15. 未来の架け橋/グローバルシティズン | Bokensdorfのブログ

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国際結婚から考えた「隠れた構造・隠れた文化」について
加えて「世の中の仕組みは実はこうなっている」について書きます

■ グローバルシティズン


民族がひとつ、と書いたが、
「民族」は日本人の間で誤解されている事が多いと思う言葉のひとつである。

「民族」とは何を指すのか?

単一民族幻想が日本にはあるが、
そう言うときの「民族」とは race という意味で発言しているように聞こえる。

実際、「民族」を単純に race とだけ訳している和英辞書まである。

しかし民族を人種と同じ意味だとするなら、
日本は単一民族と言うのは事実と違う。


永住している外国人もいる。
日本国籍を取った外国人もいる。
国際結婚の子供達もいる。


日本が単一人種で構成されている筈はない。

そもそも単一の人種に属する人間などと言うものが存在するのか。


英語で「民族」は何と言うか。
(一対一で言葉があてはまる訳ではないのを承知の前提で言うが)
民族は英語でpeople である。


例えばGermanic Peoples【複数形】は「ゲルマン民族」である。

ドイツ語でpeopleVolk だが、
Fest der Volker は「民族の祭典」である。

「日本人は~」と言うとき英訳は The Japanese people are ~ . と言う。

つまり日本人とは「日本の人々」という言葉で表わされている。

とすると、
日本人を国籍で限定しているのでは無く、
肌や髪の毛や瞳の色で区別しているのでも無いことが伺い知れる。
何故なら
People とはそもそもその地域に住んで似たような価値観を共有している人々というような緩いつながりを指すものだからだ。

そしてそれが民族の意味である。

日本というコミュニティに共存しているのなら、
その人を日本人と呼んで何が間違っているだろう。


アメリカ人の事はそのように理解している筈なのに日本人だと違うというのは何かおかしくないだろうか。

日本の民族が人種で限定されるものではない事は既に示した。

それでは日本人を定義するものは何だろうか。


繰り返し書いてきたが、
その国の人々の特徴は
その国の自然環境による影響を受けつつ
教育という人為的な行為によって
作り上げられて行くものである。

生まれつきの遺伝子情報が国ごとの人格を作るのではない。

「親が外国人だったら日本人らしさなどというものは初めから備わる事が無理な話」では無いし、
「黄色人種じゃなければ日本人ではない」でも無い。

国籍の意味が薄れるのと同時に、
○○人という区別も輪郭が曖昧になって行く。


いずれ地球人が一つの民族として考えられるようになるだろう。


【続く】

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