『私の夢は沢山の子どもたちに
勉強や未来のことを教えてあげる
学校の先生になることです』




卒業文集を読んでいたら

なんとなしに開いたページのすみに
それをみつけた。


優しくて可愛らしい夢。




だれだったかな、と名前を見た瞬間、

全身の毛が逆立つ感覚がした。




昔の出来事がフラッシュバックする。





触られたら菌が移る、って
『冗談』からはじまり、



無視、

ものをかくす、

机や靴箱にゴミや虫を詰められたり、


下校中、
ずっとすぐ後ろで
くすくすと悪口を言われたり、



毎日机の中に

『しね』

って書いた紙が入ってたり。





それはとある1人から
はじまったすべてで。


そしてその文集は、

そんな彼女、『A子』のものだった。






呼吸が浅くなりながら、


ああ、彼女は、
学校の先生になりたかったんだ。

なれたんだろうか。



なれていなかったらいいのに。



そう思ってしまった自分にも、自己嫌悪。





こんな言葉をよく聞く。





『過去の出来事に囚われていないで』




その言葉はもっともだ。

過去にいつまでも囚われて
膝を抱えてしゃがみこんでいたら



『今』を見ることもできない。

いつまでたっても『明日』へ辿り着けない。





そんな事はもちろん、わかってるんだ。


こっちだって
忘れられるものなら忘れたい。


なかったことにしたい。





それができれば
こんな歳まで苦労をしていないんだ。





なぜやられた側だけが
こんな大人になってまで


過去に受けた言葉や傷を

フラッシュバックさせて
悪魔にうなされたりしなければ
ならない?



彼女にとっては

世間にとっては



『そんな事』でも





私にとっては

いつまでも癒えない、
大きな大きな傷跡だ。




いまはSNSの時代だから

言葉なんて
相手を知らなくても

簡単に飛ばせる。



きっと
いちいち素直に真面目に受け取って
傷つく方がダルいんだろうね。


けれど、
発する前に今一度、


その言葉に潜む『トゲ』の脅威や

向けられた本人の気持ちに



気づく事は

どうしてもできなかっただろうか?





たとえば、



その人のためを思って発した言葉

『そんなつもりじゃなかった』言葉

不特定多数に向けたように見せる『空リプ』




強い正義を持つのは大切だけれど

それぞれがそれぞれの正義や
世界を持って生きているから。






押し付けるのはただのパワハラ。

ぶつけ合うのはただの戦争。






どうしても言葉数多い方に
共感の傾く世の中だけれど



私は腐ってもシンガーだから

『言葉』を戦争に使いたくなんかない。






私は、



今の職場に入って

『これを学ぶ事ができただけでよかった』

と思える言葉があって。




『どんなつもりで発したかではなく
  相手がどう受け取ったかだ』




世界中の全員に

こういう気持ちで生きろよ!

と言うわけではなくて、




わたしじしんが、

だれかの傷になるような言葉を
発して生きたくないから


とても大切にしている言葉。




きっとA子も

私が今この瞬間まで、

そんな昔の出来事を
フラッシュバックさせて
苦しんでるなんて、思っちゃいない。




けど、

これを読んでくれたキミだけは、


あしたからでいい、
すこしでいい、

『言葉を発する前に相手の立場になる』


を、

思い出してみてはくれないだろうか?





『いじめ』って

どこからが『いじめ』なんだろう



って、

よく考える。




私は、

受けた相手が『いやだ』と感じたら、

だと思っている。




難しい時代。

厄介な時代だね。


そんなこと言ってたら
何にも言えねーよ、

という方もいるね。




けどこれが
『他人と生きていく』という事だと

私は、思う。




明日もキミが

優しい世界で生きていける事を

ねがっています。