最近、美味しい水餃子を食べる機会が続いて、私、主食が餃子でもいいと思うほど餃子好き。
餃子というより皮の生地好きで、昔から中華街の肉まんの皮のほうに惹かれるものがありました。
そう、中華街の生地の発酵は、ほとんどが老麺法。そこに少しイーストを入れて膨らみと柔らかさを出すところもあると思います。
数年前に読んだ雑誌ダンチュウの横浜中華街の肉まん特集記事に、各店舗の皮の発酵法も書かれてあり、編集者さんに「よくぞ聞いてくれた!!」と絶賛しまくりながら読みました。
こんなところに興味を持つのは私ぐらいかと超マニアックと思っていたのですが、普通のことなんですかね?
みんな興味ありますか?
肉まんでも餡にはそんなに興味はなく、皮だけ味見したいといつも思う。
北鎌倉の円覚寺さんの麓にある薄皮饅頭屋さんの女将さん、店員さんと話していても、中のこし餡の素晴らしさを語られるけど、確かに餡も絶品ですが、甘酒を使ったこの薄皮の味もなかなか出せるものではないと、皮にも熱烈コールを送ってきました。
好きとか、興味とかは何でしょうね?本当に自分が好きと思っているのでしょうか?
猛烈に好きと思う気持ちと、別にどちらでもいいのだけどと冷静な気持ちが同時にあることに気づく時もあります。
子供の頃、アルコールのない甘酒を漠然と求めていて、初詣の茶店で『甘酒』を買ってもらうのだけど、いつもアルコールが入っていて飲めないし、求めている味はこれではないと思ってきました。
1年経って、昨年のことを忘れているわけじゃないけど、今年こそは違うかもと、またおねだりして買ってもらって、これじゃないと残す。
アルコールなしの米麹の甘酒を知ったのは、大人になってから。
これだと思いましたが、飲んだこともなく知らないものだったのに、「あるはず」と思っていたのはなぜか?と思うのです。
肉まんの皮にしても、本場らしいものは食べたことがなく、市販でよく売られている肉まんしか知らなかった頃から、中華街の老麺法の生地に惹かれていたのはなぜ?と思うのです。
細胞の記憶とか、遺伝子の記憶のような、何らかの記憶ではないかと思ったりします。
化学やテクノロジーが進化した中でも、私たちの中に刻まれたものがあり、何か思い出していくものがあるのではないかと思いを巡らしたりします。
ふと、水餃子を皮から作ってみたいと思い、出かける前に生地を捏ねておきました。
生地を寝かせている間に、ちょっと発酵させて菌に手伝ってもらおうと、お米酵母を入れました。
よく捏ねなくても、寝かせている間に菌がうまくまとめてくれると信じて、少し捏ねただけで冷蔵庫に入れました。
今の時期は気温が高く、過発酵してしまいそうなので、冷蔵庫です。
冷蔵庫から取り出した直後。6時間ぐらい冷蔵庫でした。常温であれば過発酵になっていたと思います。
使う1時間前に常温に出して使いました。
で、作ったのがこちら。
茹でたお湯に出汁醤油で味付けし、スープにしたのが一番美味しかったです(^^)
蒸したり茹でたりと、しばらく発酵生地と遊びそうです✨✨
そうそう、私が小麦粉を発酵させるのは、食べた時に胃に負担が少ないと感じるから。
消化が楽なので、小麦粉を使うときはいつも何かしら菌を入れるようにしています。
今日も皆様にとって良い一日となりますように!