改めて…。個人的に、新型ウイルスのパンデミックは、戦時中に等しい印象が強くなっています。
昭和の戦時下では、国民に多くの我慢(衣食住の制限、金属類供出、食糧は配給制、空襲警報で防空壕、灯火管制、延焼防止の建物取壊し=建物疎開、徴兵、学徒動員、勤労奉仕、学童疎開etc)が強いられ、同調圧力(国防婦人会、特高、憲兵の監視下)の社会に。
命より国の面目を優先する教育(御国のためという洗脳)。
それでも人は生きるための順応をするから、不便なりに工夫したり、配給が足りず、物々交換や闇市を利用。
凹んでばかりは居られない。命を繋ぐために、与えられた環境で、ささやかでも楽しみを見つけようと気持ちを切り替えていた。
今で言うメンタルヘルスなんて概念はないけど、昔の人はちゃんと「安全時、危険時」のオンオフを自分なりにコントロールしていたんだなと再認識する。
生き残るのは、今も昔もサバイバルなのだ。
コロナ禍、我々も最初は未知のものに皆恐れを抱いて大人しくした。
正体が徐々に分かり、短期間で進化する恐ろしいウイルスと分かったところで、それを防ぐ術はまだ持っていない。
八方塞がった、ここで順応(慣れ)が発揮され始めた。
(それこそ、ワクチンが唯一の個人装備の武器だが、機関銃並を期待した性能は手榴弾程度に格下げ。今後竹槍になるかも?)丸腰よりはマシだけど。
今の日本、有事(戦時下)であることを忘れてはいないけど、皆が「自分は疎開(マスクやワクチン)してるから大丈夫」と思い込んでるフシがないか?
実際は、逃げ場もなく、敵機(ウイルス)も目に見えないから仕方ないけど。
ワクチン配給と聞けば(密と知ってて)寝不足は危険と知りつつ闇市のように行列をなす。
名古屋市のA区役所・集団接種会場のように、お上のお達しで、多くの人員を割いてかえって密な状態を作り、係同士が暇に任せて無駄話をしている有様。(接種後待機椅子の距離は近かった💦)
肝心な人手不足の保健所への人員フォローをすればいいのに…(接種はこんなにやってますで、のポーズ作りに見える)。
こんな自治体だけでは無いけれど、首長によりやり方かがバラバラなのは事実。
(隣組の長の裁量で、その組の命運が変わる)
大本営(国政)に判断能力や指揮能力がないから、第二次世界大戦で被爆国となり敗戦した日本。
今、第三次世界(でのウイルス)大戦でも、最後に国民への情報不足や指揮の迷走による、原爆投下並の被害を呼ばない事を強く望む。(なんだか最後に割を食うのは呑気な日本になりそうな予感もする💦)
第5波で、国全土への感染拡大は、国民が緩んでいるだけではない。
国が情報を的確に出さず、時に誤った指揮を執るから、殆どの国民が我慢の中で従っている結果だ。
「感染拡大防止にご協力を」の(上から目線)CMに使う費用があるなら、もっと効力のあるCMを作って欲しい。
少なくとも、感染予防は"国に協力を求められるスジ"ではない。
「協力要請」では、所詮どちらも既に他人事だ。
自分事というメッセージを発信しないのは、国が自分事と思っていないからなんだろう。
募金に協力を!と言われてる様で。とても違和感がある。
我々の命と健康は、自らが自律的に守ろうとしなければ感染防止も不可能だ。
「感染防止への徹底を!改めて皆で初心に戻り、引き締めていきましょう!」という、"対等な目線"でのメッセージに直すだけでも、受け取り方は違ってくるのではなかろうか?