【家族のような仲間になるためには どうすればいいか?】 | ドリームガイドメッセージ:ホリスティックソウルコーチ・Wakanaのブログ

【家族のような仲間になるためには どうすればいいか?】

私の宝物は、心から愛しいと思える

家族のような人たちがたくさんいること。

ありがたいことに私たち夫婦には心を寄せ合い、

善い時もそうでない時も

自分のことのように感じ、繋がり合い、

愛で磨き合える仲間がたくさんいます。


そんな仲間たちと人生を切磋琢磨して生きていると

相手という存在を通じて、

人としてのたくさんの学びと喜びが与えられます。


血の繋がりを超えた仲間になるとは

どういうことかについて、

これまでの自分の約40年間の人生の体験からの思索と

約10年様々な形で大きなコミュニティにどっぷり関わって、

共に築きつくりあげてきてわかったことを

今日はここに記したいと思います。


私たちのコミュニティに限らないことで、

何かのコミュニティに入ったときに

その仲間との繋がり方、

その仲間の中での自分の立ち位置や役割、

自分の価値などについての葛藤や不安、恐れの経験が

誰にもあるのではないでしょうか。


仲間であることのプロセスの様々な体験を通じて

心揺さぶられて自分のバランスを見失いそうになりながらも、

自分の生きるテーマと重ね合わせて向き合いながら

一生懸命光の繋がりと

自己成長を見出そうと希望を託している。

皆さんのことを感じるとそんな姿が見えてきます。


家族のような仲間はどうすればできるのか。


この問いかけに対しての私の答えは、

自分自身に心を開いて

自ら仲間に対して心を開いて、

ありのままに正直に相手を尊重して関わることです。


他者との関わりにおいて、

孤独感や焦燥感、マウンティングや自己否定などが

否が応でも生まれてきます。

自分では気づかなかった思考や関わり方の癖も

近しい仲になれば鏡のように見せられるので、

この部分が面倒で仲間でありたいのに

そうなることを拒むこともあるようです。


ただこれらは、今までの自己の蛹を脱ぐ時に起こる

自然なプロセスであるため、

自然の一部である私たちには

成長の段階で自然に起こされています。

相手が起こしたのではないし、

自分が足りなくて起こったのでもない。

私たちはすでに充分持っていて

天から信頼されているからこそ、

この人生に起こされていくものです。


そこを突き抜けていって、

ただ出逢えたことの嬉しさと必然に思いを馳せ、

様々なご縁の重なりによって

今ここに生かされていることへの感謝と、

相手を想う、祈りに近いおもいを

胸にじんわりと響かせておくことが

善き仲間としての関わりの土台となる在り方だとわかってきました。


その祈りに近い仲間への思いが

仲間に対する自然で愛ある関わりや行動を生み出し、

自分自身の最も深い魂の懐を温めて

御縁がきらきらとまあるく私と貴方を囲んで、

本当の腹で繋がることのできる仲間となるのだと思います。


また、もう一つ絶対に必要なことがあります。

それは、

「仲間であることを自分自身が自覚すること」

これは心を開いていくということでもあります。

どれだけ相手が仲間であると大切に思っていても、

当人が自覚しなければ(心を開かなければ)

