「父が男らしい? それって… もしかして、からかってるとか?」
 
答えによっては、彼の顔に軽くワインをぶっかけて自分の部屋に戻ろうかと考えている。
父への侮辱ならば、一応娘として仇を討つ使命がある。
 
 
「いえ仕事も出来るし部下の扱いも上手い森さんが、何故係長止まりなのかが… ずっと不思議だったんです。」
 
そんな事… 私は改めて考えた事もなかった。
 
 
「普通に、ただ出世できなかっただけじゃないんですか?」
 
他に何があるというのか。
 
実力のある者は何処までも上り詰め、ない者は… そこまでの人として定年を待つのみ。
それだけの事である。
 
「十年くらい前に、奥さんが入院したんでしょ? 僕も河野っていう部長から内密に聞いた話なんですけど…。」
 
 
十年前?
まだ私が二十代の時… 
母親が入院した事なんてあっただろうか。
 
遊びほおけていた若い時の記憶など、自分の事以外皆無に等しかった。
しかし、言われてみれば確か父が病院にお見舞いに行くという姿を何度か見た記憶があるような…。
 
だが家族として、いや娘としても覚えていないのは致命的である。
この際、家族想いの娘を演じてみよう。
 
 
「そう、確かに母が入院してた時期もありました。」
 
是非とも病名は聞かないでほしいものだ。
 
 
「奥さんは、どんなご病気だったんですか?」
 
願いも虚しく、田中さんは母の病名を聞いてきた。
 
 
「えっと、えっと…、 あれです… 過労です。」
 
 
「過労ですか。 倒れられたんですね、きっと。」
 
『過労』という曖昧な言葉で、この場はごまかせた。
 
 
「十年前の母の入院が父の仕事と、どんな関係が?」
 
彼の言いたい事が、いまいち理解できなくて的外れな感じさえする。
 
 
「その時に係長は、仕事よりも奥さんの介抱を選んだとか…。 僕は部長から、そう聞いた事があります。」
 
私は…  私は…
 
 
「奥さんは退院しても暫く静養が必要な状態だったので、係長が看病していたとか。」
 
私は…
突然この家に違和感を覚えた。
 
 
「母の看病で父の仕事に、どんな影響が?」
 
私は、とにかく知りたかった。
その頃の母の状態、そしてそれに対する父の行動を…。
 
 
「その当時うちの会社は残業も当たり前で、重要な会議も頻繁にあったらしい。 でも、係長は毎日定時で帰宅したそうです。 それに、会議にも遅れるようになったり…。」
 
 
「だからその結果、今も係長のままだって事なの?」
 
 
「はい、そのようです。 やはり貴女にも事情は説明してなかったんですね。 そんなとこも… 係長らしいなあ。」
 
 
「らしい? そんな大事な事を娘の私に一言も言わないで何が父親らしいの? 何で男らしいのよ!」
 
胃の奥から込み上げるような言い知れぬ怒りを、田中さんにぶつけた。
 
しかし、本当は自分自身に腹が立って仕方ないのだ。
私は両親が苦しんでいる時に、何も手助けさえしていないのだから。
 
何ひとつ…。
 
 
「心配をかけたくなかったんだと思います。 係長って自分の事より、人の事を考える方ですから。」
 
どうして娘の私よりも他人である田中さんが、父の人柄を知っているのであろうか…。
 
家族とは、どんな形であるのが理想なのか。
親子である事に、いったい何の意味があるのか…
 
全ての常識と、そしてその中での在るべき自分の位置が、私の中で混乱している。

この家族に私が存在する理由が果たしてあるのか?
 
胃の奥から込み上げていた怒りは急激に冷め、やがて隕石の塊のように今度は私の胸を突き上げていた。
 
 
 
 
                ~次回へ続く~