夫婦別姓問題 たかじんTV非常事態宣言 20081208


宮崎哲弥
夫婦別姓論、臓器移植、輪廻転生などに関しては否定論者である。夫婦別姓に関しては、保守派の論旨ではなく、旧来の「イエ」制度批判の観点から否定している。なお妻との姓は異なる様に見えるが、戸籍上は妻と同じであり、婚姻時に妻の姓を称することとしたためである(『正義の見方』『夫婦別姓大論破』など)。

讀賣テレビの深夜番組『たかじんTV非常事態宣言』で、夫婦別姓のために最初の夫と事実婚を貫いた同局のアナウンサーの脇浜紀子と激論を交わした[15]。姓がファミリーネームである以上、別姓は夫婦の結びつきより実家との結びつきを優先する傾向に拍車をかけることになり、保守的な制度でしかないと指摘。選択肢を増やすなら、結合姓や新姓創設などとセットでなければ別姓の導入には賛成できないという。

政財界人・言論人の対米姿勢・対中姿勢を審査する記事において、アメリカに対しては、イラク戦争に関しては始めるべきでなかった点で反米だが、しかし反米思想が陳腐であり、姻戚や知人がアメリカに多く、また移住してもいいと思っている点で親米でもあるとし、総体としてどちらかと言えば反米であるとしている。中国に対しては自らの姿勢を「嫌中」としている「[16]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%93%B2%E5%BC%A5

夫婦別姓の問題点
家族の中核をなす夫婦が別の性であることは論理的におかしい。「創姓」なら理解できるけど・・・
創姓」とは、新しい姓を創りだすこと。夫か妻の姓にするのではなくて、新しい姓を創りだす。
鈴木さんと佐藤さんが結婚した場合、今の制度だと「鈴木」か「佐藤」のどちらかの姓を選ぶことになるけど「創姓」だと「伊集院」という姓にしても、「綾小路」という姓でもいい。夫婦が同じ姓ならばね。
http://www.geocities.jp/asatte8/huuhubessei.html

青野氏の夫婦別姓推進の主張を紹介したが、彼の主張を一言でまとめるなら、「夫婦同姓だと手続上色々と面倒である」、ということになろう。なるほど、この主張は確かに説得力を持っているように思える。結婚を経験した女性に対してはなおのことだと思う。

 しかし、彼のこれら主張が民法を改正して夫婦別姓を創設すべしという結論に結び付くものとは思えない。だいたい、手続上の問題を指摘するならば、その煩雑な手続を変えればいいだけで、必ずしも民法を改正する必要性はないはずだ。

 むしろ私としては、夫婦別姓を「選択的」にするほうが、かえって手続が煩雑になるように思える。

 その理由として、まず、子供が産まれたときの対応がある。

 平成8年に法制審議会が提示した民法改正要綱では、子の氏は統一することにしたが、別姓を選択した夫婦は婚姻時に子がどちらの氏を名乗るか決めるものとした。

 もちろん、現在の制度ならば夫婦は同姓でなければならないので、わざわざ子の氏をどちらにするか決めるまでもなく、子は自動的に夫婦と同じ氏になる。手続の煩雑さを言うのなら、こちらのほうがかえって「面倒」ではないだろうか。

 それから、子の氏をどちらにするか決まらない場合、そのリスクはどうやって処理するのか。こうした点から、社会の家族観を上手に反映して一つの制度を作り上げることは容易ではない。子の氏は、安定した家庭を子供に提供するという観点からの議論がなければならない。青野氏のように、目先の手続の煩雑さに囚われて夫婦別姓を主張することは、非常に危険なことである。

 次に、手続の煩雑さという理由を、行政や公共サービスを提供する側などの立場になって考えてみると、実は夫婦別姓は公務員の仕事を増やし、行政のスリム化という喫緊の課題と相反することになるのではないか。

 単純に考えて、これまで一つに統一されていたものを二つに分割すれば、その分仕事が増えるということは誰でも理解できる。夫婦別姓を選択的に導入することによって、公務員の窓口業務の仕事量が増加したりはしないか。

 そして、現在では国家公務員であっても、2001年10月より旧姓の使用ができるようになっている。ということは、現行のままで夫婦別姓を選択的の導入するということは、仕事でもプライベートでも結婚後の氏を使う夫婦、プライベートでは結婚後の氏だが仕事では婚姻前の氏を使う夫婦、そして、夫婦の氏が別々の夫婦、という3つのパターンの夫婦が出てくるとも言え、このことは後述するように徒に社会の混乱を招きはしないか。

