話の前に、ドラえもんの基礎知識として、住んでいるところを一つ。
住所がなんと15巻に出ております、といっても骨川スネ夫さん宅ですが。
「東京都練馬区月見台すすきヶ原3-10-5」
そして、2125年には、野比家は
「トーキョーシティ ネリマブロック ススキガハラストリート」(21巻)
に住んでいることになってます。
ずっと練馬区に住んでいるんですね、ちなみに野比家は、のび太が静香と結婚している頃には、高層マンションの12階68号室に引っ越していて(6巻)、再開発された街は、野比家があった場所は、公衆便所に変わっています。
そんな練馬区の通勤事情が垣間見れる話です。
高度成長期の日本、野比家の大黒柱、パパは会社へ。
ある日、ママとのび太とドラえもんは、デパートに買い物にでかけます。
いい時間になって、パパが会社から出てくるのを待ち、一緒に帰ります。
← 混んでますね
練馬へ帰る際、しん~と、みなみ~の駅間で、しん~が最寄り駅のようです。 ←ママの左にいる人、怖いですね
ちなみに練馬区へ向かう鉄道で、該当する駅を探しました。しかも地下鉄でノンストップで5分で着いてしまう好立地。
丸の内線には、南阿佐ヶ谷~新高円寺間があります。昔から走っていますし、次のコマに出てくる車両も、昔の丸の内線に似ています。しかしここから練馬へ帰るというのは現実的ではありません。そして地上を走っているシーンがあるので違います。さらにのび太の街にも駅があり、パパの傘をのび太が届けるシーンがなんども出てきます。つまり、最寄り駅まで鉄道で通勤しているわけです。南阿佐ヶ谷~新高円寺間だと、練馬まではバスで帰ることになってしまいます。
もうひとつに、新宿駅が濃厚ですが、みなみ~の駅に向かうのは、南新宿駅のある小田急線のみ、これでは練馬区に向かうことはできないんです。しかし、ほかの話に、小羽急デパートに行くシーンがあります。藤子大先生作の「オバQ」とかけただけなのか、「小田急」とつなげたのか。
練馬は西武線ですが、小田急線がたくさん出てくるのは、藤子大先生が小田急沿線に住んでいた(川崎市生田)ことにもつながるのかと。 結局本当の駅は謎のままです。
こんな大混雑した電車に、毎日乗って通勤しているパパ。なんたって帽子は飛んでるわメガネも飛んでるわで、なかなかすさまじい こんな状況を目の当たりにしたのび太は、クリスマスプレゼントにパパになにかしたいと思います。
のび太は、「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人」(25巻)なので、彼なら当然の想いです。
そこでいきなりおもいつきます。 のび「わあい、わあい。」 ドラ「よかった、よかった。」
次のコマでは「む、むちゃな。」 まったくです。無茶すぎます。
しかし造ってしまいます。 「穴ほり機ならあるけど……。」
ちなみに、掘り進む角度を間違え、川に突っ込みます。
本来なら、これで野比家の前まで水没ですが、ここはマンガ(笑)軌道修正して堀り直します。
いえいえ、東京の地下は穴だらけです、いつどこで掘っててもおかしくはありません。
←いつもは、そんなに汚して!!早く着替えなさい!!お洗濯する身にもなってちょうだい!!と怒鳴るママなのに、意外です。
そしてクリスマス当日。
パパの驚きは少年のようです。
ってゆーか、実の息子がコスプレしているようなものです。すぐに気づかないものなのか。あっ、ばれないように事を進めるのび太を思って、わざと驚いてあげたわけですね。さすが優しいパパですね。
ドラえもんはバレバレもいいところですが。
ここで疑問。のび太のパパの名前は、のび助のはずです。ちなみにのび太の息子はノビスケですが、のび太は、のび~が付く名前のレパートリーが尽きてしまい、やむを得ずパパの名前を使ったことになっていますから、間違いありません。なぜにのび三?パパの名前を間違えるわけはありませんし、居候したてのドラえもんが間違って書いてしまったのでしょう、きっとそうでしょう。決して藤子大先生の設定変更ではありません。
もう飽きたのか、制帽は脱ぎ捨てています。
それにのび太くん?学校行かないのかい?東京では終業式ぐらいの日にちだと思うんですが?
こんなにうまくいくはずがありません、ドラえもん、この後非常ブレーキをかけます。
「ここは、本物の地下鉄が通るんだ。」
急いで別ルートを掘るも穴ほり機故障
光が差し込みます。ってゆーか、開けっ放しマンホールってどうなんでしょう。。。
車道からおはようございます
この話は心温まる反面、突っ込みどころも満載です。
※ ちなみに途中で遭遇した本物の地下鉄、パパの通勤区間が練馬から新宿と仮定した場合、交差する地下鉄は東西線がありますが、発刊したときはすでに開通していました。工事中なのはおかしいですね。
もう一つは大江戸線です。しかし交差してしまう区間(練馬~国立競技場間)の開通は1997年。さすがに20余年も前から工事はしていないでしょう。
驚くべきは、交差してしまう区間の計画が発表されたのが1972年。
この話は、定期に49年とあることから1974年ですから、計画があったときに、いち早く反応し、すでに平成の地下鉄を思い描き、ドラえもんワールドの中で大江戸線は着工していたのかも知れません。
藤子ワールドは素晴らしすぎて恐ろしいです。