5月13日 | 猫と私、チャミィ母の日記

猫と私、チャミィ母の日記

ブログの説明を入力します。

本日珍しく2回目の更新になります

昨夜またたびさんの許可をいただき
ブログを書きましたが
川越市山田で保護した猫さんのこと
またたび家ブログに新しく更新されました。

ほかにも情報がありますので、
ぜひご覧いただけたらと思います。


リブログ、いいね
いただきました皆様
ありがとうございます








次女は、現在腎盂腎炎の治療で入院中です
だいぶ熱もあがらなくなり
あとは本人の回復力を願いますが
腎臓に膿がたまってしまったようです。


今年は私も手術入院したし
病気の当たり年?

いやいや、勘弁してほしいです



今日は父の一周忌の法要でした。
娘のこともあり、今回は不参加です。

母と姉家族、そして主人に参列してもらって
いますので、遠くから祈ります。


私自身の話です。

どうぞお時間ある方だけどうぞ



父の母である祖母が亡くなったときに
祖母の生まれ故郷の山梨にお墓を
父が建てました。
このお墓には、曽祖母、曽祖父、祖母と
父が眠っています。


東京大空襲のとき、小学校卒業であった父は
当時下町の墨田区に住んでいて

ほとんどの家が燃えて、父が住んでいた
長屋も燃えました。
行くはずだった中学も燃えました。


晩年、痴呆が進んで大変だった祖母も
空襲時は、家族や長屋の年寄りを
みんな防空壕に送り、荷物を運んで
大変活躍したといいます。


キックボクシングや相撲が好きで
故郷の富士櫻という力士を応援してました。
歴代飼っていた猫の名前は何故かポチ


孫の顔も自分の名前さえ忘れても
朝は朝日に向かって、長い髪を櫛で
といていました。明治の女性でした。


戦火を免れて、シングルマザーだった祖母
年とった曽祖母と父、親戚を頼ったいった
福島では隙間だらけの物置小屋でした。


勉強ができて、貧乏で、標準語を話す
父は中学で、生意気だと
壮絶ないじめをうけたようです。
が、ある日一番の番長をやっつけて
いじめはなくなった武勇伝を
耳にタコができるまで聞きましたが。


そんな福島の生活は寝てると雪が
枕元に積もっている寒さで
年をとった曽祖母はそこで亡くなりました


当時は土葬で、福島を去る際に
埋めたところの土をもってきて
その土はお墓の下にあります。

その曽祖母は本妻ではなかったようです。
お墓を建てる際、
無縁仏状態になっていた、曽祖父の遺骨を
一緒に父はお墓に入れました。


そんな父の想いは、
もう聞くことはできないけど、

だいぶ苦労もしたけど
短気で、わがままだった父

戦争がなかったらもっと違う
人生があったかな…


どうか安らかにお眠りください。



そして、一人暮らしの母のこと
考えていくからね







大阪に離れて暮らす長女から
プレゼントが届きました。



さて!

もう少し母親業は頑張って
迷惑かけないおかあちゃんでいないとね





エイズ陽性ですが、

甘ったれの小雨


こっそり里親様募集しております





長い記事
読んでいただきありがとうございました