なにが米議会を熱狂させたのか? 安部首相演説の全文を徹底分析



「安倍演説は、『歴史的』であった」。総理の米議会での演説をこう絶賛するのは、人気の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』著者で国際関係アナリストの北野幸伯さん。どこがどう「歴史的」だったのでしょうか。微に入り細を穿つが如く分析をお読みください!

安倍総理の米議会演説は、成功か? 失敗か?

全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!

皆さんご存知のように、安倍総理は4月29日、アメリカ上下両院合同会議で演説しました。これについて「賛否両論」でているようですが、どうなのでしょうか?

まず「背景」を把握しよう

どんな話をするにも、まず背景を知っておくことが大事です。

日本はどんな状況なのか?

アメリカはどんな状況なのか?

世界はどんな状況なのか?

08年、リーマンショックから「100年に1度の経済危機」が起こりました。これ、本当に「1929年からの世界恐慌」に匹敵する危機だったのです。しかし、人類は1929年当時より賢くなっていたので、前回ほどの悲劇は起こりませんでした。

世界の大国は、軒並み大幅なマイナス成長になった。その中で、中国だけは、09年9.2%、10年10.4%、11年9.3%の成長を果たし、まさに「ひとり勝ち状態」になりました(正確にいうと、インドも勝ち組)。これが、中国を「増長」させます。

「アメリカは没落した。わが国は、これから自由に国益を追求できる!」

と確信したのです。

2010年9月、尖閣中国漁船衝突事件が起こりました。これをきっかけに、中国は「尖閣はわが国『固有の領土』であり、『核心的利益』である!!」と全世界に宣言します(中国の領土要求は、1970年代はじめからあったが、大声で騒いではいなかった)。日本も対抗措置をとらざるをえず、2012年9月、政府は尖閣を「国有化」しました。これに激怒し、中国では超大規模な「反日デモ」が起こったのです。

問題はこの後です。中国は、どうやって日本に逆襲するのか?尖閣国有化から2ヵ月後、中国の代表団が、(事実上の)同盟国ロシアの首都モスクワにやってきました。そして、「中国、ロシア、韓国、【アメリカ】で、【反日統一共同戦線】をつくろう!」と提案したのです。

ポイントは、「【アメリカ】も反日統一共同戦線に引き入れる」と宣言したことです。

「トンデモ、トンデモ、トンデモ~~~」

そんなあなたの声が聞こえます。しかし、これは絶対証拠つきの事実です。

疑っている方は、ぜひこちらを熟読してください。

そして、ずる賢い中国は、この戦略を成就させるために、全世界で大々的な「反日プロパガンダ」をはじめました。

韓国は、中国の先陣を喜んでつとめています。ここ2~3年、「慰安婦問題」が大騒ぎになっていますね。これも要するに、中国の「反日統一共同戦線構築戦略」の一環なのです。

中国が罠をしかけたことを知らない安倍総理。2013年12月26日、靖国を参拝しました。

すると、中韓だけでなく、アメリカ、イギリス、EU、ロシア、オーストラリア、シンガポール、台湾などなど、それこそ全世界から非難されたのです。日本政府は、中国の対日戦略を知らないので、「なんでそうなるの??」とわけがわからなかった。だって、「小泉総理は在任中6回靖国を参拝したのに、騒いだのは中韓だけだったじゃないか????」と。

特にアメリカの怒りはすさまじく、ブルームバーグは、「尊大な安倍を懲罰せよ!」などと主張していた。

中国の戦略は、まさに成功しつつあった。

そんなとき、安倍総理に「神風」が吹きます。そう、プーチン・ロシアが2014年3月、クリミアを併合してしまった。これで、アメリカは、日欧を巻き込んで「対ロシア制裁」を課す必要がでてきた。

安倍叩きは、ひとまずおさまりました。

しかし、中国の「反日統一共同戦線」戦略はいまも継続中です。中国は今年、「安倍談話」と「憲法改正」問題を大騒ぎすることで、日米を分断させようとしている。そして、今回の米議会演説については、保守派を支持基盤とする安倍総理ができないのを知りながら、「慰安婦問題で謝れ!」「アジア侵略について謝れ!」と圧力をかけていた。中国のプロパガンダに侵食されたアメリカサイドから、そういう要求がでていた。

安倍総理は、演説を前に再び苦境に陥っていたのです。

しかし、また「神風」が吹きました。それが、「AIIB」事件。

中国主導で設立される「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)。アメリカが「入るなよ!」と命令していたのもかかわらず、イギリス、フランス、ドイツ、オーストラリア、韓国などが入ってしまった。なんと57カ国が参加し、大国で不参加はアメリカと日本だけになってしまった。これで日本は、アメリカにとって、「唯一裏切らなかった忠実な友」になった。

中国は、「覇権を狙うアメリカの主敵」。

韓国は、「裏切り者」。

こういう「追い風」の中で、安倍総理の演説は行われたのです。

演説の目的は

2012年11月に明らかにされた中国の「反日統一共同戦線」戦略。プーチンロシアは、日本との関係を良好に保ちたいので、のらなかった。韓国は、喜んでプロパガンダの急先鋒をつとめている。アメリカは、AIIB事件前、かなり中国よりになっていた。結局、中国世界戦略の最重要課題は、「日本とアメリカを分裂させること」なのです。

GDP世界1のアメリカと3位の日本を分裂させる。そうすれば、尖閣・沖縄を容易に強奪できる。大きなところでは、中国がアメリカを蹴落として覇権国家になることができる。

