夜中メモです

潜在意識、無意識領域
大好き人間として思うのは

多くの方々が働きかけ
たいへん分かりやすくしてくださり

本にしたり図解にしたり動画にしてまで
延々と投げかけてくださってる
ということなんですよね

知ろうとすれば指先ひとつで
今は何でもふんだんに与えられています

筋を通して秩序を守って
ひとつずつ想念を大海へ弔っていく

そんな流れがありました

完全には終わらなくても
その重さの整えは

おおまかに済めば
船は進みやすくなります

ただ私たちが生きている間くらいは
この先にも滞りがあるとすれば

それはほぼ過去からの残像でしょうから
同時進行でクリアにしていきます

未来への恐れも
ときどきに手をつなぐことによって
今ここに居られるよう深呼吸します

全体の背景はどんどんと
強烈な光があきらかになっていくので

今まで通らなかったことも
うまくいったりするでしょうし

ますます恩恵を
採り入れてゆくべしと思います

ほがらかさ軽やかさの
分量をはかり

許可をおろしているのは
自分自身でしかなく

納得させるべき相手も
自分自身でしかありません

明るいほうとは反対に
どこかに潜んでいようとすれば

当然それにも
自由が与えられています

なんどもいうようですが
これだけの変化に今までは
かなり順応してこれたと思います

それはある朝いきなり
家屋が崩壊するような

そんな変化ではありませんでした

静かで
目に見えなくて

誰もがまわりに気を遣い
ひとまずは口をつむぐような

そのように巧妙な変化でした

この月から大切なんだなと思うのは
これからの時に一人一人が

さらに自身の標準枠を
これが私だという概念を

疑ってかかれないだろうか
ということです

カタカムナの人たちが
のこしてくれたのは
宇宙の摂理です

しかも
地球上に生きていた人たちで
そこがいちばん肝心です

2021年ころに
こういう状況であるくらいのことは
彼らには明白だったはずで

その歌は
目の前のことに惑わされるな
といっています

摂理の中に生きのびることを知れ
と伝えています

カタカムナがおそらくは
縄文時代以前のものだからといって

暮らし向きをすべて
そのようにという話でもなく

なにが大切で
なにが大切でないか

変わるものと
変わらないものを見分ける話です

目に見えるものは壊れる
目に見えないものは壊れない

本質は見えないもののほうにある

だけれども

見える触れる、土の上に
見える触れる、身体を持って

見えないものの響きを
感じとりながら生きていく

そのスベ、在り方の
手がかりを読みとるには

母国語が日本語であれば
ものすごく呼び覚まされやすいのだと

それはいよいよこれからに
必要になってくることだからと

そういうことだと思います

これからなんだと思います

長くなりました

ありがとうございます