしちゃんが飛行機で立てた目標は
   合ってるよ。」

と祖母が知らせるために、
来てくれたのだと思いました。


何故なら、そのおばあちゃんは

ずっと笑顔だったから…。






そこから、
2008年に
講師養成クラスが始まりました。


その関東クラスに
仙台美塾講師

Shingo Kawamura makeup style

SAKUKO STYLE



関西クラスには

大阪美塾講師
SADA TOMOMI

鶴橋美塾講師
伊藤由美

福岡美塾講師

あべの美塾講師


たちがいました。



初めての講師養成は、
それはそれは壮絶でしたが、
なんとか形にしてまいりました。




そんなある日。



3月に卒業するまで
教室は開いてはいけない
って言ってるのに、
(当時はそういう決まりでした。)


佐佐木順子が、

「体験レッスンをやることにしたのですが、
  人数が集まりすぎて不安
   なので塾長、仙台まで
   来ていただけないでしょうか?」



と言うので、


思いがけず、
教え子のアシスタントに
入ることになりました。




その日がなんと、
2009年2月11日
だったのです。



体験レッスン当日。


冒頭に佐佐木から、


「それでは美塾の創始者で
    いらっしゃいます、
    内田塾長がお越しですので、
    ご挨拶をお願いします。」


と紹介がありました。


僕は感慨深い想いこそありましたが、

    (順子さんに恥を
     かかせないようにしなきゃ。)

という緊張感が先行して、
さほど感動も興奮もしていない状態で、
21名様の前に立ち、

こう話し始めました。


「皆さま、ようこそお越しくださいました。
    今日は佐佐木の
    初めてのレッスンでございます。

    僕の初めてのお教室には母がおりました。

    今日は順子さんにとって、僕でいう
    母のように大切な…人、たち、が…?」



頬に涙がつたっている感覚で、
僕は自分が泣いていることを知りました。


「あれ?  僕、泣いてますね…?」


と前列の生徒様に聞いたくらいです。


そこから涙が溢れて溢れて
たまりませんでした。

なんとか挨拶を終えて、
逃げかえるように後ろの席に座り、

拭いても拭いても
止まるどころか


一層激しく流れ続ける涙。


あっという間に着ていたシャツが
ビショビショになる中、


僕はこの涙の意味を知っていました。

哲学者の師匠が教えてくれた涙。



感情の特定できない涙


さらさらと流れが速い涙


人生の根幹に響く涙



これは、
感動でした。



僕は僕が思っている遥か以上に、
美塾講師の誕生を喜んでいたのです。


嬉しかったのです。


僕の魂が待ち望んでいたのです。



僕の魂が感動していることを、
初めて味わった日でした…。








あのノートを書いて10年。
あそこに書かれたほとんど全てが
叶っています。

2019年の今では
美塾講師が38名となりました。


一昨年より、
海外で美塾が開催されています。
1年前倒しでの実現です。


そして、
いたことはいましたが、
その叶った世界の中で、


自分はどんなに幸せで
どんな感情で生きているかは、



全く予想を上回る、
とてつもないものでした。



こんなに人間って
びやかさやせを感じて
生きられるものなんだ! 


こんなにも、
人との繋がり
尊くて生々しいものなんだ。


家族とはこんなにも愛おしく、
そして努めて構築しなくては
そのおしさ
得られないものなんだ、


など、
そういったことを
感じさせていただく毎日です。



今思えば、


あの母との飛行機で立てた
目標というかヴィジョンが、


予祝となり、


現実となったのです。





喜べば
喜びごとが喜んで、
喜ぶところへ舞い込んで、
共に喜ぶ予祝かな






予祝とは、
未来をそう見立てて、
その見立てた未来に
喜んで生きること。


らしさが美しいも
見立てから始まりました。



その見立てから13年。
今、こうして、

美しい「らしさ」が
日本中に広がっております。
あの時には無かった景色です。


かつてシャネルが、
女性をコルセットから
解放したように、



今まさに、
女性が囚われの美から解放され、



らしさを思う存分味わって
それはそれはとても幸せそうに
人生を謳歌しています。




今生、私たちは
あなたらしさを、
世界中に広げることでしょう。




そして、
現代の人々が、
つい100年前まで
コルセットで身体を拘束していた
女性たちを

昔話だと笑うように、



100年後、
かつて女性たちは、
自らの特徴を
コンプレックスと捉え、

誰にでも訪れる
エイジングに悩み、

それを補うことに終始していたことを、

人々は昔話だと
笑うことでしょう。




すでに
私たちの周りには
らしさがあふれていますが、
もっと遠くを見渡せば、


まだまだ自分を否定している人は
数えきれないほどいらっしゃいます。





生きている間に、


らしさが美しい 


 を文化にします。






必ずやります。


やり遂げる前に僕が死んでも、


仲間がやってくれます。





志は死なないんです(^∀^)







そう考えると、



×予祝



が未来を創る最強方程式だと
思いました。















その
2009年2月11日から、


ちょうど10年経った、
2019年2月11日の出来事は…





また後ほど
書かせていただきますね。