中国の戦略の要=【日米分断】にある。

そうであるなら、日本の戦略の要は、【日米関係強化】にある(プラスアルファで、米中分断をするべきだが)。

というわけで、安倍演説の目的は、「日本とアメリカの関係を強化すること」だった。

「成功」か「失敗」かは、「演説によって日米関係が強化されたか?」で判断されるべきなのです。

失敗する演説、成功する演説

演説に先立ち、RPEでは、「こんな演説はダメ!」「こんな演説ならよい!」と解説。草案も出し、総理にも送らせていただきました。

失敗する演説については、こう書きました。

【間違い1】日本の実績、安倍内閣の実績を延々と話してしまう

セールスマンの商品説明でもそうですが、「自分が優れていること」を伝えることは大事です。しかし 、あんまり延々とやると、アメリカの議員さんたちは「うんざり」することでしょう。自慢話は、ほどほどにしましょう。
では、何をするの?
皆さん、台湾のことが好きですね?
なぜですか?
台湾が、自慢話をしたことを聞いたことがありますか?
私はありません。
しかし、台湾はいつも、「私たちは日本が大好きです」といいます。それだけで、日本は台湾のことが 好きなのです。だから、安倍総理は、自分の実績自慢はそこそこにして、「私は、アメリカを尊敬している!」「私は 、アメリカが大好きだ!」「私は、アメリカの味方だ!」「アメリカはすごい国だ、人類の希望だ!」などと繰り返すべきです。
そうすれば、「右翼」「歴史修正主義者」などと呼ばれなくなるでしょう。

【間違い2】中国、韓国の悪口をいってしまう

自分の自慢話をするのと同様、中国と韓国の悪口をいうのも感心できません。演説の中で、中国や韓国 を名指しして批判することは絶対避けるべきです

なぜかというと、アメリカの議員さんの中には、中国、韓国からたっぷり金をもらい、中韓の利益のために動いている人がいる。中韓を名指しで批判した途端、反発が強まり、安倍バッシングがはじまります。

【間違い3】歴史問題で弁明してしまう

これもありがちな間違いなのですが、中韓の反日プロパガンダに議会演説で対抗してしまう。

議会演説で説得力のある証拠を提示することは不可能。それで、総理が何をいおうと、すべて「醜い言い訳」ととられます。

歴史問題には触れることなく、できれば記者会見なども開かない方がよいでしょう。何か聞かれたら、「日本は第2次大戦について非常に強く反省している。日本はその反省の上に、70年間平和を維持してきた。今後も、日本が他国を侵略することなどありえない」などと、日本にもアメリカにも、中韓にもいいようにうまくいうべきです。
簡単にいえば、

・自慢話はそこそこに

・中韓の悪口をいうな

・歴史問題で弁明するな

・とにかく、アメリカを褒めまくり、「アメリカが大好きである!」ことを示せ

とまあ、こういう話だったのです。で、実際の演説はどうだったのでしょうか?

安倍総理は、「アメリカ大好き民主主義者」であることを宣言した

安倍演説について、中韓メディアは、もちろん批判しています。日本のメディアも「謝罪がなかった」などと批判しています。しかし、皆さんは、是非安倍総理の演説全文を読んでいただきたいと思います。できればアメリカ人の気持ちになって。

まず、これを読むとわかりますが、総理は上記三つの間違いをしませんでした。終始一貫して、「アメリカを褒めること」に徹しています。見てみましょう。

議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、1957年6月、日本の首相としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。

「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります」。

以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国首相として初めてお話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。


これは、「私は民族主義者じゃなくて、あなたたちと同じ価値観の持ち主なのだ」といっているわけです。

私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル・フランシア夫人。寡婦でした。亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。

ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。彼女が日ごろ、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。

デル・フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。

のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。

上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方ならちゅうちょなく採用する。

この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議員たちに、アベは生意気だと随分言われました。


この部分。

安倍さんは、「私は実際にアメリカに住んでみて、アメリカを尊敬しているし、大好きなんだ。あまりにアメリカが好きなので、アメリカナイズされた」という意味。

これを聞いたアメリカ人は、「全然軍国主義者じゃないし、俺たちの仲間じゃないか」と思ったことでしょう。

私の名字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主政治の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティズバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。

農民大工の息子が大統領になれる──、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。


ここで総理は、「リンカーン」を尊敬し、「民主主義」を非常に大切にしていることを明らかにしています。

「アメリカとの出会いは民主主義との遭遇」だった。

「浦賀に来航したペリーは、『開国しなければ、攻撃するぞ』と恫喝したのです」とはいわず、「民主主義との遭遇」とした。「目的」から考えればまったく正しいことです。

安倍総理は、戦争で亡くなったアメリカの兵士に謝罪した

つづいて総理は、第2次大戦の話をされます。

先刻私は、第2次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐(せいひつ)な場所でした。耳朶(じだ)を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。

一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。その星一つ、ひとつが、斃(たお)れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。

金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。

真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海……、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。

歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙とうをささげました。

親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼をささげます。とこしえの、哀悼をささげます。


ここで明確に、第2次大戦で亡くなったアメリカ兵士にお詫びしています。

「中韓に謝罪しなかったこと」を理由に演説を批判する人がいます。しかし、アメリカにいってなぜ「中韓」に謝罪しなければならないのでしょうか? これは、アメリカ大統領に、「中国にいったとき、『広島に原爆を落して申し訳ない』と謝罪しろ!」というほど、おかしなことです。

総理は、日米の和解を劇的に演出した

この後、演説の見所がやってきます。

みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。

近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、おっしゃっています。

「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉をたたえることだ」

もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のおじいさんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。

熾烈(しれつ)に戦い合った敵は、心の紐帯(ちゅうたい)が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。


