二月一日は父の命日です。

父は亡くなるときわたしの名前を大声で何度も叫びました。

無口な人でしたが、
私の事が心配だったんだと思います。

歳の離れた姉と兄は美男美女で
頭も良く立派に大人になりましたが


末っ子で未熟児で生まれてまだ精神的に幼かった私のことが心配だったのと、

作家になった後、出版社社長だった父が 
会社がなくなり一番大変な時に生まれた私が
とにかく可愛かったようです。

実は父が浮気をして、
母が離婚する!と言ったら


父が苦し紛れに
もう一度小さな子が抱きたい!と言って
お酒の力を借りて無理矢理私を作った!という話を
母から何度も聞いていました。

私がこの世に生まれたのは父のおかげであり、夫婦がやり直すために必要な事でした。

その後翔子が産まれたことを思うと父の苦し紛れの一言に感謝しかありません。

そんな思いがあったからか
とにかく私は母には愛情をたくさんもらって育ちました。

照れ屋の父の愛情は父が亡くなるときに
名前をたくさん呼ばれ気づきました。

私の名前桂子は
父の恩師、丹羽文雄先生のお嬢様からいただきました。

勝彦さんとの結婚式の朝方、夢に出てきて

花いっぱいの庭にいた父が

よく考えなさい、
と言いました…

確かに!
よく考えれば良かったですが

よく考えたら翔子は生まれなかったので、

父も笑いながら許してくれていると思います。

早稲田でボクシングをやっていたハンサムだった父。

私は完全なファザコンです。

いつか、会えたら、

ちゃんと大人になれたよ、

と報告したいです。