鬱ってなんだろう? | 愛こそがチカラ!極道から僧侶へ・密教僧侶ヒーラー正仙

鬱ってなんだろう?

最近、自分が鬱である事を訴える人が溢れんばかりに多い事に気付かされる事が度々あります。


鬱の人を励まそうと、ポジティブシンキングよろしく「若いんだから元気だしてよ」とか、「とにかく前向きに頑張って!」とか善意からそうした声をかける時、当の本人はどう思うのでしょうか?


鬱の人にとってそうした言葉も、その状態によっては、ありがた迷惑はなはだしいものに感じているのかもしれません…。


鬱だという人は、他の話しは自信なさげでも、自分が鬱であり人生に疲れている事やODである事、自殺願望がある事など、わりとハッキリ自信に満ちているといって言いくらいに確信を持って話される方が多かったりもします。


でもこれと言うのも、外から冷徹に自分を眺める目線があるからこそ鬱である事がわかるわけで、ある面、鬱の人は、優秀な心理カウンセラーの資質さえあると言えるのかも知れません。


私は書店で見る積極思考を説く自己啓発書の様な内容を振り回すつもりはありません。


また別の機会に書きますが、欧米型の積極思考のプロセスは日本人にはそぐわない一面もあったりします。


もしこのブログを鬱で苦しんでいる人が読んでいるなら忘れて欲しくないものです。


子供の頃、親から酷い虐待を受けた過去があろうと、どれだけリストカットの傷があろうと、ODの常習者であろうと、自殺未遂の過去があろうと、現在引きこもりの登校拒否であろうとも…


本当のあなたの価値とはなんら関係のない事であり、あなたが光そのものである事を…


リストカットがたくさん身体に刻まれているからそれがどうしたと言うのでしょうか?


あなたが他の人が気づかない繊細な感覚のなかから、命の根源にぶつけた、問い掛けた勲章の数だと思えないでしょうか?


自殺未遂の過去があるから人生を逃避した過去が、行いが、前を向いて生きる気持ちを暗くさせる…それがどうかしたと言うのでしょうか?


それこそ自分の全存在を賭けて自分とはなんなのか?


人間として生きるとはなんなのか?


それは自分では気付いていなくとも、神に挑み問い掛けた聖なる軌跡ではないのでしょうか?


ODだからどうしたというのでしょうか?


生きる事への漠然とした恐れ、人間関係の恐れ、過去に受けた虐待からくる恐れ、ちっとも好転しない経済状況等…


そうした事から、たとえひと時でも薬によるトリップで逃れ様としたのかもしれしれませんが、社会の雑音から自分を感覚的にシャットアウトし、


見方転じれば、世俗との関わりを断ち、山奥で瞑想によりワンネスを体験している聖者と紙一重の…


優れた瞑想者になる素質がある事に気づかないでしょうか?


引きこもりだからなんだというのでしょうか?


それこそたとえゴミにまみれた四畳半一間に住んでいて希望が持てなくても…


自分の好きな事、情熱をもてる事を深く考える事のできる至福の時間にそれはなり得ないのでしょうか?


逆説的な表現を使いわかりづらいかもしれませんが…


また鬱というのは人が生きていく上であらゆる不安要素がリンクしているのも事実です。


けれども鬱の多くの人に見受けられるのは「鬱」というブランドにどっぷり浸かってしまっているという事でもあります。


自分自身の想い、自分自身の自分に対する定義(例えば私は鬱で抜けだす事ができないという様な想い)が自分自身の今の経験を支配し、そこに居る期間を決めている様な気がします。


それと他者のドラマを自分に反映させている方も多いと思います。鬱に関連したTV番組、鬱の知人の体験談、本etcそうした事はあなたの潜在意識にインプットされます。


知らず知らずの内に自分では気づかなくとも、そうしたインプットされた画像、知識が潜在意識から浮上し自分自身の鬱のプログラミングとして現れる場合もあるのではないでしょうか?


過去に受けた虐待が元で心に傷を負った人も、よく言われる「相手を許しなさい」という言葉も、肝心の自分自身が好きで許す事が出来ないのに相手を許せ様はずもありません。


はじめは心の片隅でもいいから思えないでしょうか?


「俺って案外いい奴だぜ…」


「あたしって結構イケルじゃん」


言葉はなんでもいい、あなた流で結構です。出来れば鏡の前で…


自分の身体を優しく触ってください。頬でも腕でも胸でも…


あなたがリストカットして身体を痛めつけ様と、薬物の大量摂取で臓器に多大な負担をかけ様と、あなたを守り、あなたの魂の乗り物としてあなたについてきた自分の身体に一言


ありがとう…


と声をかけてあげてください。
そしてそれを習慣にしてみてはどうでしょうか?


パソコンからでもいい、同じ様な境遇の人の自立やカウンセリングを主催するセミナーやコミュニティの情報を載せたウェブサイトに指一本あればジャンプする事も出来ます。(出来るだけお金のかからないものを選んでください)



今まで学校や職場の人間関係で鬱の症状で苦しんでいる事を隠し『いい奴』を演じていたならそうした事は卒業したらどうでしょうか?


自分自身がままならぬものを感じているのに、他者にエネルギーを消耗し、より鬱を深刻にする必要など、どこにあるのでしょうか?


周りにいませんか?


あなたの鬱の悩みを意見をせずに、黙って聞いてくれる様な存在が?


ただそうした場合、やつぎ早にこちらの事ばかり話すのではなく、相手の状態を思いやる事も必要になってきます。


病院の精神科も現在置かれている症状によって適切な場合もあるかもしれません。


私は医療、精神治療を否定するものではありませんし、全く適切な場合も多いと思います。


しかしながら、鬱の症状で長年に渡り、大量の向精神薬を投与され依存してしまうのはどうか?と思います。


病院も商売、悪い言い方になりますが、来院した方を処方し、病人にし、依存させてしまう一面があるとは言えないでしょうか?


少しお金に余裕がある方なら優れたクレアボヤント(透視をする霊能者)をインターネットなどで捜し、リーディングやヒーリングを受けるのも良いでしょう。


優れたクレアボヤントはあなたのオーラやチャクラ(身体にある七ツのエネルギーセンター)から鬱の原因となる滞ったエネルギーや画像(例えば過去世における今の親とのカルマなど)を取り除き


オーラやエネルギーを軽くする事が出来ます。


あなたの決意が宇宙を動かし、自分の望む方向にシフトさせて行きます。


自分が鬱だと呪わないでください。季節でさえも春夏秋冬見事な変化を見せるではありませんか!


むしろ天の祝福を受けていると喜んでください。


苦悩も向き合えば至福となります。

合掌