ママが英語絵本を読めるようになる教室のチエコです。

いつもありがとうございますおねがいラブラブ

英語子育てヒストリー連載中です。

私の英語子育てヒストリー①

私の英語子育てヒストリー②

私の英語子育てヒストリー③

私の英語子育てヒストリー④ 

 

2歳半の秋。

幼稚園選び。

 

実は私、私立幼稚園で担任をしていた経験があり、

幼児教育にもとても興味があったので、

またまたそれが、私の幼稚園選びを困難に・・・

 

 

勤務していた幼稚園は、厳しいところでした。

細かいところまで、すごく厳しかった。

良い意味で、です。

 

働く方には大変だったけど、

でも、すごく良い幼稚園でした。

 

なので、また基準が、選ぶハードルが高くなってしまう。

いっぱい見にいったけど、しっくりこないまま、

家族で話し合った上、私が最終決断し、近所に決めて

入園手続きをしました。

 

 

DWEは、夜寝る前に、トークアロングカードを10枚ずつゲームで覚えます。

イベントにも参加。あと、簡単な絵本も読み聞かせしていました。

 

 

 

 

ところが・・・

もうほんとになんなのでしょうね・・・

 

 

ふと立ち寄ったショッピングセンターで

児童館で会ったことのあるママと立ち話。

別のプリスクールの話を聞きます。

 

 

1歳の頃に週イチ通っていたところとはまた違って、

受付の人以外は、外国人の先生というプリスクール。

 

魅力乙女のトキメキ 

       キランおねがい

 

 

環境は幼稚園が比べ物にならないくらい良いので、

ものすごく悩んだのですが、

英語を聞く時間を積み重ねることを第一優先としました。

 

 

はい・・・

幼稚園入園辞退して、プリスクール(英語学校)に行かせることにしました。

家族の言うことも聞きませんでした。

一緒に入園予定だったママからも、幼稚園がいいよと言われました。

入園金も返ってきません。

でも決めてしまいました。

 

スクールの営業に負けたのかもしれません。

でも決めてしまいました。



なぜ、そんなに迷ったのかというと、幼稚園のような環境ではなく、習い事寄りのスクールだったからです。ですが当時は、私の住む地域に、このようなところは他にありませんでした。

 

  


決めてからも

これで良かったのか?といつも考えていました。


おそらく、あの頃の私は、

県外に嫁いだ孤独、友達がいなかったこと、夫婦のこと、ホームシック(実家)、育児疲れ、、、

そこからの逃げ道が、英語教育になっていたと思います。

 

 

時々は本質に気が付きながらも、、、。

娘のためになったこともあるけれども。

正解だったとも言い切れない選択を繰り返したと思います。

 

 

 

 

でも。

それがあって、今の私。今の娘。そして、英語絵本の教室ができたわけですが。

 

 

 

英語学校では、ほんとに英語漬け。

月謝が高いので、毎日行かせることはできませんでした。

週3で、余裕があったら追加する形。

 

中での様子はそんなに細かく知ることはできません。

ネイティブの先生は、保育士、幼稚園教諭免許のある人がなっているわけではないです。

(長くなるので、今回の記事には書きません。)

 

 

いろんなことがありました。

いろんなこと考えました。

いろんな出会いもありました。

トラウマになるくらい嫌なこともありました。

勉強になりました。

 

 

幼稚園に行かせた場合と比較することはできませんが、プリスクール経験は、娘の英語習得にはすごくよかったです。

 

20%くらい幼稚園に行かせなかったことに、いつも心に痛みを持ちながらも、

80%くらいはインターナショナルな毎日を楽しませてもらった!

 

 

 

経営者がハワイの方だったので、

ハワイツアーにも行きました飛行機

 

 

10日ほどのツアーでしたが、

娘はハワイのプリスクールに通って、ママはフリー。

 

嬉しかった。その毎日。

心が自由になれた。

娘とワイキキ動物園に行ったの、幸せだった照れ


 

プリスクールには感謝しています。

娘が5歳になる前に、プリスクールの経営者の方が、

完全にハワイに拠点を移されることになり閉校。


 

 その時、5歳になったばかりの3月でした。


急遽、入学辞退した園に、

再び入園金を払って、4月から一年間通いました。

「はないちもんめ」とか、日本の遊びをしていなかったので

最初は戸惑いもありましたが、結果的にはとても良かったと思います。

 


6歳になったばかりの3月。 卒園式。

いろんな思いが込み上げてきて、

「この人、一年しか通っていないのに、なんでこんなに泣いているんだ」と

思われるくらい号泣してしまいました。


 

 

 

あ、そういえば書いていませんでしたが、

娘は英語で意思疎通ができる子になっていました。

 

日本語で話しかけたら日本語だけど、

英語で話しかけたら、英語で返してくる。

先生の話も英語で分かっていた。

 

でも、もちろん、日本語優勢です。

 

 

 

ここで、私は英語執着を手放しました。

 

ネイティブみたいに話せるように

日本語を同じように英語を習得させようというバイリンガル育児はしない。

 

英語圏で暮らしてるとか、国際結婚とか、必須の場合もあると思うけど

わざわざ選択して、行き過ぎるのはやめようと。

 

 

と、また好きに書いていますが、ヒストリーなので、

その時の正直な気持ちを書いています。よろしくお願いします。

 

 

ハワイでの朝食。この後、スクールバスに乗り、号泣しながら現地のプリスクールへ。よく泣かせました。

 

 

この子の母国語は日本語。

この子は日本人。

ネイティブな英語じゃなくていい。

英語の話せる日本人でいい。

英語の得意な子に育てよう。

 

と思いました。

 

 

 

引き続き、エマージョン教育の小学校に進学させましたが、

それからは英語は学校任せとなります。

下の子が生まれたというのもあります。

 

就学前まではこんな感じです。

 

 

学校任せと書きましたが、

家で、私は子ども英語教室を始めましたので、

長休みにはサマープログラムなのは参加させていました。

 

ですが、これは娘のためというより

自分の仕事としてなので、私のヒストリーになります。

 

 

小学校では英語は優秀でした。

学校代表で県外のスピーチコンテストに出たり、

1年生から受け始めた英検も4年生で2級合格。

ホームステイの受け入れも、何回かしました。



中高ともに英語は苦労せず、

大学も英語に助けられて合格しました。

大学ではさらに英語の勉強をする環境にあり、娘の未来は世界に向いています。



やってくれたなぁキラキラと思いました。

娘の出してくれた成果は、

私にとって最高のフィードバックでした。

 


幼稚園のこと、いつも少し心が痛かった。

でも、大学に合格した娘が、本当にママのおかげ。ありがとう。と言ってくれたことで救われました虹

 



細かく書くとシリーズ10くらいまで行きそうなので、

大筋ですが、

これが英語子育てヒストリーであり、

また「ママが英語絵本が読めるようになる教室」の誕生ストーリーでもあります。

 

 

で。下の子は全然違う子育てになります。

だからこそ、いろんなことが見えて、分かって、

私の仕事に生かされています。

 

 

次女のヒストリーはまた!ニコニコ