地球にはいろいろな自然環境があり、
いろいろな言語があり、
いろいろな文化がある。
それぞれが個性を持った美しいものだ。
優劣や美醜や善悪をひとつの物差しで測るべきものではない。
日本人らしさを誇りにする事も大事なことだが
日本が絶対的に一番素晴らしいなどというものは実は何もないという事も理解するべきだと思う。
紅葉だって日本だけにあるものではない。
松林の風情も日本だけにあるものではない。
四季折々の自然の美しさも日本だけにあるものではない。
みな、それぞれに美しい自然があるのである。
外国人との結婚によって、大きな視野を幸運にも得ることができたと思う。
このことは感謝したい気持ちが一杯だ。
同時に、国と言う立場を離れて、グローバルな立場からの物の見方も教わった。
自分の育った国を外から見ると、
今まで見えなかったこともたくさん見えてくる。
家族の故郷が一つではない国際結婚の家庭には、
どこの場所も故郷では無く、
同時にどこの場所にも故郷があるような感覚がいつの間にか生まれてくる。
国に帰れない淋しさもあるし、
今いるところが自分の故郷だから淋しくもない、
という気持ちもする。
自分が日本人である、という意識は薄れてきた。
染み着いた行動規範は消え去りはしないが、
それが唯一価値のあるものだとはもう思えない。
遠慮が美徳、
自己主張は災いのもと、
そんな価値観は唯一絶対の物ではない。
自国の文化をバックボーンに持たずに国際人になる事はできない、
という意見を聞いたことが何度もあるが、
今の私にはそうは思えない。
それは日本を代表する使命を持った人たちが海外に出て日本の事をいろいろ質問された時に日本の伝統文化について何も説明できなかった事のただの反省のように聞こえる。
大事なのはそういう事でない。
私達はグローバルシティズンなのだ。
国境を超えるのにパスポートはもういらない。
世界が狭くなるという事は自分が直接関わる世界が広がるという事だ。
私達の住処はもう孤立することはできない。
この世界の様々な事はすべて自分と繋がりがある。
個人の力が世界を変えて行く事だってあるだろう。
間違った方向にこの世界が進まないように、
常に正しく判断できるように、
意識を高く持ち続けよう。
いつでも外界にアラートでいよう。
しばらくのドイツ生活だったが、ドイツを離れる時が来た。
中国に転勤する事になったからだ。
息子を最後の保育園に迎えに行った。
いろんな国の子供が息子と遊んでいる。
一番仲の良かったのはスペイン人の男の子。
金髪の女の子もいる。
トルコ系の男の子もいる。
イタリア系の子供もロシア系の子供もいる。
今日が最後と知らずに「明日またね」と息子は手を振った。
君たちはみんなグローバルシティズンだ。
いつかまた、今日のように仲良く会える日が来るだろう。
国籍が違っても理解し合える平和な未来の架け橋になって欲しい、
と願わずにいられなかった。
【15章終わり】
国籍が違ってもお友達
ドイツのキンダーガーテン