こんばんわ
またまたお久しぶりです
最近寒くなりましたね
あともう少しでクリスマス~
・・・
突然ですが
この前、友だちと喧嘩しました
みなさんはよく喧嘩するのでしょうか?
私は、喧嘩して嫌われるのが怖くて、
ずっと言い合うことから
逃げてきました
だって
物分りの良いほうが好かれるから
嫌悪感や不快感を与えないような
言い方のほうが好かれるから
なにか友だちに言われたことで
胸がチクッと痛んだとしても
見て見ぬふりをしたほうがいい
と思っていたのです
嫌な気持ちがしたなんて
言えるわけない
相手にとって
良い印象を感じられないような
自分の一面は
見せたくないのです
でも、それは私自身が
そんな自分を
一番きらいだったからなのです
許していないのですね
相手の表情を曇らせたくない
嫌悪感や不快感を与えたくない
悪い印象を持ってほしくない
人を傷つけたくない
そう思うのは、自然な感情かもしれません。。
でも、それを
「やってはいけない」
と制限かけてしまうと。。
逆に、「やってはいけない」ことを
意識してしまいます
「やってはいけない」ことをした自分が
きらいになってしまいます
でもここで、
立ち止まってみます
「やってはいけない」ことを
しちゃったとしても
その人の一面なのですね
陰と陽、
人にはどちらもあるのです
ポジティブもあれば
ネガティブもあります
自分が、自分自身に
ネガティブな部分を
認めてもらえないと、
心のなかに
「さみしさ」が生まれます
本当は、心のなかで
どんな自分も認めたいって
思っているからです
そして、自分の
ポジティブとネガティブな部分を
全部認められるようになると
自分のポジティブとネガティブな部分を
全部認めてくれる
周りで溢れていきます
それは、すごく幸せなことですね
話は戻ります
今回、友だちと言い合っちゃいました
いろいろと胸がチクッとすることが
続いたので。。
思うことを言ってしまったわけです
あぁぁぁぁ、、、もう心臓が痛い
言い合うって
こんなにも力使うものなのですね。。
その夜は眠れませんでした
きっと相手に
色々と感じさせてしまったと思う
でも。。
それは、相手の持ちモノ
相手がどう受け取るのか(感じるのか)は
相手に任せるのです
だって、私が「こう受け取って―」なんて
受け取り方(感じ方)まで
コントロールしようとするのは
ちょっと……
そこは
相手の自由なのです
結果的に、相手は
相手の一番良いかたちで
受け取るので、
それを認めるのですね
まぁそうはいっても
ぐるぐる考えちゃうんです笑
相手の意見に反論しちゃったし。。
きっと
怒ってるよね…
嫌な気持ちしてるよね…
嫌われたかな…
傷つけたかな…
とかとか
でもですね。。
そこで、もし相手が
不快な気持ちになったとしたら
それはいけないことだろうか?
私は相手を
「不快な気持ちにさせては
いけないのだろうか」?
相手がどう感じるのかは
相手次第で、
相手が感じたいように
感じているのです
「そう感じてはいけない」って
言われたら……
ちょっと苦しいですよね
・・・
ここで視点を変えてみます
今回、私は友だちとの会話の中で
いろいろと胸がチクッとすることが
続いたのですが……
では、なぜ、
胸がチクッとしたのか
(これは人によって違いますが
私の場合で書いてみます)
相手との会話のなかで
胸がチクッとしたのだから、
言い換えると
相手の言葉に、
ネガティブなイメージを
受け取ったのです
「言葉」
行為よりも、
言葉がきっかけで
喧嘩が始まる場合も多いものです
でも
人は、言葉を使います
同じ言葉でも
その人の考え方や価値観など
これまでの人生の影響を
受けています
相手が(こう思って)使う言葉と
自分が(こう思って)使う言葉は
100人いれば
100通りの答えがあるのですね
なので、相手が
(こう思って)使った言葉だったとしても
自分は自分の視点で
(こう思われて)この言葉を言われたんだ
と感じるわけです
例えば、
とある言葉に
悲しみや怒りなど
ネガティブな
反応する人もいれば
全く反応しない人もいます
なぜ、ネガティブな反応をするのか?
それは、これまでの人生において
あまりいい意味ではない
言葉だったから
(あまりいいイメージがない
言葉だなぁって)
過去からの影響が
見えてくるのですね
例えば、幼少期に両親や先生、
友だちから
その言葉を使われて
「あっ、自分がいけないから
治さなくちゃいけない」という
自己否定につながっていたりすると、
その後も
その言葉を使われたときに
「自分がいけない」というイメージが
よみがえってきて、
つらくなったりする
「その言葉」
↓
「自分がわるい」
「自分がいけない」
「自分ができていない…」
「そんな自分がきらい」
といった
自分を責める
に直結しているのです
でも、そう受け取らなくても
いいわけです
だって
100人いれば
100通りの答えがある
どれが正解かなんてないのです
そのうちの一つである、
「自分を責める」
といった自分の答えを
いったん横に置いておくのです
そして
その言葉を、
自分にとって
より良いかたちに
変換したらいいのですね
言葉には、
ポジティブとネガティブの
二面性があります
例えば、アニメ『おジャ魔女どれみ』
を挙げてみます
(最近映画を観たのもあって
ハマってるのです笑)
アニメのなかで
どれみへの「ドジ」という
言葉が何度も出てきます
「ドジみ」という愛称まで
ついちゃってます
「ドジ」って言われちゃうと
グサッとくる人もいるかもです
でも、どれみは笑っているのですね
どれみは、ドジっ子な一面を
「ドジな私がきらい」って
自分を責めるのではなく、
受け入れてあげているのですね
それはどれみの
大切な個性でもあって
可愛さでもある
ポジティブにも捉えられるのです
とある言葉に
ネガティブな気持ちを感じたら
自分は、どうしてその反応をしたのかを
考えてみるのもいいですね
・・・
もうちょっと、
広い視点から見てみます
相手に
どんな言葉を
言われたとしても
その言葉から
影響を受けるのか、受けないのかを
決めているのは
自分自身です
例えば
「ドジなやつ」と言われて
「ドジな自分がきらい」
「ドジはいけないから、治さなきゃ」と
ネガティブな影響を受けるのか
または
「ドジな私も私だもんねー」と
ポジティブに捉えるのか
全く逆の感情になるのですね
でも、もし
ネガティブな影響を受けるほうを
選んだら?
