ちゃぬの裏韓国日記 -3ページ目

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

5. Re:サタンのシナゴーグ
>ナツミカンさん

>「サタンのシナゴーグ」というのは、キリスト教とその支配層にとっては、知られた内容であることも伺えます。教祖は、オベリスクにしても、舞台上の演出にしてもかなり組織と深く関わりがあったのでしょう。

オベリスクでイルミナティとの関係は確定的でしょう。
文教祖が1962年に極秘で韓国CIA長官と訪米した際に、会ったのは、当時米国CIA長官のジョン=マッコーンやロックフェラーです。
このマッコーン(またはマコーン)は、べクテル社の社長を勤めた人物ですが、べクテル社はいわゆる軍需関連の巨大総合商社で、原子力、石油、軍需、宇宙関連等を扱っています。
1960年、統一教会は、すでに駐米韓国大使館の武官が信者を派遣していました。(36家庭の朴普煕と韓相吉)

1961年韓国のクーデターCIA政権である朴正熙がベトナム戦争参戦のために訪米してケネディ大統領と会談するときの通訳も統一教会信者(36家庭の韓相国)が勤めています。
(文教祖が「韓大使」と呼んでいた人物です。)

その後はいえずと知れた、戦争屋ブッシュとの関わりからもわかります。

この一連の流れを見ても分かるように、草創期から文教祖(統一教会)は、米韓両政府とアメリカ軍需産業・戦争利権に深く絡んでます。

まさに「サタンのシナゴーグから来た」と言うのは、的を得ています。
ちゃぬ2015-05-29 17:07:22



6. Re:Re:サタンのシナゴーグ
>ちゃぬさん
文教祖は、自分がイルミナティ→悪魔教と繋がり、信者を家畜化して人と財をさせげようとしていたことは、神を語るサタンと自覚していたということでしょうね?
簡単すぎる表現ですが、この憑依された女性が語る内容は、まさに文教祖の素の姿を現していると思います。

やたらとキ指揮が多かったのも、黒魔術的な内容がありました。棺桶の儀式も聖火式で自分の持ち物を燃やしたのも、神につながる道ではなく、魔術を掛けて組織への従属を誓うような儀式だったのかもと考えると、本当に恐ろしいです。
背後は神ではなくサタン・魔が導いていた訳ですからね。

とにかく、統一教会の儀式や条件はサタンへの違いの儀式だったのだろうと考えると身震いします・・・
怖い~恐ろしや~~・・・。
ナツミカン2015-05-29 18:12:47


8. Re:Re:Re:サタンのシナゴーグ
>ナツミカンさん

>七男が世界会長時代の「棺桶の儀式(棺桶修練会)」

この内容は記事を書こうと思っていながら書けずにいますが、棺桶を使った「終活」は、実は全世界的に行われています。
もちろんこれを流行らそうとしているのはフリーメーソンでしょうが、この「終活」によって商売に便乗する葬儀屋や棺桶業者もいます。
フリーメーソンの入会儀式では棺桶を使って行いますが、これは死から再生(復活)を意味します。
この七男の棺桶修練会でもメーソン儀式と同様に死んだと思って遺書を書き、手足を縛って棺桶に入れられます。そして蓋を開けてもらい生き返るのです。
これは韓国でも日本でも世界で一般人向けに行われている啓発セミナーのひとつです。
七男がもしこれがフリーメーソンの儀式(ヒラムの再生の儀式)だとわかって行った可能性は、高いでしょうね。
なぜなら七男はフリーメーソンであったモルモン教のジョセフ・スミスの淫行を六マリアにかこつけて肯定しています。
つまり七男はジョセフ・スミスがフリーメーソンであってもかまわないのです。
それは鶴子夫人も同様ですが。

三男もオランダのInsinger de Beaufort Groupから支援(融資)を受けて、セントラルシティを我が物にし、ヨイドパークワン設計・施工担当には、英国貴族で911跡地のワンワールド貿易センター設計プロジェクトのリチャード・ロジャース卿(Lord Richard Rogers)に依頼しています。

ちなみにロジャース卿はユダヤ系です。

真の家庭は、真っ黒です。
ちゃぬ2015-05-29 18:53:15
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=7790

歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)
第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代

五、宗教法人・統一教会の出発

 密入国者という立場にあった崔奉春宣教師は、いずれ韓国に送還されることがわかっていたため、それまでに、日本人の責任者を中心とした宗教法人としての日本統一教会を創設することが重要な課題でした。その目的が1964年に果たされ、1965年以降に真の御父母様を日本にお迎えできる基盤を造成することをもって、日本宣教師の使命を終えるようになったのです。

(1)崔奉春宣教師が東京・北沢署に連行(1964.6.2)

 1964年6月2日朝、崔奉春宣教師の不法入国が発覚し、警察に連行されました。そして6月4日に崔奉春宣教師が世田谷区の北沢署から出入国管理局に移されました。


(2)全国大学連合原理研究会主催の第1回修練会(1964.7.6〜12)

 全国の各大学における原理研究会の設立が進んでいましたが、それらが統合されて小宮山嘉一会長、梶栗玄太郎副会長のもと全国大学連合原理研究会がつくられ、全国の各大学での講演、原理の展示説明会などが開催されていきました。その結果、第1回修練会が1964年7月6日から12日までの一週間、戸田修練所において開催されました。


(3)世界基督教統一神霊協会が宗教法人として認証(64.7.15)

 1964年7月15日に、世界基督教統一神霊協会(会長は久保木修己氏)が宗教法人として認証され、7月16日に設立されました。そして7月17日に崔奉春宣教師が出入国管理局から教会に戻られました。


(4)本部教会を渋谷区南平台に移転

 1964年11月1日、本部教会を、約1年間住んだ世田谷区代沢から、渋谷区の南平台町45番地に移転しました。かつては、この家に西郷隆盛の弟が住んでいました。そして兄の隆盛もしばしばここを訪れ、時の明治天皇拝謁の日には、身を清めるために井戸の水でみそぎをしたといわれます。その後、転々と人手に渡り、戦後の岸内閣の時代に、首相公邸として使用されました。そして60年安保闘争の時、警官とデモ隊の競り合いが、玄関への道と芝生上で繰り広げられたところです。この南平台の本部で、1965年に初めて真の御父様をお迎えするようになったのです。


(5)早稲田大学で二度の講演会開催(1964.11〜12)

 11月19日から23日までの学園祭で、早稲田大学原理研究会主催のもとに、医学・理学博士高橋良明先生、小宮山嘉一氏の講演会(19日)と、5日間にわたる原理展示説明会が行われました。
 また12月2日には早稲田大学大隈小講堂において400名を集め、久保木修己氏と高橋良明先生の講演が行われました。



