本日の戸定歴史館。
あら、色付いてる…って
撮っていて気がついたよ!
「ジュウガツザクラ」
可愛らしく咲いていました。
歴史館入り口のすぐ前にあるので
ちょっと愛でてみてね。
今日も午前中から約3時間半。
ずっと展示の前で張り付いていた
不審な人物です、私(笑)
でも慶喜さんの書簡は全部
写して来たよーーー!
なんでこんなに時間がかかるか…って。
慶喜さんの字を一文字一文字
写した上で、書き下しと照らし合わせて
それも写してくるから。
大変な作業だけど
でもこの度の一番やりたかった事が
慶喜さんの字の癖とか、よく使う
仮名文字とかを
徹底的に見てくる事だったから。
下手くそな文字でゴメンだけど
こんな感じ~!
↓↓
因みにこれ↑は
慶喜さんからパリにいる昭武さんへの
書簡です。
民部太輔殿 慶喜
内書
緘 八月廿八日 認
極秘申し進候 其許ニ附添
居候 菊地 服部 等ヨリ 市之進
等迄 毎々書状差越候処
書中 種々苦情相認メ有之
石見等不宜様ニ申し居候 就而ハ
於其地定めて折合もよろしからす
種々議論も可有之哉と
存候処 石見義ハ得と人選之上
相当之者ニ付 大任相命候事
ニ而此方之真意も心得居候
↑ここまで現物展示
↓ここからは書き下し文
事ニ付、同人申聞候義は何事に
不寄、此方より直に申聞候事
と心得、屹度相守り可被申候
右両人とても悪意には毛頭も
無之候得とも 如何にも頑固之者
共にて形勢にくらく、時機を
不弁事と存候、此程に至りては
各国之様子も追々相分り少しは
開化に趣き可申楽く居候処
以前も同様之議論に有之候は
如何成事哉と存候 右両人抔
より其許へ追々申立候事も
有之候事はゝ よきほとに被聞置
何事も石見え談被致 同人
之申候事 能々相守候様可被 相
成候、猶心付候義は追々可申
進、前文之義 得と御心得可被成候、
已上
八月廿八日 認 慶喜
民部太輔殿
又候、向山隼人 此節其地に
滞在致し居候哉。同人義も
石見同様に被相心得候様に被存候事。
~~~~~~
続きはまた明日。
同日付けの 山高石見宛て書簡もあります。
1867年(慶応三年)1月
慶喜さんの名代としてパリ万博へと
出帆した昭武さん、当時彼はまだ13歳。
大きな任務を託した昭武さんを
補佐する役目を山高、向山両氏に
全面的に任せたのですね。
展示には
横浜出帆から約一月半後
マルセイユでの記念写真もあります。
昭武さんを囲む多彩な顔ぶれの幕臣たちの
中には…
後の経済界で活躍した渋沢栄一、
郵便制度を立ち上げた杉浦譲らの姿も…
今夜は眠いーので、これまで。
まだ続きます。