ひとしきり食事を終え、テーブルの上を片付けた母は、数種類のアルコールを並べた。
ワインやウィスキー、そして特別な日にだけ父が飲むという高価なブランデー。
グラスや氷、おつまみ用のチーズや手作りの惣菜などを、鼻歌混じりに手際良くレイアウトしていく。
ちょっとした、飲み屋のママさながらである。
 
「どれでも好きなだけ飲んでちょうだいね」
 父の大切なブランデーを、いとも簡単に田中さんのグラスに注ぎ込む母。
 
「すみません。僕はブランデーはあんまり…」
 
「ブランデーは飲めないのか?」
 
思わぬ田中さんの反応に少しほっとしている父。
こんな高価な物を、ごくごく飲まれた日にはたまったものではないのだろう。
 
「ところで、彼女はいらっしゃるんでしょ?」
いきなりの母の質問に固まる田中さん。
 
『… そりゃ私でも固まります!』
 
 
「いえ、今は居ません」
きっぱりと答え、彼には不似合いのぎこちない笑顔になった。
 
「じゃあ、いつまでいらっしゃったのかしら?」
 
デカ長も顔負けの事情聴取に、何故か私のほうが居たたまれない。
ここで口を挟むと、私にとばっちりがくるのを承知で彼に助け舟を出した。
 
「そういえば… お母さんはお父さんと結婚する前、どんな人と付き合ってたの?」
 
 …気のせいか、母の私を見る目が恐くなった。
 
「もう、忘れちゃったわよ。昔の事を悠長に想い出してる程、心に余裕なんてありません!」
 
つんとした母の言葉に少し驚いた私と田中さんは、思わずお互いの顔を見合わせた。
 父はというと…、 ただ黙ってブランデーのグラスを傾ける。
 
 障らぬ神に祟りなし…。
 
「どうせ雪は、理想が高過ぎるんでしょ。もっと無難な人を選んでみたら?」
ほら、やはり私へと風向きは変わった。
 
「別に理想なんて高くないよ。仕事が忙しくて時間がないだけ。そのうち見つかるわよ。」
他人が居るんだから、今日ぐらい私の恋愛事情は勘弁してほしい。
 
「僕の好きじゃない言葉だなあ。」
口元に近づけた水割りのグラスをわざわざテーブルの上に置いた彼は、残念そうに呟く。
 
「え? どの言葉?」
母が不思議そうに田中さんに聞き返す。
 
「無難… ですよ」  田中さんは即答した。
 
「僕には、好きじゃない言葉ベスト3っていうのがあるんです。」
 
『えっ、田中さんも自分の嫌なものに順位をつける人なんだ!』
私は彼に共感し、そして新たな興味を抱いた。
 
「ワースト3位は、何なんですか?」
 
今度は、しっかりと彼の目を見ながら聞いてみる。
『会話する価値のある人かも…』
失いかけていた彼への期待が、再び湧き上がってきた。
 
「3位は、どうせ… です。 良く使う人いるでしょ、僕は好きじゃない。ネガティブな言葉だから。」
少し酔い始めた彼の喋り方は実に流暢で説得力がある。
 
「へえ~。 じゃあ2位と1位は、何なの?」
今度は母が田中さんに興味を持ったらしく、詰め寄るように彼に聞いた。
 
「2位は今、奥さんが言った無難… て言葉です。 僕自身、無難でありたくないので。」
 
「じゃ、 1位は?」 
思わず私も、彼に詰め寄った。
 
「1位は、 今でも良く使われている言葉です。 ムカつく… とかっていう。 僕は、あれが1番聞きづらいなあ。言葉の響きが、カンに障るので。」
 
 
私は…、
何だか自分を否定されたようで、急に恥ずかしくなった。
確かに聞きづらい言葉かも。
少なくとも田中さんに好感を持たれようと思うなら、この『ムカつく』という言葉は禁句にしておいた方が良さそうだ。
 
いつしか私は、田中さん色に染まろうとしている自分に気づいた。
 
『好感を持たれたい』 と異性に対して思うのは、何年ぶりであろうか。ずっと同性との人間関係だけを重要視していた事に、今更反省した。 
 自分磨きなんて…。  遠い昔に置き忘れてきたのかもしれない。
 
まるで微熱のような熱い感情が、久しぶりに私の全身を覆い始めていた。
そして、それは10代の終わりに経験した『初恋』の感覚に似ているような気がするのである。
 
 
                 ~次回へ続く~