インドネシアとの経済連携協定(EPA)に基づき、
インドネシア人看護師・介護福祉士候補者らの第一陣101人が、
先日来日しました。


報道陣を前に長旅の疲れも見せずに、

希望に満ち溢れる笑顔で記者からの質問に答えていました。

入国後は、海外技術者研修協会と国際交流基金が実施する
日本語研修を約半年にわたって受け、
その後病院や介護施設で働きながら研修を受け、
看護師や介護福祉士の国家試験合格を目指します。


私は彼らに心からエールを送ります。


なぜなら身を持って知った体験があるのです。


それは1960年代初めのことです。
めったに病気にならない私が体調を崩し、
インドネシアの病院に入院を余儀なくされてしまいました。
看護師の方々は皆献身的に介護して下さり、
ベットの上でシーツを濡らさずに体の隅々まできれいに洗い、
丁寧に拭く、この一連の作業に、私は舌を巻くほど
心から驚嘆し、称賛致しました。


これは決して私が特別な立場であったからではなく、
多数の入院患者の中の一人としての扱いでした。
どの患者に対しても同じように彼らは愛を持って接し、
明るく一生懸命、愛を持ってを看て下さっておりました。
イスラムの人達は、大変清潔で(1日に3回はマンディ(水浴)をする)

慈悲・慈愛の精神を全うする事を学んでおります。
また、回教の規律が厳しい彼らは幼児とお年寄りを大切にし、
尊重する優しい心を持っております。


これには大変感激し、インドネシアでの忘れられない

大切な思い出の一つでございます。


これは近年の日本に忘れられている精神ではないでしょうか?


その結果、高齢化社会を迎えたにも関わらず
慢性的な介護施設での人手不足という深刻な結果に陥り、
今回の政策に頼らざるしかなくなりました。
私はこの政策は大いに賛成です。
人間関係が空洞化してしまい、他人との関係を築くのを
おっくうになってしまった日本人の精神に、

温かい笑顔が光を灯してくれること、間違いありません。
たとえ国籍は違っていても、幼い子やお年寄り、弱った人を
大切に思う気持ちがあれば心は通じるはずです。


しかし気になる問題がございます。


来日した候補者はいずれもインドネシアの看護資格を持ち、
日本では看護師の助手、介護職員として働きながら
介護職は来日から4年、看護職は3年の間に

日本の日本語での国家試験を目指し、万が一不合格の場合は、
インドネシアに帰国を余儀なくされてしまうという事です。
日常会話さえ最初から習う者に対し、日本語での専門用語が
沢山出てくる試験など到底無理。


3、4年間もの間、心のこもった愛の手で、
沢山の日本の人々を介護したにも関わらず、
ハードルの高いテストでバッサリ振り落とし、
ハイさようならと恩を仇で返すようなこと。
つまり、3、4年安く仕事をして急場を救ってくれれば、
後は用は無いということなのでしょうか。


日本語の試験など、どうでもよいのではないでしょうか。
既にインドネシアの看護資格を持っているのですから、
日本で更に学び、グレイトアップした彼ら達を帰す方はないでしょう。
今、日本が必要としているのは心と愛のこもった看護や介護、
それでよいではありませんか?