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下記引用です。


フランシスコ・ザビエルの日本に関して述べた有名な言葉があります。
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この国の人々は今までに発見された
国民の中で最高であり、
日本人より優れている人々は
異教徒の間では見つけられない。

彼らは親しみやすく、
一般に善良で、悪意がない。

驚くほど名誉心の強い人々で、
他の何ものよりも名誉を重んじる。

大部分の人々は貧しいが、武士も、そういう人々も
貧しいことを不名誉とは思わない。
~~~~~~~


フランシスコ・ザビエルといえば、天文18(1549)年8月に、日本に初めてキリスト教を伝えた人として有名です。
そのザビエルが日本に滞在したのは、同年から天文21(1552)年11月までの3年3ヶ月でした。
その間、ザビエルは、鹿児島、山口、京都とめぐって布教活動を行っています、とここまでは、教科書に良く書いてあることです。

問題は、ザビエルの観た日本です。
「彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がなく、驚くほど名誉心の強い人々で、名誉を重んじ、大部分の人々は貧しいが、武士も、そういう人々も貧しいことを不名誉と思わない。」

この評価をザビエルがしたのは、日本が日本文化を円熟させた江戸時代のことではありません。
1549~1552年というのは、日本は「戦国時代」です。

1549年といえば、信長がまだ藤原信長と名乗り、徳川家康がまだ松平竹千代という名の少年だった時代です。この年、竹千代は駿府の今川義元に人質として送られています。
1550年といえば、前田利家が14歳で信長に仕えた年、信長の守役だった平手政秀が、うつけ者と呼ばれた信長を諌めるために切腹したのが、ザビエルが日本を去った翌年のことです。

要するに、ザビエルの見た日本は、まさに戦国まっただ中の時代だったわけです。

みなさんは「戦国時代」と聞くと、どのような時代を思い浮かべるでしょうか。
おそらく学校で教わり、テレビや小説の時代劇で知った戦国時代は、戦国大名というイクサばかりやっている荒っぽい人たちが闊歩した時代で、部下が殿様を殺す(下克上)はあたりまえ、あらゆる権威が崩れ、次々と起こる戦に、田畑は荒され、野山は荒野となり、庶民は飢え、国は荒れ、巷には野武士集団が跋扈(ばっこ)して、庶民や農民から強盗や強姦を繰り返していた時代、そんなイメージを鮮烈に焼き付けられているのではないかと思います。

ところが、実際にその時代を、自分の足で歩き、見聞したザビエルは、その戦国期の日本を「この国の人々は今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人々は異教徒の間では見つけられない」と述べているのです。

そしてザビエルは、この文の中で明確に「異教徒」という言葉を用いています。

当ブログで何度もお話しましたように、この時代「異教徒」というのは蛮族です。
映画に出て来るバンパイヤ(吸血鬼)や、リカント(狼男)と同様、当時の西洋人にとって「異教徒」は蛮族であり、人ではありません。人の姿をした「獣」です。

ところがその「異教徒」の国である日本を、ザビエルは「いままで見た国の中で最高」と述べています。

これは、いってみれば猿の社会を、人間の社会よりも美しい国、美しい国民と評価するようなものです。
異教徒でありながら、実に優れた文化を持った国。
ザビエルは、そう評価しているのです。

そしてその「最高の評価」が与えられた日本は、なんと戦国時代の日本です。
これはいったいどういうことなのでしょうか。

是非、みなさまには、このことの意味を考えていただきたいのです。
もし、みなさんがザビエルの立場にある宣教師だったとして、いまの日本を見たとき、みなさんは、いまの日本に、ザビエルと同等の評価をするでしょうか。

もし「しない」のであれば、それは世が荒れたと言われる戦国時代よりも、いまの日本のほうが、よほど民衆の心が荒んでいるということになる。

実際には、最近発見された戦国時代の日記などの記録をみると、後世の我々が「戦国時代」と名付けた時代も江戸時代も、日本人の心はまるで変わっていないことに驚かされます。

つまり、日本人は、戦国期においても、文化が円熟したとされる江戸期においても、同様に勤勉で真面目で、人を大事にし、ひとりひとりが自らの成長に励み、人々が互いに助け合い、たとえ貧しくても立派に生きることを選択した、非常に民度の高い国民だったと言うことがわかります。

エドワード・モース(Edward Sylvester Morse)は、明治10(1878)年から明治15(1882)年にかけて、3度にわたって来日したアメリカの教授です。
日本の大森貝塚の発見や、ダーウィンの進化論を日本に伝えた人でもあります。

そのモースが、日本での体験談を「JAPAN DAY BY DAY」という本にしています。
明治10年ごろの日本の姿を、紀行文として著した本です。
すこし引用してみます。

■世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。
ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福である。

■外国人の筆者が一人残らず一致することがある。
それは日本が「子どもたちの天国だ」ということである。

■この国の子どもたちは親切に取り扱われるばかりではなく、他のいずれの国の子どもたちよりも多くの自由を持ち、その自由を乱用することはより少なく、気持ちのよい経験の、より多くの変化を持っている。

■世界中で両親を敬愛し、老年者を尊敬すること、日本の子どもに如くものはない。
汝の父と母とを敬愛せよ、これは日本人に深くしみ込んだ特性である。

■日本人のきれい好きなことは、常に外国人が口にしている。
日本人は、家に入るのに、足袋以外は履いていない。
木製の履物なり、わらの草履なりを、文字通り踏み外してから入る。
最下級の子どもたちは家の前で遊ぶが、それにしても地面でじかに遊ぶことはせず、大人がむしろを敷いてやる。

モースは、明治19年にも「Japanese Homes and their Surroundings」という本を書いています。
そこには、次の記述があります。

■レインをはじめ文筆家たちは「日本の住居にはプライバシーが欠けている」と述べている。
しかし彼らは、プライバシーは野蛮で不作法な人々の間でのみ必要なことを忘れている。
日本人は、こういった野蛮な人々の非常に少ない国民である。

冒頭で戦国時代のザビエルを引用しましたが、それよりももっと古い時代、奈良時代の終わり頃の756年に建てられた国宝を保存する正倉院には、これまた有名な話だけれど、鍵がありません。
あるのは、紙でできたお札です。
それで、泥棒がはいらない。

いっぱんの民家でさえ、一昔前まで、異なった文化の隣の国民が日本人のような顔をして日本国内に住むようになるまでは、家に鍵などなかったし、玄関の戸はいつも開け放たれたままでした。
開けっ放しでも、鍵などかけなくても、そもそも泥棒が入る心配などまったくなかったからです。

なぜでしょう。

以前、いつもお世話になっている市内のある神社の宮司がおっしゃられました。
「日本という国は、陛下のもとにみんなが共同体として生活していたのです。」

戦国時代でさえ、共同体だったのです。

どうなんでしょうね。
私は、日本はもういちど、日本の心を取り戻すための勉強、つまり日本人としてのアイデンティティを本気で取り戻すことをしっかりと考えて行かなければならないのではないでしょうか。