5月3日に父方の祖父が亡くなった。

祖父は施設で暮らしていて、
明け方5時くらいに連絡がきた。

今年で90歳になるので、
寿命というかよく生きてくれたほうだろう。



ただね、これによって我が家は・・・


3年連続喪中です真顔真顔真顔キリッ
(あえての大文字)




2015年の3月に父が

2016年の4月に父方の祖母が

2017年の5月に父方の祖父が亡くなった。










うん・・・・
思わず葬儀屋さんのことを

『いつものところ』って口走っちゃったよね真顔



こんな調子なので

今年の3月に、父の3回忌と祖母の1回忌の法事があったところなんですよね真顔


この調子でいくと、来年は祖母の3回忌と祖父の1回忌の法事があるわけです真顔




なんか・・・
さすがにこたえるわぁ~チーンチーンチーンチーンチーン

となっていて
ブログもFacebookも
なんにもしたくない状態でした。



なんなの?
こんな連続で逝くなんて・・・

仲良しなの真顔真顔

とか思ってね。


ああ、そうか。
あの世で親子水入らずで仲良くする時間が欲しかったのかな。

と思った。




祖父や祖母にとっては、
大事な長男が自分より先に旅立ってしまった。

その悲しみはとても大きかったんだろうと思う。


特に祖母にとっては可愛い息子だったのだろう。
『私の寿命をわけてあげたのに』と何度も言っていた。


祖父は息子に続いて、妻まで見送ることになり、
とてもショックだったようだった。

認知症が進んでいたこともあったけど、
祖母が亡くなって数カ月後に
『(祖母は)生きている』
『どこにいるんや?連れて行ってくれ』
と言うようになった。

亡くなってすぐに対面してるし
お葬式にも参列して
その時は亡くなったことをわかっていたけれど

そんな記憶を消し去りたくなるくらい
ショックだったのかなと思った。





それぞれとの別れに
後悔が全くないといえば嘘になるけど
少ないほうだとは思う。




なによりも

あなたがこの日と決めて旅立ったのならば

わたしはそれを尊重したいと思った。



この時間、この場所で、こんなふうにと決めて。

どうしてその日だったのか

わかる日がくるかもしれない。

わからないままかもしれない。


でも、『今』だったんだよね。







祖父とのお別れのとき、
最期にどんな言葉をかけようかと思ったら

『ばいばい、またね。』としか出てこなかった。


もっと他にもいっぱいかける言葉はあったのかもしれない。


でも、思わず『また、どこかでね。』と声をかけていた。



きっと一緒に生きた日々が楽しかったから、
また会いたいなと思ったんだ。





お別れが続いたもんだから
なんだかひとつひとつを充分に悲しむ余裕もなくってね。


この一ヶ月はひたすら自分の悲しみに寄り添っていた気がする。

気を抜くと口からもれるのは
『ツライ( ;∀;)』って言葉だったから。



そんなとき、
ワンコたちの生きてる温かさが癒してくれた。

なにも言わないから、気兼ねなく悲しみに浸ることもできた気がする。


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チワワ100%


↑こんな画像を合成して楽しむほど
元気もでてきた(笑)





死に触れるたびに

わたしはわたしの人生を
存分に楽しんで生きよう。

そう新たに決意する。


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