(6)全国各大学に原理研究会設立

 1965年1月の段階で大学に設立された原理研究会および委員長。

東大原研委員長 堀 展嘉

中央大原研委員長 小林弘人

早大原研委員長 尾脇準一郎

東北大原研委員長 菅原 清

慶応大原研委員長 小林政人

新潟大原研委員長 布田由之

千葉大原研委員長 清水自朗

三重大原研委員長 唐木正子

立正大原研委員長 佐々木龍彦

関西大原研委員長 森 三雄

東洋大原研委員長 門馬和重

九州大原研委員長 都 敬志

日本大原研委員長 大貫晟司

https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=7573

創立40周年
『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』
歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)

第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代

四、草創期における飛躍的発展

(2)特別修練会(特修)の定着

 第2期から第4期までの特別修練会は、千葉県安房郡天津小湊町の立正佼成会の小湊道場の隣にあった佼成学園の臨海学校の施設で行われました。そして第4期の途中以降からは埼玉県戸田町の戸田修練所で定期的に行われて特別修練会(特修)が定着化し、新しいメンバーたちがここから全国に向けて巣立っていきました。

第1期(1963.3.1〜4.10、立体文化センターおよび小田原、40名)
第2期(1963.4.22〜5.2、千葉・小湊、51名)
第3期(1963.5.22〜6.2、千葉・小湊、34名)
第4期(1963.6.6〜7.10、千葉・小湊、戸田、52名)
第5期(1963.7.10〜21、戸田、17名)
第6期(1963.7.21〜8.11、戸田、18名)
第7期(1963.8.11〜9.1、戸田、12名)
第8期(1963.9.1〜22、戸田、13名)
第9期(1963.10.1〜20、戸田、15名)
第10期(1963.11.10〜22、戸田、15名)
第11期(1963.12.20〜64.1. 、戸田)
第12期(1964.1.20〜2. 、戸田、6名)
第13期(1964.2.17〜28、戸田、8名)
第14期(1964.3.19〜31、戸田、12名)
第15期(1964.4.19〜5.2、東京、5名)
第16期(1964.5.17〜  、戸田)
第17期(1964.6.20〜  、戸田、24名)
第18期(1964.7.24〜  、戸田、15名)
第19期(1964.9.14〜 、戸田、9名)
第20期(1964.10.15〜11.2、戸田、20名)
第21期(1964.11〜11.30、戸田、9名)
第22期(1965.1.13〜28、戸田、20名)


<ブラジル日報>
南米麻薬密売組織が違法滑走路=パラグアイの旧統一教会〝楽園〟に
2023年8月12日
https://www.brasilnippou.com/2023/230812-19brasil.html

 南米パラグアイの北部に位置するチャコ地域で昨年、地元警察が麻薬取締りのために滑走路破壊作戦を行ったが、その複数の違法滑走路が旧統一教会所有の敷地内にあったことが判明したと、8日付CNNブラジルなど(1)(2)が報じている。同地域は麻薬密売を行う国際的犯罪組織コカイン・カルテルによる支配が拡大しつつあり、同教会の麻薬密売への関与が疑われている。
 22年7月6日、地元警察の麻薬取締部隊がチャコ地域に踏み込み、麻薬輸送に関与するとみられる滑走路5本を破壊する作戦を実施した。一体は広大な森林地帯で、近年はコカ葉栽培が合法とされるアンデス地域から、欧州市場に麻薬を密輸する犯罪者たちの主要な物流拠点となっている。
 麻薬密売人たちはボリビアやペルーからの麻薬を空輸し、その後ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンへ陸路や水路で運び、ヨーロッパ行きのコンテナ船に積み込む手法を使っている。ロイター通信がその滑走路の位置情報を分析した結果、作戦対象の5本のうち4本が旧統一教会の敷地内にあることを突き止めた。
 旧統一教会は1954年に文鮮明氏によって創設され、合同結婚式や霊鑑商法など、世界各地で謎めいたビジネスを展開し続け、カルト宗教集団として批判されている。中南米での拡張プロジェクトの一環として、文氏は1990年代初頭に初めてチャコ地域を訪れ、2000年に約60万ヘクタールの土地を約2200万ドルで購入し、パラグアイ最大の地主の一人となっていた。
 同氏は自伝で、その地域に「神に与えられた楽園」を創る夢について述べていた。しかし、同教会が土地を購入して以来、教会所有地を巡る地域住民とのトラブルや麻薬密売の活動が増加したと報じられている。
 警察は滑走路破壊作戦で麻薬や飛行機は見つけられなかったものの、滑走路近くには物資やベッド、無線機などを備えた小屋が存在していたと報告している。その後、重機と爆薬を使ったチームが到着し、滑走路のインフラを破壊した。
 今までのところ、旧統一教会やそのメンバーが麻薬密売に関与している証拠は見つかっていない。麻薬密売組織は、同教会が非常に大きな力を持つ地域の秘密の滑走路に飛行機を着陸させるが、表面上、森の真ん中の小道にすぎない。
 同教会の弁護士ミシェリ・ビュン氏は声明の中で、チャコ地域で繰り広げられている違法行為を認識しており、警察の捜査に全面協力していると述べた上で、「我々は違法行為には一切関与していない」と強調していると報じられている。


https://www.cnnbrasil.com.br/internacional/carteis-de-cocaina-dominam-paraiso-do-reverendo-moon-no-paraguai/

https://g1.globo.com/rn/rio-grande-do-norte/noticia/2023/08/09/filho-que-confessou-envenenar-e-matar-pai-idoso-com-cancer-terminal-e-absolvido-em-juri-popular-em-natal.ghtml
<ブラジル日報の記事>
統一教会の麻薬密売への関与が疑われている
南米パラグアイ北部チャコ地域で昨年地元警察が麻薬取締りのため滑走路破壊作戦を行ったが複数の違法滑走路が統一教会所有の敷地内にあった




CNNブラジル

「住民たちは、検察官が統一教会の飛行機に乗っていたことから、統一教会の操り人形だと考えた」

コカイン・カルテルがパラグアイの文牧師の「楽園」を支配する
同国北部に位置するチャコは、近年、アンデス諸国から成長するヨーロッパ市場に向けて物質を持ち出す犯罪者の主要な物流拠点のひとつとなっている。

https://cnnbrasil.com.br/internacional/carteis-de-cocaina-dominam-paraiso-do-reverendo-moon-no-paraguai/

昨年7月某日未明、麻薬密売撲滅を任務とするパラグアイの警察官(約30人)が、 麻薬輸送に使われる5つの滑走路を破壊するため、チャコと呼ばれる広大なジャングル地帯に飛んだ。

同国北部に位置するチャコは、近年、アンデス諸国から成長するヨーロッパ市場に向けて物質を持ち出す犯罪者の主要な物流拠点のひとつとなっている。

ロイター通信は、2022年7月6日に警察が阻止した滑走路の座標を照合した結果、5つのうち4つが統一教会の所有地であることを突き止めた。統一教会は、反体制的な神学を持つ韓国のキリスト教分派で、2012年に死去した宗教指導者である文師に関連している。

