今も放映されているかわからないのだが・・・ビルボード誌の全米チャート40位までをPVでいっぺんに放送してくれていた
「ベストヒットUSA」のようなチャート番組「ビルボードTOP40」
この番組、ネットワークの関係でDannaの住む地方では放送していなかったのだ!
Dannaもかつて関東圏に住んでいた時しか観れなかった!
しかし、ネットやYou tubeがなかった時代、この番組には本当にお世話になった
このカウントダウン番組内で知った、Dannaお気に入りの曲を思い出すコーナー
「7秒間の誘惑 ビルボードTOP40編」
本日取り上げるのは、ディオン・エスタスの「Heaven help me」である
ディオン・エスタスは、ミシガン州デトロイト出身のシンガーでベーシストである。
1974年に高校を卒業すると、コーラス隊でテナーを担当し、
モータウンのベース・セッション・ミュージシャン・バンドのザ・ファンク・ブラザースのジェームス・ジエマーソンに師事
R&Bバンドのブレインストームの2枚のアルバムのレコーディングに参加して、
1978年には「Journey to the light」「Funky entertainment」をヒットさせたのだった
1980年代に入ると、ベルギーに移住して活動拠点をヨーロッパに移す。
アイルランド、ロンドンと拠点を移していくのだった。
1982年にはマービン・ゲイの復帰作「Midnight love」のレコーディングに参加するチャンスを得る
そこで評価を高めた彼は、次に人気絶頂となるイギリスのグループ、ワム!のベーシストとして招かれたのだった
ここで気に入られたディオンさんは、そのままジョージ・マイケルのソロ活動にも帯同するようになり、
「Faith」のツアーにも参加していくことになる
ベーシストとして非常に腕が立った彼は、ティナ・ターナーやフランク・ザッパ、ジョージ・クリントン、エルトン・ジョン・・・などなど
大物アーティストと共に仕事をしていくのだった
そして、1988年には念願のソロデビューが決まり、シングル「Me or the rumours」でデビュー!
チャート的にはR&Bチャート15位と微妙にヒットする・・・
さらにアルバム製作することになり、1989年にはアルバム「Spell」をリリースする
ここで手助けを買ってでたのが我らがジョージ・マイケル!
ジョージさんは、いくつかの曲でプロデュースやリミックスを手掛けることになり・・・
目玉曲として世に出たのがシングル「Heaven help me」であった
何と言ってもジョージさんのプロデュースとバック・ボーカル参加が話題となり、
この曲は全米チャート5位を記録する大ヒットとなったのだった。
う~ん、R&Bな香りとソウル・フレーバーが効いた、なんとも心地よい1曲ですなぁ~
この曲のサビが番組で流れた時・・・
「あ!この独特の声は・・・ジョージ・マイケルだ!」とすぐにわかり、メロウな歌声に酔いしれたものである
曲のタイトルは「Heaven help me」であるが、まさにディオンさんにとってジョージの助けは「Heaven」だったに違いない
・・・まさか、と思うが、ディオンさんもおホモだちだったわけじゃないよね?
惜しむらくは、これだけ才能に溢れたディオンさんも、この1曲だけでそろ活動をやめてしまい、
ソロ・シンガーとしてはキレイな1発屋で終わってしまったことだろう
しかし、ベースで評価を高めた彼の、シンガーとしてのAORっぽいメロウ・ナイスな1曲は
ジョージさんの歌声と共に、永遠に残るメロディーとしてDannaの心に残っているのである
「ベストヒットUSA」のようなチャート番組「ビルボードTOP40」
この番組、ネットワークの関係でDannaの住む地方では放送していなかったのだ!
Dannaもかつて関東圏に住んでいた時しか観れなかった!
しかし、ネットやYou tubeがなかった時代、この番組には本当にお世話になった
このカウントダウン番組内で知った、Dannaお気に入りの曲を思い出すコーナー
「7秒間の誘惑 ビルボードTOP40編」
本日取り上げるのは、ディオン・エスタスの「Heaven help me」である
ディオン・エスタスは、ミシガン州デトロイト出身のシンガーでベーシストである。
1974年に高校を卒業すると、コーラス隊でテナーを担当し、
モータウンのベース・セッション・ミュージシャン・バンドのザ・ファンク・ブラザースのジェームス・ジエマーソンに師事
R&Bバンドのブレインストームの2枚のアルバムのレコーディングに参加して、
1978年には「Journey to the light」「Funky entertainment」をヒットさせたのだった
1980年代に入ると、ベルギーに移住して活動拠点をヨーロッパに移す。
アイルランド、ロンドンと拠点を移していくのだった。
1982年にはマービン・ゲイの復帰作「Midnight love」のレコーディングに参加するチャンスを得る
そこで評価を高めた彼は、次に人気絶頂となるイギリスのグループ、ワム!のベーシストとして招かれたのだった
ここで気に入られたディオンさんは、そのままジョージ・マイケルのソロ活動にも帯同するようになり、
「Faith」のツアーにも参加していくことになる
ベーシストとして非常に腕が立った彼は、ティナ・ターナーやフランク・ザッパ、ジョージ・クリントン、エルトン・ジョン・・・などなど
大物アーティストと共に仕事をしていくのだった
そして、1988年には念願のソロデビューが決まり、シングル「Me or the rumours」でデビュー!
チャート的にはR&Bチャート15位と微妙にヒットする・・・
さらにアルバム製作することになり、1989年にはアルバム「Spell」をリリースする
ここで手助けを買ってでたのが我らがジョージ・マイケル!
ジョージさんは、いくつかの曲でプロデュースやリミックスを手掛けることになり・・・
目玉曲として世に出たのがシングル「Heaven help me」であった
何と言ってもジョージさんのプロデュースとバック・ボーカル参加が話題となり、
この曲は全米チャート5位を記録する大ヒットとなったのだった。
う~ん、R&Bな香りとソウル・フレーバーが効いた、なんとも心地よい1曲ですなぁ~
この曲のサビが番組で流れた時・・・
「あ!この独特の声は・・・ジョージ・マイケルだ!」とすぐにわかり、メロウな歌声に酔いしれたものである
曲のタイトルは「Heaven help me」であるが、まさにディオンさんにとってジョージの助けは「Heaven」だったに違いない
惜しむらくは、これだけ才能に溢れたディオンさんも、この1曲だけでそろ活動をやめてしまい、
ソロ・シンガーとしてはキレイな1発屋で終わってしまったことだろう
しかし、ベースで評価を高めた彼の、シンガーとしてのAORっぽいメロウ・ナイスな1曲は
ジョージさんの歌声と共に、永遠に残るメロディーとしてDannaの心に残っているのである