私の魂は十五、六の時に死んでしまった。それ以来育ってはいない。動けないのだ。つまり幽霊みたいなものだ。
幽霊に付き合わされた友人や、恋人や子どもたちを、私は大変気の毒に思うけど、まあ、しかたないや。
しかたない、と思う、程度にしか思えんのだ。だって十五歳なのだから。
ひるがえって私は五十になりたかったろうか。分からない。五十も幽霊の年齢だから、今の自分と変わらないので、判断が付かない。
私は旅さきで。
名物と言われるものを勧められるままに食べる。食べたくない。だから吐く。胃がなんとかしてくれるまで、待っていられないのだ。こういうのも子どものとき、我が魂が死んでしまったからかもしれない。
ところで私の父も死んだ。随分前だが、まあ、死んだ。今では私もこんな様に言えるのだ、だから、死んだ。
ところで、生きたいひとだけ生きる世の中、
否。
字を違えた。
活きる。
活きたいひとを、なんとしても残す。もうそろそろそうなるべきなのに。出来ないね。あるいは私がまだ十五、六だからこうあきらけく思うのかもしれんが、ねえ、そこの、背骨でも、脚の筋でも。
歪んだ君を、八十とかなんとかの君を、もう、活かすすべが、ないよ。少ないとも僕にはない。僕に無いくらいだから、だれにも無かろう。
そして、十五だうが六だろうが、私の肉には皺が降り、骨は擦れていく。
それでいい、それでいい。ただ私は十五でもう活きないから。
さて、いざ死ぬとき、どんだけ苦しいだろうなあ。べつにおそれてはいない。