自らを救世主と称し、1954年に教会を設立した孫文は、ラテンアメリカ進出プロジェクトの一環として約25年前にチャコの土地を購入し、パラグアイ最大の地主の一人となった。

批評家からカルトのレッテルを貼られているこの教会は、集団結婚式を執り行い、世界各地で謎めいたビジネス帝国を維持していることで知られている。

パラグアイの麻薬対策当局の2人は、ロイターにチャコにある11の滑走路の座標を渡した。教会の情報源から提供されたムーン氏の所有地を示す地図とこれらの地図を重ね合わせると、そのうちの少なくとも5つが元牧師の土地にあり、そのうちの4つがその日標的とされたことがわかった。

警察は麻薬も航空機も発見しておらず、逮捕者も出ていない。しかし、現場にいた2人のパラグアイ当局者によれば、滑走路の隣には基本的な食料、ベッド、無線設備を備えた小屋があることが確認できたという。

数日後、重機と爆発物を積んだチームが到着し、インフラを破壊して飛行場を使用不能にした、と関係者の一人が語った。

ロイター通信は、統一教会やそのメンバーと人身売買を直接結びつける証拠も、同国当局によって無法地帯とも評されるチャコのトラックを同団体が実効支配していることも発見していない。

世界基督教統一聖霊協会(パラグアイでの正式名称)の弁護士、ミシェル・ビョン氏は声明の中で、同教会はこの土地での違法行為を認識しており、警察と協力していると述べた。「韓国に本部を置く当教会とその信者は、ともに平和の擁護者です。「決して不法行為に関与しているわけではありません。

チャコでの取り締まりは、国際的なコカイン密売を撲滅しようとする当局の課題の大きさを示している。検察当局によると、パラグアイは領空の監視に問題があり、この地域にはレーダーがないという。そのため、ギャングたちはボリビアやペルーから発見されずに麻薬を運ぶことができる。

彼らは、森の中の小道にすぎない秘密の滑走路に飛行機を着陸させる。その後、商品は陸路または水路でブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンの港に運ばれ、コンテナでヨーロッパに輸送される。統一教会はこの地域で大きな力を持っている。

ムーンは1990年代に初めてチャコを訪れ、パラグアイ川で釣りをした。2000年、彼はそれまでアルゼンチンの農業コングロマリットが所有していた約60万ヘクタールを購入した。価格は2200万ドル。広さはマンハッタン島の約10倍。

韓国の大富豪が、人跡未踏の隔離された地域を購入したことは、パラグアイでも注目されている。2009年に出版された彼の自伝の中で、牧師は自分自身を、チャコに生息する「生き物を神が創造したのと同じ無垢な姿で」保護する「世界的な運動」の一員であると述べている。

彼は、それらの「忘れられた土地」を楽園にし、また信者の拠点にするという夢を持っていたという。しかし、教会がこの地域の問題に気づくのに時間はかからなかった。

ムーンの購入以来、小さな町の住民は教会の所有権を激しく争ってきた。ムーンの死後、彼の親族は教会を3つの対立するグループに分割し、そのうちの2つのグループはチャコの土地の支配権をめぐって裁判沙汰になっている。最近、麻薬密売人がこの地域での存在感を増している。

パラグアイの麻薬対策機関セナドとこの事件を担当する検察官によると、7月6日の作戦はミゲル・アンヘル・セルビンが率いる密売人に対する捜査の一環だった。彼は麻薬密売と犯罪結社の容疑で2021年に逮捕された。

捜査は2020年、ヨーロッパへの麻薬の主要な玄関口であるアントワープで、ベルギー警察が3.4トンのコカインを発見したことから始まった。麻薬はチャコ州から運ばれた石炭の中に隠されており、警察は麻薬の経路をたどって犯人にたどり着くことができた。

彼は現在も刑務所で裁判を待っているが、彼の弁護士はセルビンは無実だと言っている。この事件の主任検事であるエルバ・カセレスは、ロイターの取材に対し、ちょうど1年前の作戦で標的となったいくつかの滑走路が教会の土地にあったことを認めた。

教会員が密売に関与しているという情報はないという。同教会の弁護士であるビョン氏は、2022年4月に同教会がパラグアイの検察当局に土地での不正行為の疑惑を調査するよう要請した文書をロイターに渡した。

書類には、2021年5月に同教会の土地で449キロのコカインが押収されたことが記載され、滑走路についてもコメントされている。

同国で最も経験豊富な麻薬検察官の一人で、先週退官したマルコ・アルカラスは、その資料を受け取り、セナドに送ったことを確認した。

メンバーに対する作戦
教会とつながりがあり、麻薬関連犯罪で有罪判決を受けた公人が少なくとも1人いる。2013年から2018年まで国会議員を務め、教会支部の地域会長だったシンシア・タラゴである。

パラグアイでは、教会は共和国大統領や政治家、最高裁判事と長年にわたってつながりがある。中には宗教組織で重要な地位に就いている者さえいる。タラゴもその一人だ。2017年、彼女は国際平和議員連盟(IAPP)の会長に任命された。

弁護士のブインが事務総長に就任した。この組織には、教会の利益を守ろうとする世界中の国会議員が集まっている。

2020年、国会議員と夫のライムンド・ヴァは、FBIの作戦に巻き込まれ、マネーロンダリングを自供した。米国の捜査官は麻薬の売人に変装し、政治家が資金洗浄するための金を渡した。

有罪判決を受ける前、タラゴはテレビの司会者であり、2008年から2013年の5年間を除いて75年間政権を維持してきたコロラド党の新進政治家と目されていた。

彼女は国内初の女性大統領になる野心を公言しており、2019年に米国で逮捕された際にはアスンシオン市長選への立候補を表明したばかりだった。

タラゴは2016年から教会のイベントに出演するようになった。教会自体の資料によると、翌年、彼女はソウルで開催された世界的な集まりでスピーカーを務めた。2018年11月には、統一教会が所有するニューヨーカー・ホテルでの別のイベントのために、夫とともにニューヨークに飛んだ。

麻薬資金洗浄を依頼された。起訴文書によれば、2人はそれを志願し、「パラグアイではコカインとマリファナがいかに安いか」「米国に麻薬を輸入できるネットワークがある」と語った。

翌年、夫婦が再び渡米した際に逮捕されるまでに、彼らはパラグアイの共犯者ロドリゴ・アルバレンガ・パレデスの助けを借りて、80万ドルのFBI資金を洗浄した。

タラゴとヴァは米国で33カ月の禁固刑を言い渡された。政治家は2019年11月から2022年4月まで収監された。ロイターは両氏と連絡が取れなかった。ミシェル・ビョン弁護士は、タラゴのIAPP会長としての役割は「名誉的なものでしかない」と述べた。弁護人と文書によると、逮捕後、教会は彼の肩書きを撤回した。

