自分の言葉に自分が助けられる | 木上智保子 マリンバとコーヒーとマリンバと

木上智保子 マリンバとコーヒーとマリンバと

小さな部屋からこんにちは。マリンバ奏者(見習い中)木上智保子です。木曜日の木に上下の上できがみと読みます。きうえじゃないよ。マリンバとコーヒーと酒と音楽について徒然なるままに…!

季節がらからか、自分のアンテナが今そちらを向いているせいか、音楽や好きな事をを生業とするとは?みたいなブログやエッセイに目が止まります。

不安や葛藤もあるけれど進んでいこうという前向きな文章に、みんな同じ事で悩んでもがいて今を生きてる同士がいる事にとても安心出来きます。

好きな事を仕事にしたいと言うのは結構簡単で、私も「口に出した事を行動に移したい!みんなに見られてると思いたい!」とどこに行っても言うようにしてきました。

ただ、発言に対してとてつもなく勝手にストレスを受けたりもしてました。

「言ったんだから頑張らなくちゃ」
「マリンバしたくてバイトしてるんだから頑張らなくちゃ」
「他の人が知らない事をやるんだから頑張らなくちゃ」
「他の人を蹴落としてでも私がやりたいんだ」

26年、木上智保子をやってるわけだから性格は大分わかってきてるはずなんだけれど、長所は一つのことを達成するために努力を続けることが出来ること、短所は極端だと今の時点では思っています。

上手くいってる時はルンルンで全力疾走出来るんだけれど、突如訪れる不安が少しでも心にチラついただけで根暗(ネガティヴ思考で、全部悪い方向に考えてしまう。特に自分が悪い、なんてダメなやつなんだ…と思う傾向強し)智保子がとんでもなく顔を現す。一時は人に聞いてもらうのが目標なのに、人が怖くなり、人の体温を感じて気持ち悪くなってしまい電車に乗れなくなるくらい病んでしまったことも。

どうしてそこまでして、苦しんでまで音楽しなくちゃいけないのか?

そうなってしまったのは短所極端が関係してくると思うけど、一番の理由はどうやったらマリンバだけで生活が出来るかわからない不安から来てると思う。

今も正直、どうやっていこうなんてビジョンは見えてないけど、一番病んでいた頃よりも人生楽しく生きていけそうな気がするまで回復したのには2つ理由が。

その❶ 1番になろうと思わない

コンクールで勝たなきゃ、いい成績を残さなきゃ…と音楽をするのに勝負事のように捉えて来てたことを辞めました。
これからもチャンスがあればコンクールも受けるし、その時は良い成績を残せるように頑張りますが、絶対いい成績がないと死んでしまうなんて考え方を辞めました。

それに私の場合、何かラッキーなことがあるのはいつも狙った所じゃなく違うところで遭遇するのが多かった。本当に。
とりあえず、続けてればきっとどこかからなんか降ってくる…はず!というところで続けることが穏やかに生活を送れる事に気づいた。(ああ、もっと早く気づけたら…笑)

その❷家族以外に認めてくれる人と出会った

上京して8年目ですが、学生をしてる間は本当に一匹狼さんで、音楽関係以外のお友達を作ろうとせず音楽に打ち込み、縁がなく浮いた話もなく本当に一人で都会と戦ってる気分で頑張っていました。
すると、大学卒業1年目、盛大に身体に異常が出ました。
こんなに頑張って来たつもりなのに苦しい事ばっかり…。もう辞めてやる!!!どうにでもなれ!!!と、お食事会をハシゴしている時にたまたま今のパートナーに出会いました。

私が頑張って来たマリンバや音楽を認めてくれ、褒めてくれるし、正直にヘタだと言ってくれるし、頑張れなくてマリンバ辞めたいな…とぼやくとローン組んで買ったんだから弾けと叱咤してくれる良い人です。
彼が、やりたいところまでやらないと後悔するよと言ってくれたので今、辞めずにのらりくらりと音楽に取り組めています。

あともう一人、遊んでくれる友人が出来ました。私が憧れた、ただ遊ぶに連れ出してくれるかわい子ちゃん。私も普通に楽しい事を楽しいと感じて良いんだと心のダイエットが出来ました。


2人とも、私の音楽が好きだと言ってくれます。私にはこれが必要だったんだと気づけました。

音楽は結局1人では出来ないんだなと26歳若輩者は小さく悟りましたが、高校2年の私も人は誰かと生きて生きたいんだと悟った詩を書いています。


この詩がとあるコンペで大賞を頂き、その賞金を受験期に東京で勉強するための資金に充てることが出来ました。

今度はこの詩に生きるパワーをもらいました。自分の言葉に自分が助けられるとは…。

一度きりの人生だから、終わりが来る時、ああ楽しかった!満足!と終われるように…、やりたい事を存分にやり尽くして生きたいと思います。

春だからね。語りんぐ。うふふふ照れ

Chihoko☺︎