ドリームガイドメッセージ:ホリスティックソウルコーチ・Wakanaのブログ -2ページ目

今年に入って、沖縄は本島と宮古島での暮らしのデュアルアイランドライフ。初めて東側の方に...

愛と正義で生きる時知っておいた方がいいこと

【それぞれの愛や正義に一所懸命生きていても、
ただ、育った環境、文化、宗教、
その人、その時の状況によって、
それぞれの愛が互いを大きく傷つけることもある。】

この前、愉快な晩餐で幸せいっぱいで帰宅途中、
狭い道でたくさんの車が行き交う時間帯、
外国人の方が両ハンドルに荷物を持って
自転車で道路を走っていた。

安全運転で運転が上手い友人は左折しようと
いつものように左に少し寄った時、
後ろから、
その外国人の罵声が聞こえてきた。

「おれの道を邪魔しやがってバカヤロウ」
みたいなFワードを連発。

私たちの前の車も左折するために少し左に寄ったので、
その車にも自転車を降りて
信号が変わるまで怒りのジェスチャーを向けていた。
きっと前の車もすごく怖かったと思う。

わたし以外のメンズたちは冷静ながらも
理不尽な気持ちになっていたのだろう。

その交差点では、
他の自転車の人たちは自転車を降りて
広めの歩道の方にいたので、
ここの通りでは道路が狭い分、
みんなそうしているみたいだった。

その方はそれを知らなかったし、
アメリカでは道路に自転車用の通路がきちんとあって、
そこは歩いたり、車が来たりしても悪いから
その感覚でいたのだろうと思う。

愉快な空気が凍りついたように静かになった。

その出来事のあと、
別に悪いことはしてないんだけど、
罵声のエネルギーにびっくりしてしまって、
正直ショックを受けて
実は、心の中では数日ものすごく傷ついてしまった。

でもね、ふと思ったの。

彼はきっと故意に意地悪されたと思って、
すごく怒っていたんだと思う。

何か嫌なことがあったか、
外国人ということで嫌な目に遭ったことがあって、
その出来事と結びついてしまったのか。

日本の曲がるときは少し寄って…という
運転の仕方を真面目にしていた人たちは、
なぜそんなに怒られるのかわからないから、
理不尽な思いをした。

日本とアメリカの自転車の道路での乗り方も
大分違うと私は感じてるんだけど、
日本では道路ではどこか車優先みたいなところが
無意識にあるよね。
横断歩道もアメリカは人が渡るの優先だけど、
日本は信号ないところでは車優先。
歩いてる人が車に遠慮して小走りするくらい。

そんな違いの中のそれぞれの正義があって、
それがぶつかり合ったとき、
愛とか正義が強い程、
受け入れらないと主観で感じると
ものすごく傷ついて、それは怒りになる。

同時に19歳の頃のことを思い出した。
その頃仲良しだった外国人の友人がいて、
彼女に大変なことが重なったのか、
しばらく国に帰って音沙汰がなくなった。

数ヶ月後、突然実家に電話があったのだけど、
その頃いたずら電話が多くて、
父はとてもピリピリしていた。

友人からの久しぶりの電話だったけど、
彼女は名乗らずに私の名前を伝えたのだろう。

父は、いたずら電話だと思って、
「わかなはいません。」(本当に不在だったのだが)
と強めに言い、電話を切った。

その後、彼女からの長い怒りの手紙が届き、
私はびっくりして、ショックを受けてしまった。

ご縁が変化するタイミングだったのだろうが、
個人的に彼女を想っていただけに、
何年も彼女に心で謝ることしかできなくて、
引きずってしまったということがあった。

何故あんなに怒ったのか。
何故私をあんなに拒絶したのか。

でも、今回の出来事のことを感じていたら、
あの時彼女はここ日本では外国人で、
日本人に拒絶されたという感覚があったのかもしれない、
と思えてきた。

だから、
誤解を挽回する機会さえ受け取れないほど、
すごく怒って、ものすごく傷ついたのかもしれない。

父は私への愛に生き、不審だと感じた電話を切った。

彼女はあまり外国人がいない地で一所懸命生き、
なんだかんだ言って、
私のことを大好きになってくれて
自分の愛を異国で見つけようとして、傷ついた。

文化や国、宗教の違いだけでなく、
その時の自分の状態、状況で、
誰に非がなくても、
それぞれの愛を生きたことで
大きな傷を受けることがある。

その主観の愛や正義が強ければ強いほど、
傷も大きくなる。

これは、愛を生きる上で
知っておかなければいけない大切な事実だ。

今回の出来事は、
より愛に生きることについて深く受け取ることを
私に与えてくれたと思う。

だから今は、ショックは消えてどちらかというと
尊いきもち。

どうか傷ついた人たち、傷ついた心(自分も含めて)に
目一杯の慈愛が与えられますように。

関わった人たちの過去の全ての傷が
どんどん癒えていきますように。

そもそも、誰も傷つく必要はないのだから。

そして、それぞれの愛を安心して大切にできる世界が
今ここから体現できますように。

違いを受け入れられる大きな心と理解、
自分で自分を傷つけることをしない心のつかいかたを
自分も含めて、
ひとりでも多くの人が容易に実践できますように。

最後に、最近友だちに教えてもらった言葉を。

「Help ever hurt never.」



庭にウッドデッキができた。夕刻に登ってみると、お月さまが目の前に大きく佇んでスポッ...