硫黄島で実際に戦ったスノーデンさん。

栗林大将のお孫さんである新藤さん。

この二人ががっちり握手する姿を見て、大きな拍手が起こりました。その場にいたアメリカ議員さんたちも、感動したことでしょう。

戦後、日本はアメリカ側につくことで繁栄した

つづいて総理は、「大戦の反省」を述べます。

戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。

自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代首相と全く変わるものではありません。


アメリカを除けば、先の大戦に関する言及はこれだけです。それで、中韓も、日本のメディアの一部も批判しています。

しかし、アメリカの反応を見れば、この部分は「十分だ」といえるでしょう。

アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。

焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2036頭、やってきました。

米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。

下って1980年代以降、韓国が、台湾が、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。

一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。


ここで総理は、「日本が戦後発展したのはアメリカのおかげです」といっている。確かに、ソ連に占領されていれば、戦後の発展はなかったことでしょう。

日本の改革は、「アメリカの利益」でもある

この後、安倍総理は、TPPの意義について語りました。この部分は、省略させていただきます。

そして、総理は、「日本の改革の意義」について語ります。

私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」(再均衡)を支持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。

アメリカの「リバランス」とは、「アジア重視」のことです。

「アジア重視」とは、要するに「中国に対抗する」こと。ですから、日本がこれを支持するのは当然ですね。

アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。

第1に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。

第2に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。

そして

第3に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。

太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。私たちには、その責任があります。


これは、名指しはさけているものの、明確に、「日米で中国の野望を粉砕しましょう」といっている。

中国が「アメリカから覇権を奪おう」と行動している。ですから、アメリカにとって、安倍総理の言葉はありがたかったことでしょう。

そして、日本としても、「アメリカが中国を封じ込めてくれなければ勝てない」という切実な問題がある。つまりこの件で、日米は「利害を共有している関係」にあるのです。

日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。

この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。

戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。

ここで皆様にご報告したいことがあります。一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外相、中谷防衛相と会って、協議をしました。いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。

昨日、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。皆様、私たちは、真に歴史的な文書に、合意をしたのです。


まさに「歴史的」です。これで、日本はもっと米軍をサポートできるようになる。このことはアメリカの利益であると同時に日本の利益でもある。

なぜか?

日本はアメリカのお墨つきをえて、軍事力を強化していくことができる。つまり、アメリカから抵抗を受けずに【軍事的自立】に近づくことができるのです。

安倍総理は、日本の「世界観」と「政策」を示す

自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、その両方の蓄積は、いまやわたしたちに、新しい自己像を与えてくれました。いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。

繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動──。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。

日米同盟は、米国史全体の、4分の以上に及ぶ期間続いた堅牢(けんろう)さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。

自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。


この部分、非常に重要です。

日本の世界観は、「法の支配」「人権」「自由」である。つまり、「アメリカと同じですよ」といっている。

それを実現するために、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」でいくと。これは、別の言葉でいえば、「どんどん自衛隊を海外に出します」ということでしょう。

批判も多いでしょうが、私はよいことだと思います。

「平和憲法さえあれば日本は安全だ」なんて、「夢物語」です。中国はそんなにあまくないですよ。

総理は、「アメリカは世界の希望である!」と宣言し、アメリカを味方につけた

そして、いよいよ演説のクライマックスがやってきます。

まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。

「落ち込んだ時、困った時、……目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」

2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。そして、そのときでした。米軍は、未曽有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。

私たちには、トモダチがいました。被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。


RPEの草案にも書きましたが、総理はラストで、東日本大震災後のサポートに感謝しました。

しかし、ここから、さらに感動的なラストにむかっていきます。

そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。

希望、です。

米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。

米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。

希望の同盟──。一緒でなら、きっとできます。
ありがとうございました。


なんと、「アメリカは、世界の【希望】だ!」というのです。

AIIBでは、イギリス、ドイツ、フランス等欧州の大国、オーストラリア、イスラエル、韓国までがアメリカを裏切った。世界的に孤立し、不安を感じているアメリカのエリートに、安倍総理は、「アメリカは世界の希望だ!!」という。こんなにありがたく、うれしいこと言葉はなかったことでしょう。

安倍演説は、「歴史的」であった

詳しくみてきました。

覇権を狙う中国の最重要戦略は、「日米分断」である。だから日本は、「アメリカを味方につけなければならない」。

これが演説の「目的」でした。

そして、安倍総理は、そのミッションを見事にはたされました。一日本国民として、総理のすばらしい演説に、心から感謝申し上げます。

source: 自由民主党公式サイト

『ロシア政治経済ジャーナル』
著者/北野幸伯
日本のエリートがこっそり読んでいる秘伝の無料メルマガ。驚愕の予測的中率に、問合わせが殺到中。わけのわからない世界情勢を、世界一わかりやすく解説しています。



憲法記念日にちょっとちなんでみました。

「マッカーサーの告白」


日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。日本は何も悪くありません。日本は自衛戦争をしたのです。
イギリスのチャーチルに頼まれて、対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだのです。アメリカは日本を戦争に誘い込むためにイジメにイジメぬきました。そして最後通牒としてハルノートを突き付けました。

中国大陸から出て行けだの、石油を輸入させないなど、アメリカに何の権利があったというのでしょう。当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。白人はよくて日本人は許さなかったのです。ハルノートのことは、私もアメリカの国民も知りませんでした。

あんな物を突き付けられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とならないよう周到な計画を建てました。アメリカは知っていたのです。国を弱体化する一番の方法はその国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することだと。

戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。日本がアジアを白人の植民地から解放しようとしたという本当の理由を隠すため大東亜戦争という名称を禁止し代わりに太平洋戦争という名称を使わせました。