タラゴの共犯者は昨年、無許可で送金したとして、米国で2年間の保護観察処分を受けた。その数ヵ月後、タラゴはアスンシオンで逮捕され、2年間で少なくとも17トンのコカインをヨーロッパに輸送したギャングを率いていたとして、ブラジル連邦警察に告発された。

彼はブラジルに引き渡されるのを待っている。ビョンによれば、彼は宗教組織とは何のつながりもないという。

パラグアイの捜査当局は、彼が2022年7月に作戦の標的となった滑走路を利用したとされる密売人セルビンとつながっていると考えている、とセナドは述べた。「アルヴァレンガはマネーロンダリングの中心人物で、セルビンと一緒に働いていた」と、身元を明かさない捜査当局関係者は語った。

彼の弁護士ロドリゴ・アルバレスもまた、法廷で密売人セルビンを弁護している。アルバレスは2人の依頼人が違法行為で一緒に働いていたことは否定しているが、2人ともブラジルと国境を接する暴力的な麻薬支配都市ペドロ・フアン・カバジェロの出身であることから、2人が知り合いであったことは認めている。

弁護士はアルヴァレンガのブラジルへの身柄引き渡しを阻止しようとしている。

無法地帯
アンデス山脈でのコカ・プランテーションの急増は、ラテンアメリカにおける組織犯罪の性質を変え、チリやエクアドルといった以前は平和だった国々に暴力を輸出している。汚職、マネーロンダリング、密輸の歴史を持つパラグアイは、近年まで人身売買による暴力とは無縁だった。

しかし、今日、南米で最も強力な犯罪集団とみなされているブラジルの首都第一司令部(PCC)のような国際的な麻薬カルテルが国内に進出してきたことで、すべてが変わった。2020年には、ペドロ・フアン・カバジェロの刑務所から75人のメンバーが脱獄した。著名人の暗殺事件は国を震撼させた。

昨年5月、コロンビアのカルタヘナで新婚旅行を楽しんでいた反麻薬の有力検事マルセロ・ペッチが、バイクに乗った男たちに殺害された。その1週間後、ペドロ・フアン・カバジェロ市長のホセ・カルロス・アセベドが殺害された。

アセベドは2020年、彼が殺された場所から数メートル離れた市庁舎でインタビューに応じ、「ここには多くの腐敗がある」と語った。「警察は完全に腐っている」。麻薬資金はパラグアイの政治家の多くを腐敗させている。

ペッチとアセベドが殺害された数日後、同国のマリオ・アブド・ベニテス大統領は、カルテルが同国の政治エリートを共謀させたと述べた。「組織犯罪は我々の社会に深く入り込んでおり、暴力が起こらないという保証はない。ロイターの取材に対し、彼のチームはコメントしなかった。

ボリビアとブラジルに隣接するチャコは、国際的なコカイン密売で重要な役割を果たしている。この地域には飛行機が頻繁に着陸するため、地元の人々は飛行機が照らす夜空がクリスマスツリーのように見えると言う。

ブラジル、アメリカ、ヨーロッパの当局によれば、パラグアイから出荷されたコカインの多くはヨーロッパに流れ、ヨーロッパは白い粉の最大の消費市場になっているという。

国連世界麻薬報告書によると、西欧および中欧における麻薬の押収量は2021年に過去最高の315トンに達した。

米国は250トン以上を記録している。ヨーロッパ史上最大のコカイン押収量は、2021年の23トンで、アスンシオン近郊の河川港から押収された。昨年までアメリカ麻薬取締局(DEA)の南米地域担当局長補佐を務めていたジェームズ・ラバティ氏は、ロイター通信に対し、チャコは無法地帯であり、コカイン密売にとって世界で最も重要な地域のひとつであると語った。

楽園のトラブル
統一教会がチャコで抱えている問題は、土地売買の疑惑だけではない。統一教会は1950年代に設立された後、急速に成長し、1970年代には代替宗教の波の中でアメリカに上陸した。

全人類の真の父母」として知られる文鮮明とその妻、文鶴子(ハク・ジャハン)は、何千組ものカップルを結びつけ、そのうちの何組かは初めて顔を合わせるという集団結婚式で有名になった。こうしてムーンは世界帝国を築き、漁業、兵器製造、不動産、メディアなどに投資した。破綻した事業もあったが、破綻しなかった事業もある。

夫妻は金持ちになった。1982年、ムーンはアメリカで16万2000ドルの個人所得を申告せず、脱税の罪で有罪判決を受けた。彼は約1年間投獄された。この判決は、牧師を米国に怒らせた。

1995年の演説で、彼はこの国を「衰退した国家」と呼び、「21世紀のラテンアメリカの栄光の日々」に賭けていると述べた。2000年には、ウルグアイとブラジルの資産を買収した後、19世紀のヒスパニック系アルゼンチン人大物である創業者の名を冠した農業大手カルロス・カサドSAがそれまで所有していたチャコの土地も手に入れた。

プエルト・カサドは、カルロス・カサドの従業員を収容するために建設された町で、この地域のケブラチョスから採れるタンニンを加工するために、半封建的な環境で何十年も働いてきた人々であった。一夜にして、家々、通り、墓地まで、町のすべてがムーンのものとなった。

6,000人の住民は、自分たちがずっと住んできた住宅が韓国から来た自称救世主のものであることに気づき、住民を怒らせた。教会幹部が取引を成立させるために出張した際、地元の人々は人間の鎖を作って飛行機から出るのを阻止し、彼らはそこで一夜を過ごさなければならなかった。

墓地の管理を住民に戻すなど、緊張緩和のための教会の最初の動きは、事態を悪化させるだけだった。地元住民の中には、教会関係者のロレンツォ・ミョンが町で銃を所持していたことを思い出す者もいる。ロレンツィートとして知られる彼の息子は「さらにひどく、攻撃的」であり、彼を直視する住民を脅した。

1980年にサレジオ会の伝道でプエルト・カサドにやってきた87歳のスペイン人司祭、マルティン・ロドリゲスの証言である。彼と他の地元の人々は、町のカトリック教会内に拠点を置き、韓国の統治に反対していた地元のラジオ局を焼失させた火事への関与について、両者を非難した。

プエルト・カサドに到着したとき、村人と教会は "戦争状態 "にあったと、この火災事件の捜査を指揮した検察官のドラ・イラサバルは語った。彼女が "攻撃的な男 "と見なしたロレンソ・ミョンは、地元の人々が教会の財産を盗んだと、証拠もなしに告発したという。

一方、住民たちは、検察官が統一教会の飛行機に乗っていたことから、統一教会の操り人形だと考えた。「緊迫した瞬間でした」と彼女は言った。イラサバル検事は、放火の形跡はあったが、個人を起訴するには十分な証拠がないと捜査当局に語った。

