脳死になって4年
ある日の朝
突然息を引き取った兄








何も話せなかった4年間
こんなに近くにいるのに
会話はいつも一方通行




振り返れば
兄とは仲が悪かった




家庭内がぐちゃぐちゃで
いきどころのない気持ちを
妹の私に暴力を振うことで
何かを保っていた兄




あまりにも酷い暴力に耐えらず
私は神さまに


「兄がこれ以上暴力が振るえないように
身体の自由を奪ってください」

とお願いした




それから兄は

少しづつ歩くのが困難になっていった
何年もの時をかけながら
全く動けなくなった




そこから私は
全てを背負えば

きっと許される

兄がどうにかなると思うことにした。




抱えきれない罪悪感の中
必死で兄をサポートした




けれど、兄は肺炎を患い
それがきっかけで
脳死になった。





兄を必死で介護する母





母は母で
母親としての至らなさや

子育て、自分の生き方の罪悪感を

兄に結びつけ


何かを払拭するためにか
純粋な愛ゆえか
兄のそばから離れなかった



そんな母を見て
「兄の側に行くのはやめろ」と

私は言い続けた。





兄が亡くなった後
脳死になったことについて
病院と戦うことになる母



私は常に
「そんなことやめろ

お兄ちゃんは嬉しくない」

と言い続けた





その後しばらくして
父が亡くなった


父は父できっと


兄に自分の罪悪感を見せつけられたのか
あっちの世界に
兄1人で行かせる訳に行かないと
すぐに追いかけ
兄が天国で安心して暮らせるように
死後、サポートしに、急いで行った気がする。




そんな
みんなの中にある
「自分を許せない思い」を

感じながら

日常の忙しさに巻き込まれ
私の日々がすぎていた。



けれど
ふとした瞬間



最悪の兄を奪ったと思っている
病院について
許せない母を


やめろではなく
それでも良いよ

と思えるようになった。



それでも良いじゃないか

それだけ愛していて

必死なのは美しいこと


それと同時に
兄の自由を奪う願いをしてしまった

私自身にも

「それでも良いよ」

と思えるようになった。




今年ももうすぐで桜が満開だ





かつて住んでいた
桜山の桜が
満開の日に生まれた

付けた名前は華香


桜のように

みんなに生きる美しさ、喜びを与えて欲しい


そう父は命名してくれた。




「生きるとは

誰と生きるか」



ということ



家族とは

許せない思いを

それぞれ抱きながら
そんな自分を許しながら

生きていく



この年になり


ここまでがんばったね



家族に対して清らかに


思えるようになった。



そして、今の私の家族はと言うと

どこまでも深い愛をくれる旦那

おもしろくかわいい娘




憎しみや葛藤のない

穏やかな

生まれ育った家族とは

全く違う家族のカタチを

今、こうして経験している