東京裁判はお芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。公職追放をしてまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学など要職にばら撒きました。
その教え子たちが今マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。

徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。ラジオ・テレビを使って戦前の日本は悪い国だった、戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。これらの政策が功を奏し今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。(※註:1951年の時点で正気に帰ったマッカーサーが、この今に続く問題を憂いている)

私は反省しています。自虐史観を持つべきは、日本ではなくアメリカなのです。戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。最後に私が生きていた時の証言を記して謝罪の言葉としたいと思います。

「私は日本について誤解をしていました。日本の戦争の目的は侵略ではなく自衛のためだったのです。太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国において強大にさせたことでした。東京裁判は誤りだったのです。

日本は八千万人に近い膨大な人口を抱え、その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接した何れにも劣らぬ優秀なものです。
歴史上のどの時点においてか、日本の労働力は人間が怠けているときよりも働き、生産している時の方が幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。

これまで巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だという事を意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らには手を加えるべき材料を得ることができませんでした。

日本原産の動植物は、蚕を除いてほとんどないも同然でした。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない。錫がない、ゴムがない、他にもないものばかりでした。その全てがアジアの海域に存在したのです。
もしこれらの原料の供給を絶ちきられたら一千万から一千二百万の失業者が日本に発生するであろうことを彼らは恐れたのです。
したがって日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」

アメリカ上院軍事外交合同委員会の公聴会にて
1951年5月3日
ダグラス・マッカーサー

ケント・ギルバート 「世界で植民地化を謝罪した国があるか。 韓国に謝罪を求められたら、やり返せ」
2015年02月18日 18:06
歴史問題

ケント・ギルバート(弁護士、タレント)

私が中国と韓国を見て理解に苦しむのは、両国が第2次世界大戦における戦勝国だと自称することです。そもそも、この2国は戦争に参加していません。朝鮮半島は日本の一部でしたから韓国という国家は戦争中に存在しません。

いま韓国人と呼ばれる人たちの先祖は、日本人として敗戦の日を迎えたのです。そして現在の中国(中華人民共和国)を支配する中国共産党は背後からゲリラ活動をしていただけで、実際に日本と戦ったのは国民党です。しかし国民党は、日本に対しては負けてばかりで、第2次世界大戦後に再開した国共内戦では共産党にも敗北し、中国大陸を追われました。

はっきりいって、世界の歴史を見て、日本に勝ったのは米国だけです。彼らが日本戦に関係する「記念日」を祝う権利がどこにあるのでしょうか。

韓国は戦後、独立国として日本と日韓基本条約を結び、莫大な額の賠償金も得たわけです。国際法の約束として、条約に調印した。つまり結論が出た以上はもう二度と蒸し返さないのが当然です。そもそも、父親である朴正熙大統領の大きな功績を踏みにじり、世界中に恥を晒し続ける朴槿惠大統領は何を考えているのでしょうか。

やられたら「やり返せ」

日本人に求められるのは、もっと積極的に各国に対して自らの主張を訴えることです。日本は戦争の責任を重く受け止め、謝罪ばかりしていますが、そもそも世界を見渡して、日本のほかに謝罪をした国がありますか。たしかにドイツはユダヤ人の虐殺に対して謝罪しましたが、これは当然です。しかし英国が植民地化したインド、香港に対して謝罪した話は聞いたことがありません。

では、なぜ日本にだけ謝罪を求めるのか。端的にいって、弱々しく見えるからです。日本は世界から見ると叩きやすいサンドバッグなのです。この状態から脱するには、憲法を改正して「竹島に手を出すな」「尖閣諸島に近づくな」「小笠原近辺でサンゴ礁を不法乱獲したら、砲撃して沈没させるぞ」と宣言しなければなりません。

以前、私の息子が学校でいじめられたことがあります。私は息子に「やり返せ」といいました。私がいったとおり、いじめっ子に反撃した息子は学校の規則で停学処分を受けました。それは規則だからべつに構いません。父親の私にこの件で怒られるのではないかと息子は恐れていたようですが、私はまったく怒りませんでした。むしろ息子が自分の権利のために立ち上がったことが嬉しかった。

日本も、そろそろ祖国の尊厳のために立ち上がるときだと思います。
戦後70年の今年、中国が仕掛けてくる“罠”
diamond.jp/articles/-/66110



イスラム国は日本の脅威か?
日本の抱える問題をおさらいしよう

「イスラム国」が日本に衝撃を与えている。全国民が知っているように、イスラム国は、日本人男性2人を拉致し、日本政府に2億ドルの身代金を要求。それがかなえられないと知ると、湯川遥菜さんを殺害。さらにヨルダンに拘留中の女性死刑囚との交換を要求したあげく、とうとう後藤健二さんまで殺害したとされる。

 身代金要求と殺害予告は、安倍総理が1月17日、カイロで「イスラム国と闘う各国への支援」を約束した後に起こり、ビデオ声明で犯人もそのことを強調している。

 これを理由に、安倍総理を非難する人たちがいる。「総理の演説と、支援が今回の悲劇の原因だ」というのだ。さらに、「欧米と一緒になってイスラム国と戦うべきではない」と主張する人たちもいる。今回は、この複雑な問題、「日本の立ち位置」について考えてみよう。

 実をいうと、イスラム国は日本の大きな脅威ではない。犯人は声明の中で、「お前(=日本)は、「イスラム国」から8500キロ以上も離れたところにいる」と指摘した。

 実際そうなのだ。欧米では、しばしばイスラム過激派によるテロが起こっている。しかし、日本ではこれまでのところ起こっていない。また日本は、イスラム教諸国と友好を保ってきたし、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の宗教対立とも無縁でいた。

