暮れから日本海側に居座っていた寒波も移動して、松の内が過ぎる頃には穏やかな天気が戻ってきましたが、間が悪いことに二度目の緊急事態宣言。コロナに「慣れる」という表現は適切でないかもしれませんが、この一年の経験により冷静さを保ちつつ脇が緩まないように気を付けていますが、期末の行事や来年度の準備が一区切りつきましたのでちょっと気晴らしを。
ヤマトケタス(鯨)の化石は若松北海岸の三千万年前の地層から出土
ともあれ、あさイチで入館して企画展を観覧したのち常設展の会場へ。入口に近いところに「月の石」が展示してあり、「何故ここに?」と思いましたが、一昨年閉園した近くの「スペースワールド」から移設したものと気づくのに時間はかかりませんでした。
斜めに駆け上がる地層は太古の嵐(風速100㍍以上)の痕跡
私にとっては二度目の対面で、最初の対面は半世紀遡る「大阪万博のアメリカ館」。パビリオンの周りは長蛇の列で、入館するのに一時間以上かかり、眺めるのは数秒間でしたが、その前年の月面着陸の実況中継とともにしっかりと思い出します。
波の浸食でできた海食窪(ノッチ)の上部はカニやエビの巣穴の生痕化石、下部は地層
続いて目当ての「地学・自然史」の展示室へ。平日に早い時間でしたので会場は独り占め状態、おかげでスタッフから化石が出土した場所の情報を丁寧に教えてもらえましたので、その場所にも行って化石年代の時代感覚も味わってみることにしました。
浅瀬の潮が引いた跡には二枚貝(タマキガイ)の化石が至る所に
目的の「芦屋層群」までは一時間足らず、カーナビで何気に到着しましたが、どうも何時か見た景色のようで、地名は当時のままに「岩屋」でした。ここも半世紀ぶりで、当時は若気の至りで(遊泳禁止でしたので)人気のない夜半に泳いだり、女子と夕陽を眺めたりとか、こちらは思い出に少し甘酸っぱさもありますが。
昔遊んだ海岸はジオサイトに、水平線の左の彼方には対馬、その先は釜山
10代のころに半世紀後の自分のことなんて思い浮かべることすらありませんでしたが、何かが引き金になって、そのころからの人生を振り返ると、”New Cinema Paradise”のワンシーンのような。そして、心の中で若いころの自分に、「お前の将来は大したことはないけれど、元気でいるぞ!」と語りかけてみる。
”自我の統合”は難しいことでもなく、先ずは昔を思い出してみることから...