哲学的なタイトルになってしまいましたが、この世界に関わるようになってからずっと疑問に思って自問自答してきたことです。
愛が全てだと語っているブログが多いけど、愛っていったい何なんだろう
様々な気づきやメッセージによって今の時点で自分が感じている事を書いていこうと思います
まず結論を書きますと、愛とは一つのエネルギー、波動です。
これはだいたいの方が知っていらっしゃると思います
ですので、愛とは感情的な情緒的な基準で判断されるものではなく、科学(宇宙レベルの)で証明できる存在です。
夢も希望もありませんね
愛の波動は、三次元での生活活動と自分の内側とのフィードバックの中で表面化するものであり、愛とは実際は「ただそこに在るもの」です。
この言葉が繰り返し頭に響いています
そして、「愛=他人のため」などという短絡的な定義ではなく、一人一人の中で表面化する愛はみな同じではありません。
なのに、愛という言葉一つで片づけてしまうために、愛が全てですと言われても受け取る人によって湾曲して伝わったり、深く理解できなかったりするのだと思います。
世間一般的に認識されている愛の一例について。
愛は…を救う◯◯時間テレビ。あまり詳しくは知りませんが、身体障害者などのところに行ったり、震災に見舞われた方のところに行ったりして激励したりしていますよね。
それ自体はそれでも良いのですが、自分の世界には関係ないところにわざわざ行って、良い事をしたという自己満足で終わってしまうような気がしてしまうのです。
しかもたったの1日だけとは…。その日が終われば忘れてしまい、日常生活は利己的ではあまり意味がありません。
それをあたかも「これが愛です」と押し付けられてしまうと、やはり湾曲した理解に繋がってしまう気がします。
それよりも自分の世界の中で普段の日常生活にある愛に目をむけることのほうが大事です。
愛とは大それた事ではありません。自分を犠牲にしてとか、特別な事をすることが愛ではありません。あんなに長い時間マラソンをする必要もありませんむしろ些細な日常の中にこそたくさん存在する波動なのです。
富士山や満天の星空など大自然の中に身を置いた時に涙が出そうになったり感謝の思いが溢れ出るのは愛の波動のためです。そこに存在する愛を感じとるからです。
そしてそれは同じように、日常の中にも存在しています。自分の世界を生きる行動により、いまここに存在する波動を表面化させ、自分の内側でどう受け止めて今後の日常生活に活かすことができるかによって、その愛の波動は増幅されたり宇宙や地球に良い影響を与えたりするものなのです。
つまり、やはり愛も自分の世界の中だけのことなのです。
他人のためではないんです
日常生活の中で、友達のために、家族のために、という愛があると思います。ただそれも他人が中心ではなく、あくまでも自分の世界が中心でなければなりません。
ニュアンスが伝わりにくいかもしれませんが、自分を生きることが結果的に他人のために何かをしたことになったとして、それはその人のためではなく自分の世界をキチンと生きた結果なのです。決して自己犠牲であることはありません。それが愛の波動であり、宇宙の意識レベルなのだと思います。
そのためには真我と常に繋がらなければなりませんが、これが私達の目指すところだと感じます。
人間は、特に日本人は「波動使い」だとこの前どこかで目にしました。
先程書いたように、愛の波動は人間が介入することでさらに大きな波動となります。そして愛を感じた今この瞬間に永遠に宇宙に記憶され続けます。
ホントに分かりにくいですよね
まだ頭の中で上手くまとまっていないので、とりあえずここまでで何かを感じていただけたらと思います。
大事な事のようなのでまたいつか書こうと思います
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