 しかし、安倍総理がイスラム国への空爆を繰り返す欧米支持を明確にすることで、「日本が危険になる」というのは、ある面、そのとおりだ。つまり、今後の日本の動き方次第では、「脅威でなかったものを、脅威にしてしまう」危険性がある。ところが、「欧米と距離を置いて勝手に戦わせておけばいい」と単純にならないのが、大人の世界のつらさである。日本には、「他の脅威」があり、その脅威に対抗するために欧米の力が必要なのだから。

 では、「日本の脅威」とは、なにか? 日本は現在、3国と「領土問題」を抱えている。つまり、中国との「尖閣問題」、ロシアとの「北方領土問題」、韓国との「竹島問題」である(日本政府は、「日中間には領土問題は存在しない」という立場だが)。

 この3つは、どれも「領土問題」だが、「本質」は異なっている。

 なぜか? ロシアは、北方領土を「実効支配」している。韓国は、竹島を「実効支配」している。つまり、この2国は、現状に「満足している」ので、向こうから戦争をしかけてくる可能性は極めて低い。

 しかし、中国は、尖閣諸島を実効支配していない。だから、尖閣を奪うために日本と戦争する可能性が高いのだ。

 もう1国、北朝鮮は、確かに日本の脅威である。だが、極貧国・北朝鮮の脅威は、中国のそれと比べると、比較にならないほど小さい。

「米国」はどうだろうか? 日本ではここ数年、「日本の不幸の原因は、すべて米国」といった本が、次々とベストセラーになっている。米国が日本を搾取する構造は、確かにある。しかし、「米国は少なくとも日本の領土を奪おうとしていない」ことも指摘しておく必要があるだろう(そして、日本の軍事同盟国である)。

 こうして見ると、日本の「実質的脅威」は、「中国1国のみ」ということになる。要するに、日本の安保外交の最重要課題は、「中国問題をどうするか?」だけなのである。

真の脅威は隣国!
中国、驚愕の「対日戦略」とは?

 2008年9月、米国発「100年に1度の経済危機」が起こった。ロシアでは、「この危機で、『米国一極時代』が終わった」といわれている。そして、浮上したのが中国だった。この国は、経済危機がもっとも深刻だった09年、9%を超える成長を果たし、「1人勝ち状態」になった。

 沈む米国、浮上する中国。中国の指導者たちは、「米国を恐れることなく国益を追求できる」と確信した。そして、起こったのが10年の「尖閣中国漁船衝突事件」である。この事件直後、中国は全世界で、「尖閣はわが国『固有の領土』であり、『核心的利益』である」と宣言した(中国の領土要求は、1970年代初めからあったが)。

 そして12年9月、日本政府が、「尖閣国有化」を決めると、狂ったように反発。日中関係は「戦後最悪」になってしまった。中国は、「日本への逆襲」を固く誓った。

「尖閣国有化」の2ヵ月後、中国代表団は、(事実上の)同盟国ロシアの首都モスクワを訪問。「日本をいかに破滅させるか?」について、その驚愕の戦略を明らかにした。ロシアの国営放送「ヴォイス・オブ・ロシア」のHPで、その全貌を知ることができる重要部分を引用してみよう(太線筆者)。

< 中国の著名な専門家は、中国と同様、日本と領土問題を抱えるロシアと韓国に対し、反日統一共同戦線を組むことを呼びかけた。
 この共同戦線は日本の指導部に対し、第2次世界大戦の結果を認め、近隣諸国への領土要求を退けさせることを目的としている。>
(The Voice of Russia 2012年11月15日)

 日本国民は、中国が、「反日統一共同戦線構築」を目指していることを、決して忘れてはならない。

 その目的はなにか?

・ 中ロ韓は一体化し、日本に「第2次世界大戦の結果を認めるよう」要求する。
・ 「第2次大戦の結果を認める」とは、つまり「日本は、領土要求を取り下げろ」。「日本は北方4島と竹島をあきらめ、尖閣を中国に返せ!」。

 ここには、大きな「ウソ」がある。北方領土、竹島問題は、たしかに第2次世界大戦の「負の遺産」ともいえるものだ。しかし、中国が「尖閣」の領有権を主張しはじめたのは1970年代からで、第2次世界大戦とは全く関係ない。

< 14日モスクワで行われた露中韓の三国による国際会議「東アジアにおける安全保障と協力」で演説にたった中国外務省付属国際問題研究所の郭宪纲 (ゴ・シャンガン)副所長は、こうした考えを明らかにした。(中略)
 郭氏は対日同盟を組んでいた米国、ソ連、英国、中国が採択した一連の国際的な宣言では、第2次世界大戦後、敗戦国日本の領土は北海道、本州、四国、九州4島に限定されており、こうした理由で日本は南クリル諸島、トクト(竹島)、釣魚諸島(尖閣諸島)のみならず、沖縄をも要求してはならないとの考えを示した。>

 北方4島、竹島、尖閣のみならず、「沖縄も日本の領土であってはならない!」。これが中国の主張なのだ。われわれは、このことも決して忘れるべきではないだろう。さらに衝撃の内容はつづく。

<こう述べる郭氏は、中国、ロシア、韓国による反日統一共同戦線の創設を提案している。
 日本に第2次世界大戦の結果を認めさせ、近隣諸国への領土要求を退ける必要性を認識させるために、この戦線には米国も引き入れねばならない。>(同上)

 この戦線には「米国も引き入れねばならない!」と主張している。中国は、「尖閣」「沖縄」を奪うために、「米国と組もう」というのだ。つまり、中国、米国、ロシア、韓国で反日統一戦線をつくる。これこそが、中国の「対日戦略」の基本なのである。

 では、いったいどうやって「反日統一戦線」を構築するのか?簡単である。

・日本は右傾化している
・日本は再び軍国主義化している
・日本は歴史の修正を目指している

 と大プロパガンダする。

 これは、中国・韓国がいつもいっていること。しかし、実をいうと米国もロシア(2次大戦時はソ連)も、これらのことは嫌がる。こうした動きがあると判断されてしまえば、米国もロシアも反日になってしまうのだ。

 では、日本が「軍国主義化」「右傾化」「歴史の見直し」をしている間接証拠になる言動とはなんだろうか?

