こんにちは。

 

ヘルスケアコーチの中原由美です。

 


毎年、クリスマスには同じような事を想うんだけど。

過去の記事を読み返して、あぁ、同じだなぁとしんみりした今日。


2016年に書いたクリスマスの投稿を、

再アップしてみたいと思います。


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クリスマスもあと数日、この季節になると、

ある大切な人のことを思い出します。

 

大切だ。と言えるようになったのも、ここ数年かもしれないが。

 

 

今日は、里芋の皮を剥きながら、

 

昔見た光景を思い出しました。

 

実家のある新潟県南魚沼市は、とっても自然豊かな田舎で、

 

冬になると2メートルを超える積雪などもある、日本有数の雪国です。

 

日本一、多分世界一の米どころでもあり、コシヒカリブランドの最高峰です。

 

 

当然、家の周りには田んぼと山と川だけ。

 

雪国仕様なのか、家の前には側溝というには大きすぎる小川のような治雪用の川が流れています。

 

秋口になると、里芋を大量に入れた小さな水車が、その側溝でがらがらがらがら回ります。

 

 

 

ああ、秋だな。

 

 

その光景を見ながら、

 

芋洗い的なってこれだよね。。。とか、思いながら、

 

小学校に登校したことを今でも覚えています。

 

 

 

こんな思い出がフラッシュバックするのは、クリスマスが近いからかな。

 

 

 

実は、クリスマスは母の命日。

 

母が亡くなって、今年で7年が経ちます。

 

毎年、とても複雑な思いでクリスマスを迎えていたけれど、

 

年々、とても穏やかな気持ちでクリスマスを迎えられるようになってきました。

 

 

クリスマスを祝う習慣が、我が家(実家)にはあまりなくて、

 

クリスマスケーキをねだってねだって、ようやく買ってもらえたくらい。

 

だから、クリスマスの思い出とかも、正直そんなに無いんですよね。

 

 

今でも、実は、あんまりピンと来てない。

 

 

サンタさんが毎年来てくれるお友達はいましたし、

 

それは羨ましいな〜と思っていたんだけどね。

 

 

 

 

私は、小さな頃(といっても中学生くらいまでかな〜。結構長い。笑)

母のことをずっと本当の鬼ババアだと思っていました。

 

言動も、鬼。

 

言葉尻もきついし、

 

自分の機嫌が悪いと兄弟全員を叱り飛ばすし、

 

叱るならまだしも、八つ当たりとしか言いようの無い怒りをぶつけられてると感じることも多くて、

 

ただの怒りん坊。

 

冷たすぎる、冷酷すぎる。

 

介入の余地がなく、

 

子供はお前の奴隷か????

 

私だって好きで生まれてきたわけじゃ無い!

 

あんたが勝手に産んだんじゃないか!!!

 

と、毎度、そんなことを怖くてとても言い出せませんでしたが、

 

ハラワタ煮え繰り返りながら心の中で思っていました。

 

 

 

 

でもね、自分が母になり、子供ができて、

 

あらためて、当時の母のことを思い出したりすると、

 

もちろん、母にも問題がた〜くさんあったけれど、

 

その母の心情が、わからなくも無い自分がいるのです。

 

 

 

ああ、きっとあの当時、母はこんな気持ちだったんじゃなかろうか??

 

そんなことを、自分の行動や言動を自戒しながら、

 

考えたりするのです。

 

 

そしてちょっと、その人間臭い母の言動や行動を、

 

今の自分なら許せるなってことにも、気づいたり。

 

 

そんなことを、日々の娘との暮らしの中で、

 

振り返り振り返り、繰り返し、考えてしまうのです。

 

 

 

それでね、私は、なぜダンスの道に進んで、

 

なぜ、演劇を見るとこそばゆく、なんだか見ていられない気持ちになるのか?

 

映画ならなんとかいけるけど、

 

ダイレクトに感情移入できちゃう邦画が苦手なのはなんでか??

 

そんなことまでも思いを馳せてしまう。w

 

 

 

 

 

人のコミュニケーションで、完璧なものなんて一つも無い。

 

言葉なんか、特に一番曖昧なコミュニケーションだと思うんです。

 

 

人によって、言葉の解釈の仕方なんて、

 

もしかしたら180度違うかもしれない。

 

 

ただただ、ぎゅーっと抱きしめられる方が、

 

どんなに言葉を尽くして謝られるより、

 

ずっと心に響くかもしれない。

 

 

どんなに言葉を尽くして愛を伝えるよりも、

 

笑って抱きしめる方が、

 

確実に伝わる時が、伝わることが、あるのかもしれない。

 

 

 

全部を「説明」させようとするのは、

 

全部を「納得」させようとするのは、

 

傲慢でしか無いのかもしれない。

 

 

ぐちゃっと絡まった関係をほんわりほぐしたいなら、

 

一度、振り出しに戻って、


抱きしめて、

 

お互いに「ごめんね」と


仲直りすればいいだけで、

 

そこの「ごめんね」に、


意味や説明や意図を求めてはいけないのかもしれない。

 

 

許すって簡単じゃ無いかもしれない。

 

赦すって難しいかもしれない。

 

それでも、

 

言葉だけじゃなくて、

 

 

伝えるべきことの中心がなんなのか?

 

 

その「愛」について、お互いがしっかり受け止め合えるように、

 

コミュニケーションしていかないといけないのかもしれない。

 

 

願わくば、

 

言葉も態度も、全部が伝わるようになって欲しいけど、

 

なるべくそこに「誤解」や「すれ違い」が入り込まないようにしたいけれど、

 

 

 

 

言葉が、自分の思いを、変わらぬ愛を伝えるために、完璧では無いことを、

 

しっかり胸に刻んで使いたい。

 

 

 

そんなことを思うクリスマス間近の休日前。

 

 

 

 

世界中のお母さんの愛が、

すべての子どもたちに、

優しく伝わりますように。