日本海軍の伝説 海面スレスレを飛び米空母を襲う一式陸攻の、あの超練度パイロットがまだ現役らしい
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海軍予科練パイロット今も・・・ 90歳の高橋淳さん


富士山を望む富士川滑空場(静岡市清水区)で、今も週に一度は操縦桿を握っている日本最高齢パイロットがいる。
高橋淳さん(90)。
戦時中は海軍の操縦士で、戦後間もない頃からパイロットを目指す人たちの教官を務め、現在も大空を駆けめぐる。
高橋さんは1922年(大正11年)生まれ。だが、視力や聴力などの航空身体検査も毎年パスし、コックピットで操縦桿を
さばく姿からは、この10月で91歳になろうとは想像できない。元気の秘訣ひけつは「7時間以上の睡眠と、腹八分で
食べること」、そして「しゃれっ気を忘れず人生を楽しむこと」。1メートル80の長身で、ジーンズとポロシャツがよく似合う。

 高橋さんのパイロットとしての履歴は41年(昭和16年)、18歳で海軍飛行予科練習生になった時から始まる。
間もなく太平洋戦争が始まり、訓練を終えると、一式陸上攻撃機の操縦士に。海面すれすれを飛んで敵艦に接近し、
魚雷で攻撃する雷撃任務が多かった。
速度の遅い攻撃機で、敵艦の対空砲火にさらされながらの過酷な任務。
戦友たちは次々と撃墜され、ほとんど戦死した。

 高橋さんは、生き延びられた理由を「無理な操縦と強い精神力を持っていたから」だという。自分は同じ機体に
乗っている仲間の命を預かっている。「必ず帰る」と信じ、先輩から教わった技術を自分流にアレンジし、時には強引とも
思える操縦をして、銃弾をよけた。