・憲法改正(米国製日本憲法を修正するので)
・靖国参拝(中国は、靖国を参拝するのは、軍国主義者だとプロパガンダ)
・東京裁判史観見直し要求(東京裁判を主導した米国を敵にする)

 強調しておくが、筆者は、

・米国製憲法を神聖視していない。
・靖国参拝は、日本人として、当然よいことだと思っている。
・東京裁判は、インチキだと思っている。

 しかし、中国がこういう戦略で攻めてきているときに、まんまと罠にはまればどうなるか?

1、日米関係が悪化し、日米同盟が弱体化する。
2、米国との関係が悪化すれば、欧州やオーストラリアなどとの関係も悪化し、日本は世界的に孤立する。
3、尖閣で有事が起こったとき、米国に日本を助けない口実を与える。
4、日本は一国で中国と戦うことになり、最低でも尖閣、ひょっとすると沖縄までも中国に併合される。

 以上の理由で、「総理の靖国参拝」「早急な憲法改正」「歴史修正発言」などに反対している。これは「善悪の問題」ではない。「尖閣、沖縄を奪われるかどうか?」という深刻な問題なのだ。

中国のしたたかさに対抗するために
日本が目指すべき立ち位置は?

 これが今の世界で起こっていることである。中国は、「中国、米国、ロシア、韓国 対 日本」という対立構造を作り出したい。そうなれば、米国には、欧州もオーストラリアも従う。つまり、米国が反日で中国側にたてば、事実上の構造は、以下のようになる。

「米国、欧州、オーストラリア、中国、ロシア、韓国 対 日本」

 つまり、中国に「日米分断」を許せば、日本は事実上「世界の孤児」になる。そして、再び敗戦の道を歩むことになり、最低でも尖閣、ひょっとすると沖縄まで奪われてしまうかもしれない。事実、中国は「日本に沖縄の領有権はない!」と宣言しているではないか。

 では、日本はどうするべきなのだろうか?これは、簡単で、米国との関係をますます強固にしていけばいい。そうすれば、欧州もオーストラリアも、ついてくる。さらに、ロシアをこちら側に引きずり込めば、もはや尖閣も沖縄も安全といえる。つまり日本が目指すのは、以下のような構造である。

 「日本、米国、欧州、オーストラリア、ロシア 対 中国」

 というわけで、日本は中国の罠にはまらないよう、米国、欧州との関係を良好に保つべきなのだ。そういう理由で、欧米による「イスラム国」との戦いを支援することには、重大な意味がある。

 そのせいで、確かに日本人はイスラム国の標的にされる。しかし、それはシリア、イラクへの邦人渡航制限を実施し、訪日外国人のチェックを強化することで、かなり防ぐことができる。

 さらに、日本の敵は「イスラム国」のみであり、「イスラム教国」ではないことを、常に語るべきだ。そして、イスラム諸国が喜ぶ支援も、惜しまず行うべきだろう。

安倍総理が注意すべきは
「終戦70年」で中国が仕掛ける罠

 ちなみに、安倍総理は、一度「中国の罠」にはまっている。13年12月26日の「靖国参拝」である。

 知らない方もいるかもしれないが、この参拝を批判したのは、中国、韓国だけではない。実際は、中韓に加え、米国、英国、EU、ロシア、オーストラリア、台湾、シンガポールなどが、これを非難した。長くなるのでここでは触れないが、「ウソだ!」と思う方は、こちらを読んでほしい。

 しかし、安倍総理は、救われた。14年3月に、プーチン・ロシアが「クリミア併合」を断行したことで、米国の敵「No.1」に浮上したからだ。米国は、欧州と日本を巻き込んで「対ロシア制裁」を強化する必要があり、「安倍問題」はひとまず「棚上げ」された。

 これで中国の「反日統一戦線構想」は、いったん挫折した。しかし、日本人は、「中国の戦略はいまも継続中」であることを知っておく必要がある。そして、この問題を巡る欧米など諸外国の非難を決して軽視すべきではない。

「終戦70年」にあたる今年、日本は2つの問題で、中国の罠にはまる可能性がある。1つは、8月に発表される予定の「安倍談話」。もう1つは、総理がいよいよ視野に入れてきた「憲法改正」。安倍談話は、すでに「出す」と宣言しているので、やめるわけにはいかないだろう。

 だから、筆者は、「習近平へのプレゼント」にならないよう、極力「謙虚な談話」をお願いしたい。そして、憲法改正は、少なくとも対中弱腰オバマが大統領の間は待つべきだ。「憲法を改正して、歴史に名を残さん」とはやる総理には、故・小野田寛郎氏の言葉を贈りたい。

「『負けて泣くような喧嘩はするな。勝つ自信が持てるまで我慢しろ』というのが母の口癖だった。短慮な私を何度も叱り、おかげで慎重さ、たくましさを身につけることができた」(「生きる」小野田寛郎著より)

