変わろうと思えば…その① | ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

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自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

こまり。です。
またしばらくブログ放置していました。
なんやかんやで時間の使い方が下手です(ーー;)
ブログに書きたいネタは沢山あったのに
時間のやりくりができずにこんなことになってしまってました。

さて。昨年12月頃の出来事をきっかけに
私は定期的にセッションを受けるようになりました。
きっかけの出来事についてはこちらのブログ。
この一年で起こったくだらなくも重要な出来事

いい歳して
いい歳したおっさんと大喧嘩をしてしまったという
社会人としてどうかと思うようなエピソードなんですが、私にとっては一大事です(-_-;)

その後何度かセッションを受けて
最初の2~3回は子どもの頃の抑圧されていた感情やその時の体験と向き合うことになり
かなりしんどかったです。
自分の心の闇の深さに驚き、
その後のセッションでも
自分の嫌な所ばかり気が付いて
ネガティブ全開な数か月を送っていました。

2月のセッションから3月のセッションまでの間、
ちょっとした宿題が出されました。

それは

「嫌なことや腹立たしいことを書きだす」

これを続けた1か月ちょっとの間で私が思ったことは

ああ、私って怒りのコントロールが難しいんだなあ

ということ。

分かっていたようで、でも、認めたくないこと。

宿題の中にも書いた怒りエピソードの中で二つぐらいは
怒りでワナワナ震えることがありました。

セッションではこの時のエピソードを振り返りました。

そして気が付いたこと。

これまで私は
「人に話を聞いてもらえない」
ということに異常なほど悲しみや怒りを感じていたのですが
この
「話を聞かない(聞けない)」
ということは私自身ではどうしようもできないことなんだなあと。
だって、「聞く」の主体は相手なんだもの。
私がコントロールできる問題ではない。

そして私がすること、できることは
「自分の意見や気持ちを自分の言葉できちんと表現する」
ということ。

聞けるか聞けないかは相手次第だと。

やっと腹に落ちた気がします。
考え癖や想い癖とは厄介で
ついつい人をコントロールしたい、してやろう、と思ってしまうものです。

そういうちょっと残念な自分も自分なのだと
ようやく受け止めることができました。

まだまだ
お節介、お説教おじさんには
腹を立てる自分がいるんだろうけど、
去年の12月よりは
上手くやれるような気がしています。