本日はサラリーマン時代から経営者になるまでを全て暴露します、
賛否あると思うけど、
見たい人のみ読んでください、
では、本題に、
広島市安佐南区の沼田高校を卒業して、
1人大阪の桃山学院へ旅立った、18歳
比較的豊かな普通の家庭で育って、
大学まで行かせてもらったことには親には今でも感謝を、
そこでは、学外活動ではJLCA日本ライフセービング協会のライセンスを取得して【大阪ライフセービングクラブ】に加盟し、和歌山県の磯の浦海水浴場、京都府の八丁浜でボランティア活動をしたり、
昼は大学生、夜から朝は【高級クラブ】でボーイとして働くアンダーグラウンドな仕事バイトを
そして、22歳で一部上場の大手の美容メーカーへ入社して、
馬車馬の如く働き、高速道路で居眠り運転をし、事故で死に直面するような体験をし、うつ病になって退職する経験をし、
その後、地元広島の広告会社で5年キャリアを構築し、
倒産するということで、給与カットやインセンティブを踏んだくられて、
29歳で、同じく広告会社として創業、独立を果たしました、
この記事を書いたのは、
Instagramでフォローしている、
【竹花貴騎takaki takehana】さんの
ストーリーを見て、
記事を書いています、
20代で会社を始めた時
1人でスタートしました。
当時は仕事もあって忙しくさせてもらっていたのですが、
営業から制作、請求、入金チェックまで全て自分でやっていました。
理念もなく、忙しく働いて収益を得ることが目的で幸せと考えていたので、
途中でそれをやっている自分が虚しくなり、
少しメンタルを壊すことが起こりました。
そうした中で気分の浮き沈みが出たり、アルコール中毒になり、
自分が作った会社を約8ヶ月で休眠することになりました。
その後サラリーマン生活をするのですが、
やはりいちど経営者になってサラリーマン生活をすることの屈辱や理不尽さを味わうことが多くなり、
お世話になった会社を退職し、また休眠させている会社を2014年の年明けから復活させることになりました。
その時には幼なじみの同級生の女の子をパートナーとし、一緒にスタートです。
そこからは、少しずつ成長していったのですが、
竹花さんの書いてるようなことがやはり起こったのです。
一緒にやっていこうと思っていた人が辞めていったり、情報を持ち出したり、
全く働かず給与だけ取るようなったり
懇願されて入社したものの、裏切られたり、
自分でゼロから作り上げた会社を経営していく上で、本当に傷つくことがたくさんあります。
でもそれを真面目に受け入れていれば、今のような10周年も続くような会社はできていなかったと思います。
伝統的で老舗の会社であれば、そんな事は常にあったり、引き継いだ会社であるから、そんなに悩むこともないと思うのですが、
自分の思いで作り上げた会社をやっていく上、ダイレクトに従業員がそうなると本当に心の傷はダイレクトに届きます
過去30人は辞めていき、
今は4人です、
でも、そうなる事に自分にも足りないものがあるんじゃないかと考えてたりとかもあったり、
反省もしてたのですが、
そればかりだと自己肯定感も正直下がっていきます、
この写真に出ているように、経営者は馬鹿であり、
何が起こっても常にポジティブで前向きに進んでいくことしか選択をしてはいけないなと思う今日この頃です。
2023年も楽しみな1年に皆さんしていきましょう。
コロナで日本が景気がと言うけど、自分自身は常にハッピーで景気の良い会社と自分を推進していこう、