繋がりが育まれていかないからです。


自分が仲間であるというバロメーターとして

いつも一緒にいることや近くにいること、

共に旅行したり、仕事のパートナーになること、

たくさん話を交わしていること、

褒められたりすることやたくさん感謝されること、

自分がとても役に立ったという感覚を得る行動や言動をもって

自己価値を計りたくなることがあります。


これはどういう時に起こるかというと、

自分の心から自分が離れた時です。

つまり、自分を生きることにまだまだ集中できていない時。


表面的に役に立つがどうかや

何かをすることや何かに成ることは、

仲間になるのにあまり関係がないように感じます。


頂いたご縁をどのように大切に受け取り、

自らが育んでいくか。

自分を大切に生きているか。

相手を尊重して、

自分の欲を満たすためでなく、

相手にとっての一番を真剣に思い、関わろうとしているか。


仲間としてだけでなく、

人として自分に

問い続けていかなければいけないことだと思います。


相手を仲間と思い絆を築いて過程で、

自分自身との絆もぐっと強くなっていきます。

むしろ自分との絆を築くために

仲間という存在があるとさえ思います。


それは自分自身を

信頼と愛で満たしていくことになり、

その愛はご縁のパイプを強く太くしていって

相手により透明な美しいエネルギーを流していき、

どんどん大きくなって循環していきます。


そうはいっても血が繋がっていないのに

家族のような仲間になるなんて難しいと戸惑うこともあります。

特に、自分が仲間だと思っても

相手にそう感じてもらえない時に

とても傷つくのではないかという不安もあると思います。


私は最初から血の繋がりを超えた仲間という

御縁への確信を抱いて生きてきたわけではありません。

ここまでの確信まで至るには

トライアンドエラーがありました。


例えば、私は生まれてすぐから、

誰一人血の繋がりのない人たちの中で

命を育んでいただきました。

また、自分が長年親友だと心を開いていた人から

最初からずっとそう思ったことはなかったと

本人から伝えられたことがあります。

自分は仲良しの大好きなグループの仲間の一員と思っていたけど、

そこの一員でないという行為を受けたことも何度かあるし、

心から信じていたことが、

心えぐられる悲しい現実として

人生に差し出されたこともあります。


そのような体験の中で

本当の本当に私に発せられているメッセージや智慧は

何なのだろうかという問いを常にこの身から離すことなく、

自分なりの真実をどうしても知りたくて、

深く土を掘るように目を背けずに探求して

向き合い続けてきました。


だからこそ、御縁の大切さや深さ、愛し方、繋がり方、

いつも相手の光と自分を信頼する強さが養われていったし、

家族のような仲間はつくることができると

自信をもって伝えることができます。


人生をまるごと信頼し、

どんな自分の心の思いも受け入れることができると

仲間を許し、受け入れ、待ち、寄り添い、

相手の中に元々ある光と

今出逢ったご縁を信頼できるようになります。


うまくそう在ることができなくても、

この生き方と関わりをしていこうとする意思が

互いに自分を預けることとなり、

それが家族のような仲間になるということだと

私は理解しています。


誰もが思い切り自分を愛し、

誰かを愛することができるのです。


ご縁ある大切な存在であると思えば、

家族のように支え合えるかけがえのないご縁となります。


皆さんも出逢った人の中で、

この人とはずっと昔から知っているような気がする

というご縁を経験したことがあるかもしれません。


みんな、血の繋がりを超えて

私たちはひとつの家族になれる、というより、

元々ひとつの家族だから出逢っている。


私たちは仲間。


時に分かり合えなくても

育みの対話と自他への信頼を通じて

お互いに学びあい、思いあって進化していくのです。


愛する家族のことは感じられるといいますが、

いつも一緒にいなくても

私も皆さんのことを遠くから感じています。

たとえ相手が私を家族のような仲間だと思ってなくても、

私が勝手に思っていればその人がどんな状況がわかるのです。

これは超能力でもなんでもなくて、

人が誰かを思うことの本能的な能力であり、

私自身も気づかないところで

そういった私を思ってくださる光線に

支えられ、生かされ、いっぱい助けていただきました。

そういう関わり合いで人は生かされているのですよね。


今共にあっても別々の道を歩んでいても

それぞれの神性を

人として生きる道を信頼しています。


ここに記したことは、

皆さんがすでに理解していることかもしれません。

けれども、私も含めて人間というのは

その最中にいたりすると

大切なことを忘れてしまったりすることもあるし、

大切なことだからこそ、

何度も様々な形で気づいていきたいのです。


これから仲間となる方々がきっとたくさんいることでしょう。

この世を去るまでに

どれだけたくさんの愛しさに出逢うことができるのでしょう。


私たちの大切なひとたち…

本当に大好きです。


私たちを支えて愛してくれて大切にしてくれて

皆さん、本当に感謝しています。