残業中にチェーンの丼屋に行くと、店員の名札は大体カタカナで書かれている。
片言の日本語で注文を取り、ワンオペで店を回す浅黒い肌の彼のことを、
私は知らない。
遅めの時間に保育園へ行くと、ツナギを着たママが子どもを迎えにきている。
彼女がどこでどんな仕事をしているのか、
私はその日常を思い浮かべることができない。
髪を切る美容師の手に目をやれば、乾いた地面のようにひび割れている。
爪まで変色させてしまうほどに積まれた彼らの努力について、
私は想像さえすることができない。
毎朝おなじベンチに座り卑猥な言葉をかけてくる、爺さんの家を私は知らない。
秋葉原の高架下で段ボールに囲まれて眠る夜のことを、私は知らない。
毎年個展を開くホームレスのKさんがどこでどう絵を描いているのか、私は知らない。
たまに家の近くを爆音と共に通り過ぎるバイクの主の心のうちを、私は知らない。
そうやって知らないことが多いのに、
自分のことばかり、自分が知っていることばかり、
伝えようと声を張り上げることは、とんでもなく不誠実な気がしてならない。
世の中は役割分担で出来ている、そうだとしても、
私はもう少し、時間を充てるべきなのではないかと思っている。
自分の意見を支える情報を効率よく探しまわることではなく、
耳目に入れようとしてこなかった現実に、身体からぶちあたってみることに。