 当たり前だが、中国の戦略が成功し、日本が欧米中ロを同時に敵にまわすハメになれば、また「負けて泣くケンカ」になってしまう。そうなれば、安倍総理は、望みに反して「愚かな総理」として、歴史に名を残すことになるだろう。

 そうではなく、中国の罠を理解し、尖閣・沖縄を守り抜くことで、「偉大な宰相」と呼ばれるようになっていただきたい。

あけましておめでとうございます。

新年にふさわしくこちらからどうぞ♪

あなたの中の天皇陛下のイメージが変わる、33の厳選エピソード
http://virates.com/society/3318826


平成時代の今上天皇(きんじょうてんのう ※現在の天皇の意味)は、これまでの伝統を守りつつも、時代の流れに合わせて柔軟に対応される姿が数多く見受けられます。

これまでの皇室の前例にとらわれない天皇陛下にまつわる厳選エピソードを紹介します。


■成婚のパレード(1959年4月)
成婚のパレードは盛大に行なわれ、国民の祝福を受けた。2人の成婚の様子を見るために、当時高価だったテレビも普及しはじめた。明治以降では初の民間出身の皇太子妃であり、国民的な「ミッチー・ブーム」がおこった。



■若き日の天皇、皇后両陛下(1962年)
長野県志賀高原での天皇、皇后両陛下。最近、この写真がまるでジブリ映画『風立ちぬ』の一場面のようだと話題になった。



■第一子誕生(1960年2月23日)
第一男子、浩宮徳仁親王が誕生。皇居御殿内の御産殿で出産されるべきところ、それまでの慣習を破って皇居内の宮内庁病院でのご出産を望まれた。

■親子が一緒に寝る家庭を
天皇陛下は、「親子3人が川の字になって寝るような家庭をつくりたい」と話され、皇室の慣例になかった親子同居を決意された。さらに、これまでの慣習であった専任の養育係を置かないことを決めた。

■皇位継承の儀式により即位(1989年1月7日)
昭和天皇の崩御により、55歳で第125代天皇に即位された。元号法に基づき、「平成」に改元した。即位後の朝見の儀にて、「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません」との勅語を発した。



■歴代天皇で初めて、床に膝をついて避難民を見舞った(1991年7月)
長崎県の雲仙普賢岳噴火の際に、避難民を床に膝をついて見舞った。膝をついて被災者と直に話をするスタイルは今上天皇が皇太子時代にはじめたことであり、それまでは天皇が国民の前で膝を曲げることはありえなかった。
このスタイルはその後も続いており、皇后陛下や皇族も被災地慰問の際にはこれにならっている。



東日本大震災にてビデオメッセージを送る(2011年3月16日)
東日本大震災の発生において、国民および被災者に対しビデオメッセージを放送した。天皇が国民に対して直接放送を行うのは、昭和天皇による1945年8月15日の玉音放送以来だった。メッセージは以下の言葉で締めくくられた。
「国民一人ひとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」
http://youtu.be/f2r0BiguXxI


■自主停電を行う(2011年3月)
皇居がある千代田区は、東日本大震災に伴う計画停電の対象外地域であったが、「国民と困難を分かち合いたい」とする天皇の意向により、皇居は停電時間に合わせ電源を落とした。

■東日本大震災の被災地を訪問(2011年3月以降)
各地の避難所を皇后陛下とともに歴訪して、励ましの言葉をかけた。



■イラク派遣隊員らをねぎらう(2006年12月)
テロ対策特措法とイラク人道復興支援特措法に基づいて派遣された自衛隊員ら約180人を、皇居・宮殿に招いた。「国際的な協力に参加し力を尽くしてこられたことを、誠にご苦労に思います」とねぎらいの言葉をかけた。



■白鵬に気遣いのメッセージを送る(2010年8月)
天皇陛下が白鵬に書簡を送った。力士たちの野球賭博が発覚したことで、賜杯の表彰を辞退し涙を流した白鵬を気遣った内容だった。白鵬は、「こんなにうれしいお言葉はない」と喜びをかみしめた。



■阪神・淡路大震災で(1995年1月)
地震発生から2週間後に現地に入り、スリッパも履かず避難所の床に正座して被災者の話に聞き入った。「今は苦しい時があるかも知れないがいつかきっと幸福が訪れます。それまで地震なんかに負けず頑張りなさい」と被災者たちを励ました。涙を流した被災者もいたという。



■アメリカ同時多発テロ事件(2001年)
駐日アメリカ大使を通じてブッシュ大統領にお見舞いの言葉を送った。天災以外の理由で外国にお見舞いの言葉をおくったのは前例のないことだった。
それについて「皇室は前例を重んじなければなりませんが、その前例の中には前例がないにもかかわらずなされたものもあります。皇室も伝統を重んじつつ、時代の流れに柔軟に対応しなければならないと思います」と説明している。



■火山ガス発生の恐れの中、三宅島を慰問(2006年3月)
2000年に噴火した三宅島。島民の帰島が叶った2006年に、火山ガスの発生の恐れがまだあるにもかかわらず三宅島を慰問し、島民を励ました。



■新潟県中越沖地震(2007年8月)
現地に赴いて避難住民らを訪問し、お年寄りらに語りかけて励ます。また被災者を思う心情から夏の静養を取り止めた。



■サイパン島訪問(2005年6月)
サイパン島訪問の際には、多くの日本人が身を投じたバンザイクリフやスーサイドクリフを訪れた。天皇が慰霊だけを目的に海外訪問をしたのは、これが初めてだった。
また当初の訪問予定に含まれていなかった沖縄出身者の慰霊碑「おきなわの塔」、朝鮮半島出身者の慰霊碑「韓国平和記念塔」にもそれぞれ立ち寄った。国家の枠にとらわれずに、先の大戦において命を失ったすべての人々を追悼するという思いがこめられている。



