《お母さんのためのお茶時間》


〜だだいま、調整中〜

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10年ほどまえ、
集合住宅に住んでいた。
なんだか
看護師だったということもあって




ちょっと
見に来てくれませんか?
と、
自分の子供の様子が
悪くなると連絡が入って





見に行くことが、
ちょいちょいあった。




その母たちというのは、
このまんま様子をみていいのか
病院にいっていいのか




判断がつかないので
わたしを呼んで、
決めたいというものだった。





それか、
だいたいは、
大丈夫なんだけど、





その『大丈夫』って
言葉を聞きたくて呼んでるようだった。





そして、





わたしは、
その人たちに
必ずこの話をして、帰った。





ある小児科の先生がね、
どの大学病院の教授より、すごい
先生がいるってね言ってたのよ。






誰だとおもう?






?????






子供のことをいつも見ている

『お母さん』だよ。



お母さんには、
かなわないんだよ
どんな、検査医療をもってしてもね。




あるとき、
綿菓子食べながら走っていた子が、
転んで病院に運ばれたんだって。

で、
先生は大丈夫って
かえそうとするんだけど、





お母さんが
『様子がおかしいから。
もっとちゃんと検査してほしい』って
言ってたんだって。





でも、その先生は
しなかった。




そしたら、
その子なくなっちやったんだって。



割り箸の先が、
脳みそに刺さっててね。




お母さんの勘のほうが
あってたんだよ。




この子いつもとなんか違うって





だから、お母さんは
この子の大丈夫
この子の大丈夫じゃないを


自分の目でみて、
判断できるようになってね。




子供の目をみてね。





目を観ればわかるからね。



しっかりみて、
判断できるようになるんだよ。




って話をして
バイバイと帰るのでした。





その大丈夫なのか、
今、この子はどんな状態なのか
判断できるお母さんに
自分を育てて行く
感じる力を磨いていくことこそ、




自分育ての子育てだと
おもいます。






外の情報に流されず
みえるものに、
惑わされず




その時を
正しく判断できる
お母さんであること。
人であること。




シンプルで楽チンな子育てです。









命がけで産んでうれた、
お母さんがいてくれるからこそ
いまここ、自分がいますね。






命がけで産み続けてきてくれたおかげで
自分自身の命があること。



そして、その命は
生まれると、生きると自分で決めて、
あーして、こーして
生まれるように自分で生まれてきたこと






母は

すべての根っこであり

すべてを産み出す存在だということの

自覚をもち、視座を高めていくことは

これから、自らやっていくことですね。






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