国旗の重み 建築編~悲しき誇り~


 ウズベクには1945年、極東シベリアから約25.000人の日本兵が強制移送され、13の収容所に分けられ、過酷な労働を強いられたにも関わらず抑留者たちは、『日本人たちは素晴らしい』というイメージをウズベク国民に植え付け、親日感情が強い中央アジア諸国の中でも日本人への好感度は飛びぬけている。その源であり、ユーラシアで語り継がれている「日本人伝説」のシンボルが、約500人の抑留者がタシケント市に2年がかりで建設したナポイ劇場だ。

 捕虜という厳しい環境下で勤勉に徹し、当時の地元民に敬意を表された。66年の大地震でタシケント市内の多くの建造物が倒壊した際も、この劇場はビクともせず、「日本人の建築技術は高い」という評価が定着した。96年にカリモフ大統領の指示で、壮麗なナポイ劇場には、日本人抑留者の功績を記したプレートが掲げられ、ウズベクの日本人に対する尊敬と感謝の思いが名実ともに歴史にとどめられている。日本人抑留者の「遺産」はナポイ劇場にとどまらない。

 日本人がつくった水力発電所や運河、道路などが国内の至るところに残り、ウズベクのインフラを支えている。中山恭子元駐ウズベク大使は在任中に、いまも国民に電気を供給している水力発電所の建設を仕切った元現場監督に会った。この人物は、まじめに、そして懸命に汗を流していた日本兵抑留者たちの思い出を涙ながらに語ったという。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid744.html

たとえどういう立場に置かれようと、日本人の誇りを忘れない先人達。
これぞ、大和魂ということだ。
これがどこぞの民族なら、できるだけ手を抜いて、欠陥のある建物を建築していただろうね。
日本人だからこそ、日本の名誉にも関わることだからと考えて、手抜きをしなかったんだろう。
涙なしでは聞くことができない話だよ。
現代を生きる日本人も先人達に負けないような立派な生き方をしようじゃないか。