必用不急の宮崎と熊本(続き) | A Day in the Life

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気ままな絵筆

延岡から高千穂峡、高森を抜け、阿蘇の山腹にある温泉に向かう途中で、熊本地震の被害を感じることはなかったのですが着くと様子は一変していました。

 

 

 

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・温泉場まで間もなく。変わらない景色にほっとします。

 

 

 

温泉場の建屋で残っていたのは、足場が組まれて修復中の本館のみ、その他周りの建屋から野天湯の上屋まで、すべて新しくなって(まだ工事中のものも)おり、見事な復活の姿でした。

 

 

 

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・手前は新しい湯舟。奥は婦人がくつろがれていたので遠景で。

 

 

 

野天湯の混浴もそのままでしたが、誰もが浴衣を使用するなどユーザビリティが向上しており、このような気遣いが温泉の再開を後押ししたのだろうと思います。勿論、地震前と同様、老若男女問わずくつろげ楽しめる雰囲気は何ら変わりません。

 

 

 

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・よくぞ復活してくれました。

 

 

 

温泉から山道を下って国道に取り付く部分が通子止め復旧中で、上流側に大きく迂回して渓谷の対岸の国道に渡ってから、ようやく最大の被災地点にいることに気づきました。

 

 

 

・左が熊本市街へ、右は「温泉場」と高森・高千穂峡へ。

 

 

 

もう、削れた山肌は整形され、緑地化が進んでいますので、比べるためにの地震直後の画像を引用しました。大規模な土砂崩れが渓谷と道路を削り、さらに山崩れの大量の土砂が渓谷を跨ぐ「阿蘇大橋」を呑み込んでいます。地震当日、谷底に転落した乗用車が若者とともに見つかったのは四ヶ月後のことでした。

 

 

 

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・地震前は美しい「トラスアーチ」でしたが、こちらも美しい「カンチレバー」。

 

 

 

地震から四年の歳月が過ぎて、元の阿蘇大橋の場所は「駐車場」となり、橋台跡も被災のモニュメントになるのでしょう。下流には新しいランドマークの「新阿蘇大橋」が連結されて開通を待っています。地震の記憶を残しながらも着実に、そして力強い復興のレジリエンスが前進していました。

 

 

 

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・石積みの安定計算をグラフにすると相似の放物線になる不思議。

 

 

 

熊本城の近くの宿を取り、翌日は密を避け早朝に城内を散策、天守や櫓はニュース映像などで時々見かけますが、

 

 

 

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・天平時代以来(記録)の地震とすれば、1300年確立の災難。

 

 

 

崩れた石垣を間近に見るのははじめてで、ひとつひとつ「何が起きたのか」を自分に語りかけては途方に暮れてしまいます。二ノ丸まで来ると本丸の天守や櫓はシルエットになり少し救われた気にもなりますが。

 

 

 

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・ここからだとなにも無かったのかのような景色。

 

 

 

ふと、そばにいた婦人曰く、「熊本には戦国期から屋号を持つ石工」がいて、地震は負の側面ばかりではなく、石垣の修復は「伝統技術の継承・普及」の機会を生んだとの見方もできるとか。

 

 

 

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・伝統技術の継承を待つ石材。

 

 

 

南阿蘇のランドマークでもそうでしたが、二ノ丸に整然と置かれている石材をみると、熊本城もまた、人々の叡智と力強いレジリエンスの日々の中にあるのでした。そして、親しくなった婦人のネックストラップには交通誘導員のIDが。なんとファンタスティックな人々!

 

 

 

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・二ノ丸にある熊本県立美術館。

 

 

 

そのまま二ノ丸の美術館へ。下調べもせず行き当たりばったりでしたが、宿に置いてあったパンフレットには、細川家の「永青文庫」から里帰りした国宝の展示期間の終了間際という運のよさでした。

 

 

 

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・永青文庫所蔵国宝:細川ミラー(金彩鳥獣雲文銅盤)

 

 

 

連日の移動の疲れもあり、些か流し気味に回ってしまいましたが、著作権の制約がないものを撮影できたのはとてもありがたいことです。

 

 

 

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・永青文庫所蔵国宝:短刀無名政宗

 

 

 

当初はコロナ禍で、とんぼ返りの宮崎行のつもりでしたが、災い転じてGo Toのメリット以上に得るもののある行程になりました。

 

 

 

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 ・別棟の細川コレクション常設展示室は茶室の趣がある憩いの場。