「パパが日本語で話したり時には英語で話したり、
或いは複数の言語を混ぜて話したりしては絶対にいけない」
実際の成功例をたくさんドイツで見たので、
このことを採用する事にした。…続きです
それ以来、
日本に住んでいないのに息子は日本語を上手に喋るようになり、
日本の家族が感心するようになった。
話が少し戻るが、以前、外国人からこういう話を聞いて気になった事がある。
それは、
日本人が自分を示す時に鼻に指を当てる事を「非常に幼稚に見える」という話題である。
これは「自分をどこにあると思っているか」についての本能的な行為なのだろうか。
それとも、やはり後天的に誰かから教えられたものなのだろうか。
実は、息子がパパとママを言えるようになった頃の話である。
パパ、ママと発音していても、
教えたかった意味が通じていなかった。
どういうことかと言うと、
家内は自分全体を見せて、胸のあたりを指差して「ママ」と教えていた。
私は無意識のうちに自分の鼻を子供の指で触らせて「パパ」と教えた。
すると、息子は誰かを呼びとめるときママと言うようになった。ママ=人。
そして自分の鼻を指差してパパと言った。パパ=鼻。
息子は、自分の存在が鼻にあるとは思っていないようだった。
やはり日本人が自分を示すのに鼻を指さすのは本能でそうしているのではないように思う。
こんなことを考えたのは、
言語を教えるのは、
こういう文化の違いを刷り込むのと同じ事であり、
そういう文化の特質を吟味せずにただ刷り込んでしまって良いものだろうか
という疑問が出てきたからである。
それは日本語についての次のような気づきにも繋がっていった。
【続く】