ミョン教会はフェイスブックのプロフィールにコメントを求めたが、返答はなかった。教会の弁護士であるビョン氏は、プエルト・カサドで地元住民との間に緊張関係があったことは認めたが、火災についてのコメントは避けた。町と教会の間の初期の不和は、20年にわたる論争に発展した。

2005年、パラグアイは同団体から52,000ヘクタールの非生産的な土地を収用する法律を可決したが、2年後、最高裁によってこの措置は覆された。2007年の法律では、教会は約3万ヘクタールをプエルト・カサドの住民とパラグアイ政府に寄付することが義務づけられたが、この寄付は今のところ実現していない。

アルベルト・ダビド・ガウトは、チャコにおける教会の所有権に反対して闘う人々のひとりである。彼はムーンの土地を不法に侵略・占拠した罪で当局に告発され、刑務所に収監されている。ロイターが入手した警察の報告書によると、彼はパラグアイ北部でコカイン、マリファナ、爆発物を運搬した容疑もかけられている。文書によると、彼は警察の情報提供者に、コロンビア革命軍(FARC)から訓練を受けたと話している。

ガウトはフェイスブックでのメッセージに返答しなかった。彼の弁護士であるエミリオ・カマーチョも返答しなかった。

教会の分裂
チャコでの教会の困難は、過去20年間に同教会が直面した他の障害と同じである。2009年、教会の将来をめぐる論争がきっかけとなり、文鮮明総裁の長男であるヒョン・ジン(プレストン)(※三男=文顕進)氏は世界平和財団を設立した。

父はプレストンを後継者に選んだが、弟のヒョンジン(ショーン)・ムーン(※七男=文亨進)を好む実母はこの選択を拒否した。ハク・ジャハン(※韓鶴子)はショーンを教会のヒエラルキーの高い地位に就けたが、それは短期間に過ぎなかった。イタリアの新宗教研究センターのマッシモ・イントロヴィーニュ所長によると、家長もショーンとは不仲だったという。

2012年に家長が亡くなり、母親との間に緊張が走る中、ショーンは教会を去り、ペンシルベニアに拠点を置く世界平和統一聖会を設立した。

分裂はパラグアイでの事業にも影響を及ぼしており、プレストン・ムーン率いる支社は、彼の母親が率いるパラグアイの子会社と、チャコの土地の全権をめぐって複雑な法的紛争を抱えている。彼らは現在、一族の財産を共有している。プレストン・ムーンはコメントを控えたが、ショーンは父親が「チャコの土地を含む彼の財団全体」を相続させたがっていると語った。

指導者は、この地域での麻薬活動については知らなかったとしながらも、「父が築いた世界的な基盤を母親が簒奪したことによる悲劇的な結果」について警告した。アスンシオンにいる家長の弁護士ビョン氏は、教会は地元のマスコミによって不当に「悪者扱い」されており、一族の確執がチャコに対する文師の「未来的ビジョンに悪影響を与えたことは否定できない」と述べた。


「残念なことに、真の父母とその息子の一人であるプレストンとの間の家族間の危機は、教会に悪いイメージを植え付け、そこから立ち直ることができていません」とビョン氏は語った。地元の人々によれば、文氏夫妻がこの土地をめぐって争いを続けている一方で、麻薬密売人がますますこの領土に侵入してきているという。

プエルト・カサドの製材所主任、ビルジリオ・チャモロは、この町が「その中心地」となっているため、コカイン密売はもはや秘密でも何でもないと言う。
実は統一教会は最初から「反共」ではなかった(1)の続きです。

文鮮明教祖は朴正煕が1961年5月に韓国でクーデターを起こした翌年1962年に突然「今から反共だ」と言い始めた。

韓国がベトナム戦争参戦するには「反共思想の普及」が不可欠。文鮮明教祖も朴正煕政権下でベトナム戦争特需に便乗し銃の納品、バルカン砲の開発等、軍需産業に力を入れる。

1958年に駐韓米軍8軍所属の軍人(朴普煕、韓相国、韓相吉(全て36家庭))が統一教会に入信してから統一教会は韓国政府、朴正煕政権との距離が急接近し、その後、KCIAと共に反共(勝共)活動を進める。

■朴正煕政権
1961.05.16 軍事クーデター
1961.06.10 KCIA設立
1961.11.12 朴正煕議長が訪日し池田勇人首相と会談
1961.11.14 朴正煕議長とケネディ大統領と会見(通訳:韓相国(36家庭))
※この会談では韓国のベトナム戦争参戦を断られる
1963.11.22 ケネディ大統領暗殺 
1963.12.17 朴正煕が韓国大統領就任
1964~1973 韓国がベトナム戦争参戦(ジョンソン大統領が承認)


<1961.11.14 朴正煕議長とケネディ大統領と会見(通訳:韓相国(36家庭))>
※朴正煕(写真中央)の後ろが韓相国(36家庭)


(本文赤字部分抜粋)
1958年、私が入教して以来、約6年間、先生は全く摂理的に無意味なみ言や行動はなされなかった。「反共だ、勝共だ」というような言葉は一言も言及されなかったので、私は先生について人類を救うために来られた純粋なキリスト教指導者だとしか考えていなかった。反共指導者、勝共指導者というようなことは、夢にも思っていなかった。反共というみ言を一言も言われなかったからである。
1962年のご聖誕前日の夜だった。夜12時になってご聖誕日となり先生のみ言が始まった。1時と2時の間だったと記憶しているが、36家庭を呼び集めて「今後、幹部は共産主義理論に勝る実力を備えなければならない」と語られた。この時、私は初めて先生にも反共、勝共の面があるということを知った。


**************

■李相憲(36家庭)の証し
(「統一思想」「勝共理論」を執筆)

私は儒教の家庭に生まれ、1956年に43歳で入教した。

その当時の新聞を見ると統一教会の評判は良い方ではなかった。
評判が悪い時に私は統一教会に入ってきたのだ。
私は新聞を見る時、噂が問題ではなく、教え自体が真理か否かということが問題だという考えだった。
私を導いた人に引かれ統一教会本部に案内され、劉孝元(ユウ ヒョウウォン)協会長から原理を聞くようになった。

私は学生の頃、共産主義運動に加わったことがあって共産主義の唯物史観を知っていたため、復帰原理を聞いたとき、これが統一原理の歴史観であることを悟り、入会を決心したのだった。

私が統一教会に入教してから普段抱いていた色んな疑問の骨格は解決していったが、依然として細かい問題は原理だけではすっきりと解決されないままであった。
そこで先生に直接お会いし質問をした。

先生は部屋に数名いる時は全体に向かってみ言を語られたが、その内容は私の質問に対する回答の内容である時が度々あった。思想的なみ言だったので一般の食口はその意味を分かってはいなかったが、私はきちんと理解できていた。私が質問すれば、その質問に関してある時は単独で細かく説明して下さったりもした。