■「くまモン」と面会(2013年10月)
くまモンが東日本大震災の被災地支援など様々な活動をしていると説明を受けると、天皇陛下は「ご苦労様です」、皇后陛下は「ありがとう、くまモンさん」と笑顔で声をかけられた。皇后陛下からの「くまモンはお一人でやっているのですか?」の質問にくまモンが慌てる一幕も。



■明治天皇へ直訴を行った田中正造の出身地へ(2014年5月)
足尾銅山からの鉱毒被害の拡大を防ぐために設けられた渡良瀬遊水地や、鉱毒被害を告発した田中正造の出身地、佐野市をめぐった。田中正造は、1901年12月10日に鉱毒事件について明治天皇に命がけで直訴を行い、警官に取り押さえられ叶わなかった。両陛下は佐野市の市郷土博物館で直訴状の実物を見学され、明治天皇の時代から実に113年後に田中正造の直訴状が陛下の元に届くこととなった。



■パパブッシュにテニスで勝利(1992年1月)
アメリカの大統領ジョージ・H・W・ブッシュが来日した際に、皇太子徳仁親王とペアを組んで、大統領とマイケル・アマコスト在日本アメリカ合衆国大使のペアとテニスのダブルスで対戦した。2回対戦し、2回とも勝利している。

■沖縄訪問(1993年4月)
歴代天皇として初めて沖縄を訪問し、沖縄戦の沖縄県遺族連合会の代表一人ひとりに声をかけた。皇太子時代に沖縄訪問された際には、過激派のメンバー2人から火炎瓶を投げつけられる「ひめゆりの塔事件」が起こっていた。



■さかなクンと歓談(2009年10月)
東京海洋大客員准教授を務めるさかなクンと歓談した。さかなクンは「皮膚の一部」ということでハコフグの帽子を被ったままであったが、陛下はこれを非礼とすることはなかった。



■障害者福祉を前進させる(1964年)
1964年東京五輪の後に行われたパラリンピックでは、当時皇太子だった天皇陛下が名誉総裁を務め、「このような大会を、国内でも毎年行なってもらいたいと思います」と述べた。この言葉がきっかけとなって、1965年より国体に合わせて身障者スポーツ大会が開催されるようになった。
日本身体障害者団体連合会会長の小川榮一氏は、「両陛下のおかげで障害者福祉が大きく前進したといっても過言ではありません」と述べている。



■英王室との親しい間柄(2012年5月)
エリザベス女王在位60周年での祝賀昼餐会にて、天皇陛下の席はエリザベス女王の左隣。女王の右隣はスウェーデン国王で、その横に皇后陛下が座られた。



■オバマ大統領と昼食会にて(2009年11月)
オバマ大統領初来日の際に、両陛下と握手をして「お会いできてうれしいです。大変光栄です」と述べて何度もおじぎをした。両陛下も笑顔で大統領を出迎えられた。



■天皇の役割は時代とともに変わっていく(1998年12月)
「日本国憲法で、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると規定されています。この規定と、国民の幸せを常に願っていた天皇の歴史に思いを致し、国と国民のために尽くすことが天皇の務めであると思っています。天皇の活動の在り方は、時代とともに急激に変わるものではありませんが、時代とともに変わっていく部分もあることは事実です」
誕生日に際する記者会見にて

■韓国とのゆかりについて発言(2001年12月)
「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」
「残念なことに、韓国との交流はこのような(文化的)交流ばかりではありませんでした。このことを私どもは忘れてはならないと思います」
「それぞれの国が歩んできた道を個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として互いの立場を理解していくことが大切と考えます」
物事を国家レベルで考えず、平和を希求するために必要なことは国の枠にとらわれずに発言される。
誕生日に際する記者会見にて。

■沖縄の歴史をひも解くことについて(2003年12月)
「私にとっては沖縄の歴史をひも解くということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです」
誕生日に際する記者会見にて。

■学校での国旗掲揚について(2004年10月)
「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」
東京都教育委員の米長邦雄の「日本中の学校に国旗を掲げ、国歌を斉唱させるのが私の仕事です」という発言に対して。

■過去の歴史について(2005年12月)
「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います」
誕生日に際する記者会見にて。

■北朝鮮拉致問題について(2009年11月)
「今日の世界は決して平和な状態ではあるとはいえません。明るい面として考えられるのは、世界がより透明化し、多くの人々が事実関係が共有できるようになったことです。拉致の問題も、それが行われた当時は今と違って、日本人皆が拉致を事実として認識することはありませんでした。このため拉致が続けられ、多くの被害者が生じたことは返す返すも残念でした。それぞれの家族の苦しみはいかばかりであったかと思います」
即位20年に際する記者会見にて。



■戦後からの歴史について(2013年12月)
「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」
誕生日に際する記者会見にて。


■天皇という立場は孤独なもの(2014年12月)
80歳の誕生日に、美智子さまへの深い愛情と感謝を語った。
「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」
80歳の誕生日に際する記者会見にて



■東日本大震災の記憶を決して忘れてはならない(2014年3月)
「被災した人々の上には、今も様々な苦労があることと察しています。この人々の健康が守られ、どうか希望を失うことなくこれからを過ごしていかれるよう、長きにわたって国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を築くことを目指して進んでいくことを期待しています」
東日本大震災3周年追悼式にて。



【番外編】
日本最古の知的障害者のための社会福祉施設「滝乃川学園」訪問時のものと見られる画像。トランポリンをしていた同園の子どもが美智子様に抱きつくというハプニング。笑顔で抱きしめる皇后陛下。