チェリーの旅立ちの日に、中川翔子様とお母様の桂子様からと潮さん初め中テレ三銃士の皆様からお花をお供えして頂きました。
チェリーの為にこうしてお花が届けられたのも全ては夏鈴のおかげです。
本当にありがとうございます。
チェリーのお骨はしばらく傍に置いて供養していきます。




夏鈴が亡き後も、ブログを見てくれた人達や夏鈴のファン(夏鈴党)の皆さんが、夏鈴ありきでチェリーを語り、またチェリーありきで夏鈴を語るこのブログを、心の拠り所にして下さっていたのも知ってます。
夏鈴同様に沢山の人に愛されチェリーは幸せものです。

私も同じで、チェリーは夏鈴の面影を背負って生きているというか、チェリーの姿をした夏鈴のようで、自堕落した生活をしていると時々厳しい目を向けたり笑わせたりして、夏鈴喪失感の私を十分慰めてくれました。
「夏鈴に会いたいよー!」って感情が高まると、ソファーのしたにバタバタと逃げていくという素っ気ない一面もありました。
まだまだ一緒にいれると信じていました。





チェリーが虹の橋を渡る20日前はこんな可愛い写真が撮れていました。
毎月の定期検査してインスリンと肝臓と心臓のお薬を貰うためにお出かけした時のお顔です。
特別異変も感じられなかったのですが、嘔吐して食欲が無くなって痙攣してどこかで変な物でも舐めたのか?位急変したのです。
25日から嘔吐の兆候はあったのですが食欲はまだあったので安心していたのです。
26日の夜は仕事の為に出かけて、明け方家に帰ってきたらチェリーがトイレマットにうんちや嘔吐していて、私が帰って来て安心したようにばったりと横に倒れてしまったのです。
「チェリー!!!」
抱き上げた途端にオシッコを垂れ流しててんかん発作で硬直して、もしかしたらこのまま死んじゃうかも知れないと思い、ベッドに寝かせて泣きわめきました。
「チェリーごめんね!死ぬんじゃないよ!ママを置いていかないで!夏鈴に約束したのに怒られちゃう!死なないで!帰ってこいよ!」
夏鈴の時に言えなかった事を泣きわめきました。(なぜ夏鈴の時に言えなかったのか?それは病院に入院中で隣近所の病室に聞こえて不安を与えるかも知れないと思って、あの時は無念の別れだったのです。)
私の声がチェリーに届いたのか、チェリーの呼吸が元に戻って来るのがわかりました。
夜勤明けで27日一番に点滴してもらい食欲も出てジャーキーのおやつも貰って食べて落ち着いて、お家に帰って来て様子を見てたんです。
夜勤明けで寝てなかったから、休み欲しくて会社に電話したのですが27日は希望休みの人が多くて交代出来る人が居なくて、後ろ髪ひかれる思いで仕事に出かけました。
28日私はたまたま休みだったのですが、日中は小春日和で穏やかな時間が流れました。
しかし、平和な時間は長くは続きませんでした。
28日、日曜日の夜というのが悔やまれます。
「朝になったらお医者さん行くからね。」
「頑張ろうね」
励ましながら一緒に寝たはずだったのに、残念な結果になってしまい本当にかわいそうなことをしました。
チェリーが最後に鳴いた「ワオーーー」「ワオーーー」が耳から離れません。

苦しいよ!
痛いよー!
だったに違いないと思います。

何もしてやれなくてごめんねチェリー
異変に少しでも早く対応してればまだまだ生きられたのにごめんねチェリー
息子のような優しいチェリー
ありがとうねチェリー
いつかどこかでチェリー




しばらくは犬のいない生活に慣れるよう努力します。



特別な犬だから。
















ブログは更新していきます