私が感激したことは、人生の難問題を完璧に明快に解決して下さっただけでなく、民族と人類に対し、また歴史上の多くの聖賢と義人と預言者に対し、限りない憐憫の愛を抱いておられるということだった。

私の目に映った先生の姿は、この世の人間の姿ではなかった。この方は無限の知恵の宝庫を持っておられ、無限の憐憫の愛を抱いておられる聖者であり、神様が人の形となり人間を救うため生まれたメシヤだったということである。

私は心の奥深くで、とあることを誓ったことがあった。それはこの方の思想を体系化させ、世界に広めようというものだった。その理由として、まずこの方を全人類の前でメシヤとして証しすることだった。私のように悩んでいた人間が、この世界にいくらでもいるはずなので、そのような人々を早く救ってあげなければならないと考えた。

統一教会の草創期に感じた様々な事柄があったが、そのうちの一つ、先生は絶対に個人に対し命令はされないということだった。
これは非常に印象的だった。金誰々、李誰々に命令したいことがあれば集会や礼拝の時に皆に向かって「統一食口はこのようにしなければならない」と一括して語られたのだった。

なぜそうされたのかと言えば、直接命じられることは直接主管を意味するからであった。実際、直接命令したとしてもその人がその命令通りに動けばよいが、もしそう動かなければそれが条件として引っかかるからである。

すなわち天の命令に従わなかったという条件が立てられ、一生消えないという意味なのである。未来において悔い改めて良くなったとしても、その霊的履歴書には天の命令に服従しなかったという汚点を残すようになるのである。したがって本人のためにも直接命令をされなということを悟ったのだった。

直接命じたいときにどうされるかと言えば、象徴的な表現を使われたのであった。
その一例を取り上げてみることにする。

ある大学教授が入教し、自分の素晴らしさを表したくて偉ぶっていた。ある日の夜、先生はガラスのコップを小麦粉で一杯にし、その上から水を注がれた。当然水は全部溢れて流れた。全員「何故先生はあのような事をされるのだろうか?」と変に思っていた。

器というのは、その中に何かが入っていれば、他のものはそこに入らない。同じように真理を受け入れたいのならば、心を全て空っぽにしなければならない。心を空にしないで知識をそのまま備えているだけでは、いくら偉大な天の真理だとしても入ってはいかない。

このことを直接み言で語られる時そのまま聞き入れれば良いのだが、聞き入れられないのならば条件に引っかかるため、象徴的に、比喩的にそのようにガラスのコップを小麦粉で満たし、その上から水を注ぐ方法で悟る者だけが分かるようにされたのだった。

また仮説的、未来的な表現も良く使われた。もし誰々がこのようにすればこのようになるという表現法、英語でいえば「If」に当たる。

例えば金という者がいて先生がその者に命じる時、「もし金誰々が伝道に出るとすれば立派な伝道をしてくるだろう」と語られるのであった。
それは命令ではなかった。後に私はその人に会い、先生はどうしてそのような表現をされたのか分からないと言うと、彼曰く、それは「伝道せよ」という命令なのだということだった。

その時私も悟ったのだった。このように象徴的、可能的、未来的に語られることで、「今後このようになるからこれに対し準備せよ!」という意味を伝えておられるのだった。

私が何故このような例を語るのかと言えば、統一思想に関してもこのような未来的表現で命令されていたことを、私も最初は知らなかったということを明かすためである。

1958年、私が入教した地である郡山に、先生が巡回して訪ねてこられたとき、7、8名の食口が集まった中で、「将来、統一主義時代、統一思想時代が訪れる」というみ言を語られた。

私は特に思想に関心を持っていたため、他の人たちもこのみ言を聞いたが、このみ言は私の心に最も深く刻まれたのだった。
その後、私はそのような時代が必ず訪れるということを信じていたが、当時私は地方にいたので、ソウルの教会本部にいる幹部が互いに力を合わせ先生の指導を受けながら懸命に努力し、文化の新たな統一主義時代、統一思想時代を立てるだろうという考えしかしなかった。
しかし、実際には、言い換えれば私にとって命令で、いわゆる未来的表現として語られたみ言だということが後になって
分かったのだった。

私が入教して以来、約6年間、先生は全く摂理的に無意味なみ言や行動はなされなかった。
「反共だ、勝共だ」というような言葉は一言も言及されなかったので、私は先生について人類を救うために来られた純粋なキリスト教指導者だとしか考えていなかった。
反共指導者、勝共指導者というようなことは、夢にも思っていなかった。
反共というみ言を一言も言われなかったからである。
したがって私自身も共産主義運動を行ったことのある過去について誰にも言う必要がなく、話もしなかった。またそのような考えさえも持っていなかった。過去の経験は完全に忘却した状態で信仰生活のみを一生懸命していた。

そういう中1960年のご生誕祝賀会において、先生は多くの食口に証しをするよう命じられた。私は「どうか証しをさせないでください!」と心の中で祈った。
他の人の証しを聞くことは非常に有益であり必要だったが、私が証しをすることは何故だか自分自身を誇りとするように感じられ、私の情緒には合わなかったのである。

午前中は何事もなく過ぎ安心していたが、午後になって再び集まった時、先生は突然、私を呼ばれ、21日断食についての証しをするよう言われた。
結局「祈祷も役に立たなかった・・・」と思いながら壇上に上がって証しをした。

21日間の断食とは、1959年12月1日から21日間行った私の断食のことを言い、神様の心情を体恤するために某食口の勧めによって行ったのである。

当時、先生は、神様の心情を体恤しなければ天国に入ることはできないと説教の都度語られたので、私のような批判的な人間は断食祈祷でもしないと、特に談判祈祷でもしない限り神様の心情を体恤することは難しいと他の人が言うので、決死の思いで断食を敢行した。

そうして21日目になった日の夜、無限の愛を持っておられながらも人間を救うため、限りなく苦痛を受け悲しんでおられる可哀想な神様の心情をほんの少し体恤しては慟哭した。
先生がどうしてそのような慟哭を幾度もなされるかを分かったような気がした。
このような体験が主な内容だった。

その日の夜、再び私を前に呼び出された。この時は過去の共産主義運動について証しをするよう命じられた。先生の命令だったので仕方なく簡単に証しをしたが、私が共産主義運動をしていた事実は誰にも話してなかったのに、一体どうしてわかったのかが大きな疑問となった。

またどうして先生は私にそのような証しをさせたのかも疑問だった。何故ならば先生は摂理に関係しないことはなされないということを分かっていたからである。

それまで私は先生について多くのことを研究していたが、研究してみればみるほどに、先生は勝手に誰に対してもみ言や行動をなされない方であるということがわかった。

その都度、神様のみ旨であるとか、食口の指導に関係があるみ言だけを常にされるのであった。
先生においては摂理的な意味のない、無意味なみ言や行動は一つもされないということが、私の得た結論であった。

