ども 辻まことです。

 

 一晩明けてしまいましたが

   兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)

       1995(平成7)年1月17日 5時46分 淡路島北部を震源として最大震度7

 

 あれから丸24年が経過した。明け方の地震で太陽が出て明るくなるにつれてその全貌が明らかになる。ライフラインは寸断され、阪神高速は長距離の渡って倒壊、高層ビルが倒れる。高層マンションは途中の階が押しつぶされる。そして大規模な火災・・・。死者は、6434名にも上ったと報じられる。

 

 僕は、大阪で強い揺れを感じたものの、大きな被害もなかった。何度となくボランティアで復興支援に赴いたが、寸断された道路も含めて大渋滞、大型のタンクに水を入れてトラックで運んで丸1日かかるという状態で、乗り入れも制限されるようなこともあった。

 

 去年は大阪でも災害の多い一年だった。そんな時に役に立ったのは、やはりこの阪神淡路大震災の経験・記憶だった。

 

 2019年1月17日・・・一日遅れて記事を書いている自分が情けなくなる。しかし改めて風化させてはいけない、この震災を知らない人たちに僕の出来る事で伝え継いでいかなくてはならないという思いが強くなりました。