それはそれでいいのです
私たちは感じたい感情を
瞬時に選択して
その感情を感じています
そう感じたかったのだから
それでいいのです
そして
そのあとが、大切です
そのネガティブは
どこからきているのかなって
掘り下げてみること
イメージしたほうが
客観的に見られます
いま私は
映画館の観客席に座り、
スクリーンを通して
そのシーンを見ています
〝 相手の言葉を聞いて
ネガティブな気持ちになる私 〟
そのシーンを観客席から
「なるほどここでヒロイン(自分)は
ネガティブになるのかぁ」
と見てみるのです
この言葉から
こう反応するという、
「ヒロイン(自分)の新たな一面
を教えてもらったなぁ」
それだけで、
すでにプラスです
↓
「なんで、ヒロイン(私)は
この反応をするのかな?」
↓
そう考えていく中で、
とある傾向が見えてきます
たとえば ①
過去の経験から、
「自分がいけない」などの
ネガティブなイメージのある言葉に
しているのなら……
その解釈を変えてみる
自分は自分のことを
ネガティブには思わないから
その言葉は、
ポジティブな解釈にしようって
(言葉は、ポジティブとネガティブの
両方あるニュートラルなもの
なので)
たとえば ②
その言葉が、自分にとって
使ってはいけない言葉だったのなら……
それもニュートラルにしてあげるのです
使ってはいけないと思う言葉ほど
(特別な言葉ほど)
相手に言われたときに
大きく反応しちゃうからです
小学生がよく歌う
「ばーか」「あーほ」「ドジまぬけー」
とかとか
もし、言われたときに
とても嫌な気持ちがするのなら…
「言いたくなったら言ってもいいよ」って
自分に許可してあげる
それだけで、
少し楽になったりするものです
特別な言葉にしない
たとえば③
その行動が、自分にとって
やってはいけない行動なら……
それもニュートラルにしてあげるのです
「人を責めたくない」
「人を傷つけたくない」
と思うほどに、
「人から責められる」
「人から傷つけられる」
ことを意識してしまいます
それを実際にするかしないかは
置いておいて
「もしそれをやってしまったとしても
自分を許してあげる」
そう自分に言ってあげることで
柔らかくなっていきます
ようは、鏡なのです
自分の感情や気持ちが、
相手という“鏡”となって、
自分にやってくるのですね
自分が、とある言葉や行動に対して
ネガティブや責める気持ちを
持っていると
相手という“鏡”に映された
同じ言葉や行動に
ネガティブや責める気持ちを
感じてしまう
自分が、とある言葉や行動に対して
言って(やって)はいけないと
強く意識していると
相手という“鏡”に映された
同じ言葉や行動に
大きく反応してしまう
ただここで一つ
たとえば、相手が
「ここが悪いから、こうしなさい」と
言ってきたとします
たしかに、相手は
自分の鏡でもあるので
自分の過去からの
ネガティブな気持ちを反射します
ここで、
「ああ、そか
私が悪いから、変えなきゃ…」
とそのまま、
受け取っちゃうことがあります
でも一方で
もうこの過去の
「私が悪いから、変えなきゃ…」っていう
自己否定はもういらないや。
って、ポイすることもできます
もし、どうしても
自分にとって必要なものなら
変えたくなるときが、
ちゃんとやってきます
そのタイミングが、一番ベストなのです
・・・
こうぐるぐると考えていくと、
実はいろいろな学びに
つながっているのですね
なので
もし、喧嘩しちゃったとしても
それでいいのです
自分がそのとき、こう感じて、
こういう行動をとった
そのときの精一杯なのです
「こうしなきゃ良かったのに」
「もっとこうしたら良かった」
と思ったとしても
どんな自分も認めてあげる
そのとき、自分は
自分の最善の行動をしたのですから
それを認めてあげたうえで、
「つぎはこうしよう~」というのがあれば
実践したらいいのです
そして
たくさん考えた自分も
認めてあげたいものですね
・・・
いろいろ書いちゃったので。。
最後にちょっと
まとめさせてください
自分には
自分の受け取り方があります
相手には
相手の受け取り方があります
それが個性でもあります
自分にも、相手にも、
陰と陽があって
いろんな一面があります
全く同じ意味づけの言葉を
使うわけではないし、
全く同じ価値観や感情
ではないのですね
もし、相手の言葉で
胸がチクッと痛んだのなら
自分がどうして、
そう受け取ったのかを
振り返ってみる
そうしながら
お互いに話し合うことで
新しい着地点を
見つけられたらいいなぁと
思っているのです