何年か前に課題で「幸せ」って題で小論文かなんか忘れたけど書く機会があった。

幸せってなんだよって単純にめっちゃ悩んで、その頃は謎に良い文を書く事でめっちゃ必死になってた。どっかの誰かの幸せについて書いてる本を読み漁ったりした。今じゃ何一つ覚えてないけどね。

 

で、もはや生きてる事自体が幸せなのか?って考えもよぎった。

じゃあイコール死ぬ事は不幸?って言われたらそうでもないんじゃね?ってなった。

 

多分生きるも死ぬも、人のその時の環境とか、心境で感じ方が変わってくるんだろうし。

当人じゃなくて周りの人の方が、幸せも不幸も左右すると思う。

 

大好きな人が死んだら、残された側まじできついものがある。

 

逆に虐待・パワハラなどなどをしてきた人が死んだら残された(された)側からしたらハッピーでしかないんじゃないかな。

 

だから結論としては、生や死は「幸せ」という事を考えるには題としてはふさわしくない。ってのが何年か前の自分が出した結論。

 

今の自分もその点に関しての考えは変わらない。

変わったことと言ったら家族に置き換えた場合かな。命は重いっていうけどそうかな?って思う事がある。僕は一人しかいないから抱えられるものが限られていて、全部を大切にすることなんてできない。身内がそうなったら~とかそんなのどうでもいいんだよね。今のご時世、コロナに身内がかかったら、とかいうけど周りはどうなの?感染するものは感染するし、死ぬときはみんな死ぬ。逆に言えば、死なないときはみんな生きてるんだよ。

 

命なんて軽いんだよ。

家族の命も、他人の命も。

 

極端な話、蚊がいたら手でパンって一発で殺すでしょ。

それでその蚊の命は終了。軽いもんでしょ。

人間だってやろうと思ったらすぐ死ぬし、運よく今僕もそこの君も生きてるだけ。

0か100しかないんだよ。

 

抱えきれない命なら、軽く抱えない方が良い。

自分の命だけで精一杯。

それなら変に他人に期待させない方が良い。

 

自分以外自分じゃないし、全部軽いし、自分を守るしか僕にはできない。

 

宗教とか信じてるわけじゃないけど、昔から思ってることは死ぬときって生まれたときにもう決まってるってこと。

どれだけすごい災害が起こっても死ぬ人は死ぬし、生きてる人は生きてる。これは運命とかそんなんじゃなくて、既に決まってることなんだよ。どう足掻いても変わらないし、変えられない。死ぬまでの過程は自分次第で変えられても死ぬときは決まってるって僕はいつも思う。

 

そうじゃないとやってらんないよ。

どうしてあいつが生きてて、あの人は死んだのとかいう場面に出くわしても「あぁ、これは決まってたんだな」って思ったら吹っ切れる。

 

 

決まってる事を重い軽いでみる事自体間違ってるんだ。

 

 

何言ってるのか分かんないと思うし、賛否両論あると思う。

でもこういう考え方もあるんだな程度に思ってくれたら嬉しい。