物事には必ず終わりがつきものだが、本を読むことは終わりが見えない唯一の事柄だと信じている。 | 星よりも大きく、星よりも多くの本を収納する本棚

星よりも大きく、星よりも多くの本を収納する本棚

9年間の海外古典ミステリ読破に終止符を打ちました。

これからは国内外の多々ジャンルに飛び込みます。




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本日でブログ開設3周年を迎えましたー!!! イェーイ! パフパフー(*^o^)乂(^-^*)

  
 
いやー、正直ここまで続けられるとは思いませんでした。海外古典推理小説1本で行くなんてそのうちネタ尽きて終了するかもと密かに思っていたのにそんなの風に吹かれて消え去った←
今や、海外古典推理小説から文学、自作の推理小説から、コミックに便乗したまだ始まってもいない計画で古典文学まで統一性のない、とにかく本を読みまくる! がモットーに節操のないブログになりつつありますが、たくさんの本を読んで感想を書いて、それを読んで少しでも「面白そう」「ちょっと読んでみようかな」と思ってくれるだけでそれだけでこのブログの価値があります。
 
 
序で読む本尽きるかも……と書きましたが、海外推理小説以外を読んでいる時にふと気がついたことがあります。
本を読むことに終わりはない。ということに。
今日は減少しつつもたくさんの本が雑誌がコミックが刷られて本屋に並んでいます。媒体は紙に留まらず、電子書籍にアーカイブまで及び多様性を見せています。
 
 
印刷数は減りつつある。しかし本屋に行けば毎回毎回違う物語が目につくところに置かれている気がする。
「こないだはこんな表紙のものはなかった」 
「こないだここにあったあの本はどこに行ったんだろう? あ、あんなところに」
「そうか、いまこのシリーズはキャンペーン中なのか……」
本屋に行くと毎回違う物語と表紙と顔を合わせる。
本屋を出る時に抱く感想は毎回違う。
 
 
つまりなにが言いたいかと言うと……印刷数は減っても物語の数は毎日毎日増えている。ということです。
当然です。人間は創造の生き物です。感情を抱く生き物です。「話した」言葉はいつか消えて忘れられますが、「書いた」言葉は消えることはありません。それを留める術を知れば。紙は朽ちますが、電子書籍やアーカイブにして電子化すれば万事解決。人間は「書いた」言葉を半永久に留める術を得ました。
 
 
物語は、随筆は、評論は考える人間がいる限り、数は増える一方です。そして21世紀の今、それを半永久的に形を残す術を得た。その2つが組み合わせることで得られる結論は1つ。その本を目にする機会が増え、本を読む数は多くなる。
 
 
紙媒体は絶版されると古本屋を辿らなければならないが、電子書籍化すれば若い世代が目にする機会があるかもしれない。そして目にする機会が増えれば必然的に多くの人の興味を引くかもしれない。また最近は温故知新というのか古典文学の復刻版が多くなり、紙、電子書籍両方で古典文学を楽しめるようになった。
 
 
ドラマがあり、人間的魅力があり、様々な論争が繰り広げられ、多様な考えが書かれたその本たちをーーー読まないなんてもったいないと思いませんか?
 
 
 
 
 
本ブログに話を戻して。
もしカー、アシモフ、エラリーを読みつくしたら、その後ろにクロフツが待っています。
その後ろにはホックが、フィルポッツが、チャンドラーが、レックス・スタウトが控えています。アン・ペリーも読みたいし、北欧ミステリだって忘れていない。法廷ミステリなんて難しいけどガードナーも気になるし、怖いけどコーネル・ウールリッチ&ウィリアム・アイリッシュにも会ってみたい。
海外古典推理小説を読みつくしたらP・D・ジェイムズ、ピーター・ラヴゼイを読んでみたい。J・K・ローリングも気になるし、シーラッハも外せない。推理小説でないけどケン・フォレット、フィリップ・K・ディックにハインライン、クラーク、ファンタジーも古典も洋の東西問わずーーーこれら全て読み切れないでこのブログは終わらせない!
 
 
わたしはいつも新しい本を待っている!
新しい本を読んでいる最中にももう次の本のことを考えている! 次はどんな話だろう、どんなキャラクターが出てくるのか、どんなキャラクターに恋愛フラグが立つか←、手がかりはどこにあるのか、主人公は彼は彼女はなにを言いたいのかーーー
いつもそんなことを考えている! 頭の中がそういった過去の作品、過去の中に未だ存在するキャラクターによって自分もその中に引きずり込まれる。それのなんと不思議なことか! 本を読む時、考える時、わたしは常にその本の世界にいる! わたしはいつも新しい世界を待っている!
 
 
 
 
 
……そんなわけで(コホン)。
本を読むことはいつしか終わりが付き物の世の理から1番遠くにある気がします。というか終わりが見える気がしないのです。ずっとずっと先のことのような気がします。
終わりが見えたとしてもそれは読む本が変わるだけ。「本を読む」こと自体は終わりじゃない。
人類はそれこそ世界が滅びるまで本を読んでいると思います。紙でなくなっても電子化になってもそれ以外になっても。
本を読むことは飽くなき、終わりなき探求だと信じています。
 
 
長々語ってしまいましたが(終わり間近で暴走しましたが←)去年の5月30日から今年の5月29日現在まで149冊の本を読み、本ブログで累計400冊の本を紹介して参りました。これからも推理小説のお時間をよろしくお願いしますm(_ _)m