バービーさんが気づかせてくれたこと | ミントタイムス

バービーさんが気づかせてくれたこと


我が家にある、しっかりとした骨格と太ももを持ったバービーさん。自らもしっかりとした骨とふとましい太ももを持ち""華奢"でないことにコンプレックスを持ち続けてきた私は彼女に親近感を抱き一目惚れ。

子供の頃から、リカちゃんジェニーちゃん(超ロングヘアのティモテもいた!)バービーちゃん等、着せ替えお人形遊びが大好きで、いつかは興味を失うだろうと思っていたのに、どっこい大人になった今、興味は失せるどころか放っておいたら増すばかりで…一度足を踏み入れたらきりがなくなってしまう予感しかしないためそっと封印したままにしようと思いながらも、数年前とうとう再び手を出してしまい。

買い集めることは出来るだけ控え、手元にあるお人形さんを「可愛いなぁ・・・」と、時折取り出してはとてもひとりむふふと愛で楽しんでいたのですが、その手のお人形さんに親近感を持つなんて、よくよく考えると初めての経験で。


田舎の素朴な町の片隅にある平屋の散らかった子供部屋でそのお人形さんたちは私の手の中にありながら、同時に<私には手が届かない>世界に存在していて。

そのお人形さんたちは

”女の子の憧れ”

を体現すべく現実離れした設定をまとわせ生み出されたものなのだからそれは当然のことであり、憧れは憧れとして自分とは全くの別世界に存在する彼女たちのきらめきにため息をつきうっとりするのもまた楽しいことでもあったのですが、そこには「自分はそうではない」というはっきりとした線引きがあって。

成長していく過程で度々発作のように自分を醜く感じてしまい自分を受け入れきれず「恵まれている筈なのに、なんで、なににこんなに苦しんでるんだろ?」ともがき、訳を知りたくて色んな本や考えに触れ自分自身を振り返ったときに、お人形さんの存在だけには留まらない、もっと、世の中全体にぼやぁっと、でも確かにに引かれていた”美しいとされるもの”の線引きを自分の裡に取り込みそれにじっとり侵されながら、その基準を全う出来ていない自分を無意識にずっと責め続けそれに縛られ徐々に締め上げられてきたのだということに気がつき。
そして、もうキチキチに喉元しめられ息も浅くなり苦しんでいるはずなのに、その苦しさが当たり前のことになりすぎていて自覚することが出来ていなかったということも。

たかだかお人形のことで飛躍しすぎだろうと思われるかもしれませんが。

自分でも、びっくりでしたもの。

大人になった今、まさかバービーさんから、癒やしや楽しみとはまた違った
<肯定感>
をもらえる日が来るなんて。


【この体型の人形が作られ販売されている】


【無理難題な課題をクリアしたファンタジーな体型でなくとも、この形で社会に存在していい】


【この社会に受け入れられている!!】


「社会に受け入れられてるって…そんな疎外されてきたわけでもなかろうに大袈裟な」なんて思われるかもしれませんが、それはもうストンと、自然にそんな気持ちになれたのです。
自分でも上手く説明の出来なかった居心地の悪さが、サッ、と一つ払われたような。

端から見たら取るに足りないことのように思えるかもしれないけれど、取るに足らないとして蔑ろにされることこそ重要なパーツの一つだったりしますし、進路が一ミリ変わるとたどり着く先が大きく変わっていくように、心の向きを一ミリ明るい方へ変えていけるきっかけがあればどんな些細なことでも決して馬鹿にしてはいけないと信じているしで。

私の人生を生きるのは私自身なのだから、誰かが決めたガチガチの人工的な美の基準に自分の心身の骨格を歪めてまで無理に合わせるのではなく、持って生まれた性質や特質を慈しんで美しく心地よく感じられるようにありたいと思ったバービーさんとの出会いなのでした。
ちなみに、写真右隣のバービーさんは義足バービーさんです。
かっこよくてこちらもひとめぼれ!!

文字サイズ調整出来なくてでか文字になってしまいましたが、、、今日も長々なひとりごとにお付き合いありがとうございましたm(_ _)m

新緑の季節、みずみずしい香りを深く吸って心身の隅々まで酸素が行き渡るような深い呼吸ができますように。