したがって私に証しをさせた以上、何か摂理的な意義と内容があるはずなのだが、それが一体何なのかという疑問を持たずにはいれなかった。

これまで私が学生の頃、共産主義運動を行っていたことは誰にも話していなかったのに、先生はそれをどうやってわかったのか?共産主義運動の証しをするよう突然命じられたが、そこに何らかの摂理的な理由があるはずだが、その理由は何なのか?長い間その疑問は解かれないままだった。

それから2年が過ぎた1962年のご聖誕前日の夜だった。夜12時になってご聖誕日となり先生のみ言が始まった。
1時と2時の間だったと記憶しているが、36家庭を呼び集めて「今後、幹部は共産主義理論に勝る実力を備えなければならない」と語られた。この時、私は初めて先生にも反共、勝共の面があるということを知った。


それは私にとって大きな衝撃以外の何ものでもなかった。私は常に事柄について色々と深く考える習性があったので、「いくら共産主義者だとしても、果たして宗教家が共産主義者を憎まなければならないのであろうか?」と常々思っていた。

原理的に考えて見れば、歴史の終末には必ずカインとアベルの対立関係が解決されなければいけないので、最終的には共産主義と民主主義が戦わずにはいられない。

先生は神様の愛を地上で実践される方であるが故、共産主義者までも愛されるはずである。しかし神様の摂理を地上で広げるためには、やむを得ず共産主義と戦うしかないことも事実である。故に共産主義者に対する愛の問題や共産主義理論との闘争の問題は別個の問題である。
このように私自身がまとめたのである。

その日の夜はほとんど徹夜で、ほんの少し目をつぶって起きると劉孝元(ユ ヒョウォン)協会長が私を呼ばれ、「昨夜先生が語られたことをできる人は李先生しかいません。李先生は以前共産主義運動をした経験があるので共産主義について色んなことを良く知っておられるであろうから、勝共関係はやはり李先生がやらなければなりません」と言うのだった。

この時やっと、先生が以前私に共産主義運動をしたという証しをするように言われ、私にどのような履歴があるかを人々に知らせておいて、共産主義の批判を間接的に命じられたのだということが分かったのだった。

このように絶対に個人的には命じることはなく一般的なみ言の中で、その個人が自分の責任分担を感じ悟ることができるよう導かれたことが先生の指導法であった。またそれがその当時の摂理の方式でもあった。

最初に証しをさせておいて、劉協会長を使って私に関する過去を分からせて勝共の実力を備えるよう話をさせた。その時のみ言は36家庭全員に対する一般的なみ言で、個人に対する命令ではなかった。

よってそのみ言を聞いた劉協会長は責任者として、その命令を遂行するために誰かが執筆しなければならないと分かっていのだが、
誰にさせるのかが問題だった。結局特定の人にさせる考えを持たせるよう導かれたと感じたのだった。

その2年も前に先生が私にそのような証しをさせたことは摂理だったいうことを今更になって悟り、またその4年前(1958年)に統一思想の時代が訪れると語られたことも、結局私に対する命令だったということをその時初めて悟ったのだった。

統一思想時代が訪れるという未来的なみ言を語られ、それを一つの使命感として感じるよう導かれたことは後になって分かったことで、それからは統一思想もしくは勝共に関する理論を立てることが私の使命であるということを感じるようになったのである。

<統一教会教祖 文鮮明がパラグアイを買い占めまくって作ろうとしたエコユートピア(薬物、武器取引拠点?))
(The Irish Times(アイルランド)2004.10.14記事より)
https://www.irishtimes.com/news/moonies-accused-of-involvement-in-drugs-1.1161827

上記記事の翻訳動画↓



<ベンジャミン・フルフォード「(52:30~)統一教会のパラグアイの農場はブッシュの牧場の隣。麻薬、武器密輸をやっている>


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「統一教会・CIA・満州」麻薬人脈
文鮮明教祖の叔父は麻薬密売人だった
【号外】旧統一教会=国際勝共連合とは国際麻薬連合のことだった!
<キリスト教と異端(統一教会)の違い>


統一教会では、原罪のないイエスが結婚できないまま独身で死んで血統(子孫)を残せなかったため、現在まで個人から世界まで紛争が起こるとし、それを解決できるのがイエスの代わりに誕生した文鮮明。
自称「完成した人間」である文教祖家庭の子孫が世界に生み増えれば世界は「地上天国」になるという教義でしたが、結局、自称「メシア家庭」は財産をめぐり分裂闘争してしまうことに。
教義破綻しても「真の父母」「真の家庭」を名乗り続けられるのは、宗教的教義よりビジネス(金儲け)のため宗教を利用しただけだったからでしょう。

<母親・三男・七男の財産争い>


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自称「完成人間(鶴)」VS「完成人間(亨)」は愛で和睦するどころか親子で分裂・覇権争い
【文亨進】文教祖から王冠を受けたから後継者(写真)

三男も自分が後継者だと主張し、七男も後継者だと主張し、母親も自分が後継者だと主張し、弟子は血統ではなく法統こそが後継者だと主張する始末。
いくら素晴らしい理想を述べても、こういう分裂した現実を見て、信者でない一般人は誰も「これこそ真の家庭だ」と思う人は一人もいないと言うことだけはわかります。

文教祖が真の子女は争いなどしないと言っていたのも「嘘だった」こともわかります。

『永遠の愛に従って絶対一体になった夫婦は、和合一方きりの血統につながるので、そこに生まれた子供には兄弟紛争という概念がないのです。紛争ではなく、一つになるような後孫を持つことによって、神の血統を中心として、神の愛を中心として、三代共々が一つになるようになった基準が、天国の出発の起点だったのです。』
(蕩減復帰の峠を越えましょう 1995年1月19日 韓国・水沢里中央研修院)

おかしいですね。文教祖の直系の子女は「和合一方きりの血統で兄弟紛争という概念がない」はずなのですが。
でも、実際はお互いをサタン呼ばわりしながら、裁判闘争です。

亨進氏も世界会長就任挨拶でこんなことを言っていたのですが。

『韓国の財閥の二世たちを見れば、常に争い、常にうまくいくことがないのですが、わたしたちは違います。わたしたちの教会は違います。わたしたちは、血筋が違うのです。(拍手) わたしたちは、真の父母様から来たので、今後、真の家庭は一つになり、また一緒に仕事をする、そのような手本を歴史に残します。』
(2008年4月18日 文亨進世界会長就任挨拶 天正宮博物館)

その後、国進氏は兄である顕進氏を「サタン扱い」しましたし。
一体化(和睦)とかないんですね。この自称「真の家庭」は・・・。


<文鮮明の長男(文孝進)と妻(ホン・ナンスク)の離婚裁判(孝進の麻薬と暴力で離婚>


<ホン・ナンスク「夫に殴られたが、文鮮明は「殴られることが宿命なので我慢しろ」と言った」>


<財産すべてを献金しろ>


<御言選集191巻「日本は韓国に反対したら滅亡します」>
(元信者”妻たちが語る旧統一教会の実態【報道特集】)
■統一教会は1980年ボリビアで麻薬軍事政権に400万ドル資金提供し、政権転覆させた


