母も田中さんも、それぞれの部屋で過ごしている。
 
私と父の闘いがリビングで繰り広げられようとしているとは、想像だにしないだろう。
 
 
 
「お母さんは何の病気で入院してたの? で、何で私に隠してたの?」
 
 
感情的になるのは得策ではないと直感した。
父の顔つきが、今まで見たことのない緊張感で張り詰められていたから。
 
 
私は冷静を装い自分に言い聞かせた。
『喧嘩じゃない。 これは大人同士の話し合いなんだから。』 …と。
 
 
 
「それじゃあ、逆に聞くが… 自分の母親が入院して家を空けていたのに、どうして気が付かなかったんだ?」
 
 
父は私から目を反らすように俯き加減で問い掛ける。
じっとテーブルを睨んだまま…。
 
 
 
「それは…。 それは、私もはっきりとは覚えてないけど・・・」
 
 
私が言い終わろうとする言葉に被せるように、父は怒鳴った。
 
 
 
「知らないんだよ、雪は。 何も知ろうとさえしなかったんだ、家の事を。」
 
 
 
父が…  怒鳴った…
 
 
 
「おまえは、昔から俺達の事を恨んでいた。 顔や言葉にさえ出さないが、心のどこかで俺を馬鹿にしているじゃないか。」
 
 
『そんな事ないよ』 とは言えなかった。
 
なぜなら… あながち、父の言ってる事は間違いではないから。
 
 
 
「ある時期から俺はずっと、おまえに冷たさを感じてきた。
時には… 自分の娘とは思えないほど。」
 
 
 
―なんて憎しみのある父の表情―
 
 
 
そんなに私を嫌っていたのであろうか。
今まで… ずっと…
 
 
 
「いつから?」
 
 
思わず父に尋ねていた。
 
いったい何時から私に憎しみを抱いていたのか、知りたかった。
 
 
 
「いつからって、何がだ?」
 
 
 
「私を嫌いになったのは…」
 
 
 
「別に、嫌ってる訳じゃない。 きっと、お互い馬が合わないんだろ。」
 
 
 
「合わない…? お父さんはそんなふうに思ってたの?」
 
 
頭の血管がドクドクいっている。
怒りと驚きで、耳鳴りのような奇妙な音が聞こえてくる。
 
 
 
「拓海は…、拓海は俺に似ている。 しかし、おまえは… 俺とは似ても似つかない気がして・・・」
 
 
何を言っているのだろう、この人は。
 
これが、私の父親…。
 
 
間柄はまるで、他人である。
これじゃあ、お互いに何の信頼関係も何の愛情も何もないではないか。
 
 
『もう、この人とは話し合いの余地はない』 私は、そう確信した。
 
 
 
すると、私の傍で何やら風を感じた。
振り向くと、母が私を見つめながら立っていた。
 
悲しそうな、哀れむような瞳で、今度は父のほうを見遣った。
 
 
 
「あなたは、あの事をずっと疑いながら暮らしてきたのね。 自分の勘違いと思い込みだけを信じて…。
私の事は、これっぽっちも信じていなかった。」
 
 
 
「いいや、信じていたよ。 だから、ここまでやってこれたんだ。」
 
 
 
「いいえ嘘よ。 あなたは私を疑い続けてる。 こんなの…
夫婦でも親子でもないわ。」
 
 
母は足早に寝室へ行ったが、すぐにまた戻ってきて父の左腕を掴みながら叫んだ。
 
 
 
「雪は… 正真正銘、あなたと私の娘です。」
 
 
母は、興奮して裏返った声を必死に振り絞っていた。
 
 
頬に伝った大粒の涙をパジャマの袖口で大雑把に拭うと、まるで行進するように大股で寝室へ戻って行った。
 
 
 
 
もう、何も聞きたくなかった。
ただただ… ゆっくり眠りたかった。
 
 
私が、まだ父に愛されていたであろう少女時代にタイムスリップして…
 
安心と信頼に満ちていたあの空間で…
 
 
ゆっくりと…
 
 
眠りに就きたかった。
 
 
 
 
 
               ~次回へ続く~