 したがって、厄介なのはこの夫婦別姓が、夫婦同姓を廃止して夫婦別姓を導入するというのではなくて、夫婦別姓か夫婦同姓かを各個人が自由に選択できるという「選択的夫婦別姓」にある点だ。確かに青野氏の言うように、選択肢は多様であるほうが人は幸せである。しかし、ことは家族という社会の基盤となる制度に関するものである。よって青野氏の主張は些か短絡的ではないか。

 「選択的」ということは、これまでと違い、夫婦のあり方が二種類になるということだ。二種類になることによって選択の幅は広がるが、それによる社会の混乱は制度導入のメリットを上回るものだと思う。

 そもそも、氏を決めるというのは、単なる個人の自由でどうにかしていい問題ではなく、社会全般にかかわる公的制度の問題である。私は平等と自由ならば迷うことなく自由を選ぶが、社会制度の根幹である家族の統一を図るのに必須の氏についてまで、それを各人の自由な処分に委ねるという主張には、全く賛同できない。

 ところで、上記産経新聞のアンケートによれば、選択的夫婦別姓を導入しても、それを活用するかという問いには56%が「ノー」と答えている。夫婦別姓導入の理由に国民からのニーズがあるとすれば、その当の国民がノーと答えているのに、導入する理由は一体何なのかということになる。

 最後に、夫婦別姓を導入する者はしばしば、憲法上の男女平等を持ち出す。しかし、そこで、これについて批判をしておく。

 まず、男女平等の思想から夫婦別姓は帰結しない。夫婦は同じ氏を名乗るか別の氏を名乗るかを、婚姻の際に確立5割のくじによって決める制度も男女平等の思想には反しない(内田貴『民法Ⅳ』)。

 次に、これについては既に岐阜家庭裁判所が、「親族共同生活の中心となる夫婦が、同じ氏を称することは、主観的には夫婦の一体感を高めるのに役立ち、客観的には利害関係を有する第三者に対し夫婦であることを示すのを容易にするものといえる。したがって、国民感情または国民感情及び社会的慣習を根拠として制定されたといわれる民法750条は、現在においてもなお合理性を有するものであって、何ら憲法13条、24条1項に反するものではない。」と判示している(岐阜家審平1・6・23)。私はこちらの主張のほうが説得的だと思う。

 なお、しばしば夫婦別姓の国として韓国が出てくるが、その理由は、氏は父系血統を表示するものとして不変のものとされ、夫の血統の家庭には入れないという思想ゆえであり、夫婦別姓を主張するフェミニストのような理由によって夫婦別姓が敷かれているわけではなく、むしろこの思想はフェミニズムと正面から対立するものであることを付言しておく。
http://blog.goo.ne.jp/milk-cookies_1983/e/a711d35dd9aa98cb9028f6ed9770010c

家名を守ることが日本の美徳だったのにね。
家名に恥じないよう行動し、結果的に規範と道徳を守る基にもなってたのに。
過去が有るから現在があり、ご先祖様があるから我々が存在する。
現在の自分のふるまいがご先祖様にも未来の子孫にも全てかかってくるわけで、そういう縦軸の繋がりを意識するからこそ自信のふるまいを戒められるはずだ。
また、同じ時間に生きている兄弟、親戚とのつながりといった横軸の繋がりを意識することで、やはり己のふるまいを戒めることができる。
日本が世界の国々と比べて安定しているのは集団主義に基づく戸籍や家族制度が大きく関わっている。
外国の例を持ちでして、夫婦別姓をさも当然のようによう言う人達は、個人主義が故に治安が悪いことは無視してしまっている。

父「お前は父さんと同じ名字がいいよな?」
母「私と同じがいいよね?」


子供「・・・選べないよ・・・」

全ての家庭で起こりうることだな、これは。
民主は国民の生活が第一じゃないの?
家庭崩壊の地雷ばら撒いてるだけじゃない?

夫婦別姓にすれば戸籍の意味も薄れてくるし、中国人のような日本の文化が大嫌いだが、お金だけが欲しく日本人と結婚したがる怪しい人間が日本社会に蔓延することになる。

しかし、政権とったらなんでもやったもん勝ちなのかよ。