(写真:ボリビアで麻薬組織と手を組んで政権転覆させたメサ将軍(新大統領)と朴普煕(文教祖の右腕))

<ボリビアのコカインクーデター成功を喜ぶ文教祖のみ言葉>
『けさ(1981.4.1)、ボリビアは完全に回ったという電話が朴普煕氏から来ました。大統領と閣僚から最高人物として歓迎され、バンケット(注:晩餐会)で私たちのことを「歴史上最高の人物に出会った」と称賛したそのような集いは初めてだ、という電話が来たのです。きのうは午餐会が聞かれて、大統領夫妻から閣僚、長官、将軍全員が集まり、統一思想を教育している要員たちを大々的に歓迎したという報告を受けました。』
(真の御父母様の生涯路程6 第七節 一九八一年)


■英国BBC放送ドキュメンタリー「統一教会の歴史と洗脳」
(※南米関連は5/6を参照)










■ベトナム戦争の韓国参戦に乗じて銃製造を推進し、日本にも銃を買わせようとした文教祖

先生がお金が必要だと言えば、日本から送ってくれるようになっていますが、先生は、日本の第一事業部長や第二事業部長にそんな話をしないまま3年が過ぎました。
日本の食口(信者)たちが日本のお金を稼ぎましたが、そのお金は先生が使うときには日本のお金ではなく、韓国のお金なのです。日本の食口(信者)たちは今たくさんのお金を稼いでいます。一日に百万ウォン以上稼ぐのです。(韓国の)皆さんはこのような話を聞くと、とてもワクワクしますよね。
・・・日本人たちは、ほんとに使い甲斐があります。一度命令すると絶対服従します。韓国人よりもはるかに良いです。
ですから(韓国の)皆さんは手に手を取って熱心に(み旨に)走らなければなりません。
・・・先生は久保木に日本に銃を販売するように言いました。
皆さん、韓国が日本に銃を売ることができますか? 韓国のものが日本に入るということは夢にも思わないのです。しかし先生が命令するのですから(日本は)せざるを得ないのです。それで昨年、日本に2千5百丁の銃を送りました。そうすると売らなければならないですか、売らなくていいですか? (「売らなければなりません」) 日本の食口(信者)が立派なことは何かいうと銃を握って泣いている人が多いということです。先生が10年以上にわたり、丹精込めたこの銃が自分の一族にかけがえのない家宝だと思うということです。
・・・もし日本に5万丁を持っていけば、どのようになるのか? 日本のお金で3万円ずつだとしても15億円というお金が韓国に入ってくるようになります。 15億円の現金を持って銀行取引をするようになれば銀行から常にその程度の資金を融通することができる会社として認められます。 5万丁を販売して15億円を稼いだとすると、次の年にも15億円を稼ぐことができるのは間違いない事実です。 日本の経済実情を見たとき、5万丁以上を販売することができますので、10万丁を売るようになったら卸値だけでも8億近いお金を韓国に送らなければならないということです。
・・・現在、国(韓国)の情勢を見ると、先生は間違いなく防衛産業を重要視する時が来るだろうと思っています。 10年を中心として、そのような時が来ると見ていました。しかし予想に反して、今時が来たのです。
・・・我々は、M1ライフルと同じ空気銃(エアガン)を作って、今、大統領府に納品しています。今回の選挙が終わったら、代金を受け取ります。』

(文鮮明先生み言葉選集26巻 1969年10月18日 韓国)


『そのキツネ狩りを先生は女性にさせたいのです。日本の女性が空気銃を持って....空気銃5万丁を持ってますよね? 江利川! (江利川「はい」) 今も(日本に)空気銃5万丁残っているだろう? (江利川「わかりません」)知らないの? (江利川「はい」)先生が韓国から日本に5万丁を輸出して保管するよう言ったのに、それも知らない?今は空気銃ではなく散弾銃です。
・・・そんな時、長い長銃は問題になるのです。国進が世界で一番短い銃を発明したんです。それは今までのピストルの中で最も小さいのです。女性のハンドバッグの中に入れて持ち歩き、痴漢が近づいてきたときに、いつ撃ったのかわからないくらい(小さい)です。アメリカのようなところはそんな(危険な)ところなので護身用の銃を発明したのです。そんな時、軍隊で使用される大型の拳銃のようなものは似合わないのです。
頭がいいですよね、国進は? 誰に似ましたか? (「お父様に似ました」)(笑)お母様に似てたんでしょう。(笑)頭が良いのです。高校2年生の時に発明したんです。図面のようなことをよく知っているのです。 「わあ、いつこんな難しい設計のようなことをして...」といって感心したんです。 1ミリメートルだけ違っても大変なんです。自分で旋盤を一つ買ってきて削って、すばらしいモデル銃を作ったのを見て先生が 「おお。その銃を売れば世界一の商売になるかもしれない」といって驚きました。わかりましたか? (「はい」)
日本の女性たちにその銃を1丁ずつあげますか、売りますか?(笑)答えなさい!皆さんがやりたいようにしますから。(笑)それをタダであげると恩恵(恩)を返さなければなりませんよ。 (笑)真剣にあげるのですから返すときはどのようにしますか?
100万円を受け取ったら(利子をつけて)120万円や200万円は返さなければならないのに、たった90万円しか返さないのはバカです! それはあげないより悪いです。ですからタダであげますか、お金をもらってあげますか?(笑)答えなさい! いま夜ではなく昼間なのに...(笑)これだからだめです。こんなことを商売根性を持っている女たちにいくら言っても何の得にもなりません。それを知りながら、言うのは(先生=文教祖は)馬鹿ですよ。
馬鹿は何? (「死なななきゃ治らない」)(笑) 先生も死ななければならない話になりますね。寄付を受けたいですか、タダでもらいたいですか、それとも買いたいですか? ・・・お金を出して買うのかと聞いているのです。そのように考えなさい。それは「平和の銃」という名前を付けました。
女性のハンドバッグの中で銃口を下にして、トリガーを右にして入れておき、強盗に会ったらバーン。護身用に充分役立つ発明をしたんです。日本の女性たち!それが欲しいですか、欲しくないですか? 一人で歩くとき危険を感じますか、感じませんか? (「感じます」)危険を感じなかったら女じゃないでしょ。(笑)』

(文鮮明先生み言葉選集305巻 1998年3月29日 中央修練院(九里市水沢洞))

銃を作って信者に売りつける・・・。
1960年代も、2000年代も昔からなにも変わらなかった文教祖。

本当は統一教会の主要事業は霊感商法ではなく「麻薬・カジノ・銃(武器)製造」なんですけどね。



※初回掲載日 2014年06月10日 18時43分43秒