たまに感じること。 | 適当に。

適当に。

思いついたこと。
思いまま適当に書いていきます。

すこし前に療育の見学に行ったときのこと。

子供の困った行動がどうして起こるのか。
それには何が効果的だとか対処方法を先生が話してくれるのをみんな真剣に頷きながら聞いてた。

思った事は堪えきれなくてすぐ動作にうつっちゃうって話をしたら、これから療育で抑えていくのももちろんだけどもそれができるまでは物理的に危ないから重たい荷物を背負ってもらうとか。
たとえば中身は2リットルのペットボトルを何本だとか。

何度危ないからと説明してわかってるよと返事を聞いても飛び出して出て行ってしまう、車が駐車した途端ドアをガチャガチャ開けて出て行こうとする、チャイルドロックはかけてるけどこちらがドアを開けたとたんに1人目的地へ向かってしまう(しかも本人予想だから違う方向へ)ので慌てて捕まえる、会計の間に居なくなるなんて事が多くて、その方法に「あぁ!そうか!」ってものすごく納得した。
だって脳でわかってても動きが止められないなら物理的に走れないようにするしかないんだもんね。

その事を子供が飛び出すの怖いよねって幼稚園のお母さんと話してたときに話してみて鼻で笑われた。「そんなことしなくても(笑)」って。

きっと子供用ハーネスを犬みたいで可哀想って言う人と使う人ととの差のようなものかな。

その人が笑ったこの方法はうちの子には命を守る方法で私は真剣なんだけど、周りにはふざけた対応に見えるよね。

周りから見たら当たり前のことをもっと噛み砕いて、もっと根本から見直して分かりやすくして、サポートして… 
当たり前のことをもっともっと細かく分類して褒めたり無視したり意識そらしたり、で危ない時だけは叱ってって。

もういい歳なんやからできるでしょなんてのは通じない。
小さい子に言うみたいにもうすぐ三年生になる娘や小学生になる息子にいわないといけない。


周りの人は大変やね、出来ることあったら言ってねって親切に声かけてくれる。
でも、その鼻で笑われた時のような些細な事が日々すこしずつあってそれが蓄積されていって苦しくなる。

鼻で笑われるようなことをしないと周りと同じようにはできない、そんな子に産んでしまった事。
人の何倍もやさしい問題をこなさないとついていけない子にしてしまった事。
当たり前の事が当たり前にはいかない事ばかりで苦しい思いをさせてる事。

それがズシンとのしかかる。