私とグラビア | 篠原冴美オフィシャルブログ「さみぃーるーむ」Powerd by Ameba

私とグラビア




写真集・写真展が終わりました。














こんな大きなパネルをたくさん
2フロアに飾らせて頂きました💐꙳⋆


大きさが写真だとあまりわからないですね笑


私文章をまとめるのが苦手でも書くのは得意で
小学生の頃は作文用紙1枚提出でいいところを
15枚書いて提出した記録を持ってます
(先生は迷惑だっただろうな笑)


なのですが、
18日に写真展が終わり何度もブログを
書こうと思ったけど


言葉がでてこない、、



なんか言葉にすると
軽くなってしまいそうで…

ちょっと意味わからないですよね?

なんていうんだろう。

私にとって凄く凄く凄く大きなことだったから
簡単に文章にできなかったんです


グラビアを始めて10年

こんな幸せな日を迎えられると思わなかったな…



私は母曰く物心がつく前から男性恐怖症でした

でもある事がきっかけで17才の時
ミスヤングチャンピオンを受けることになりました


たまたまグランプリになり
一年の任期を契約しました


男性にそういった目で見られることまで
考えてなかったから学校でいじめられて
私のグラビアページが
ぐちゃぐちゃで机の中から出てきたり
陰口を言われるようになり
この仕事は汚い仕事なんだと思いました


もともと恥ずかしがりで
カメラテストの時からグラビア向いてないって
わかってたからいじめられてさらに
グラビアの仕事が辛くて辛くて
しんどくなりました。


そして自分がどうしても嫌だと言っていたのに
その画像が使われてしまったりして
事務所を信用ができなくなり、怖くなり
(今思えば全然普通の画像なんですけどね、当時は高校生だったので少しでも小さい水着が嫌だったんです)

辛いし怖くて辞めたかったけど
契約で辞めれなくて
当時のマネージャーさんとも過呼吸になるくらい
たくさん話し合いました


そして任期を終えグラビアを辞めました

DVDを撮らなくてよくなった時は
凄く嬉しかった


でも過去は消せなくて宴会中の男性たちに
顔バレしてGoogle検索した私の水着画像を
出されてセクハラなことを言われたり
道を歩いててグラビア画像見せられて
この子だよね?おっぱい見せてよって言われたり

残ってしまった過去を消したくて
自分の水着画像が簡単に見られてしまう
世の中が嫌で嫌で仕方なくて
泣いた夜も沢山ありました


だけどその後マスカッツに入り
中、高の人と会わなくなり
気持ちに変化がありました

20才になり自分がなにをしたいのか
考えていた時

一度逃げ出してしまったグラビアを
克服しないと次の章に行けない気がしました


あまりにも周りの目を気にしていたけど
一般職の友達に会うことも減り
気にしないでいいと思うようになり
きっと自分の中で中途半端にしてしまって
後悔が残ってたんだと思います


そして考えが変わりつつあった私は
当時のマネージャーさんは
私のために色々考えてくれて
お仕事持ってきてくれてたのに
私がグラビアがしたくないという理由で
沢山迷惑をかけてしまったから謝りたいと思い


2012年4月7日のマスカッツ解散ライブに
他のマネージャーさんに呼んでもらいました


ですが4月6日
マスカッツ解散の前夜
そのマネージャーさんは謝れない場所に
急にいってしまいました
自分が情けなくて涙が止まりませんでした


そしてそれからグラビアというワードは
私の中に深い傷として残りました
私がグラビアが嫌いじゃなかったら
マネージャーさんをもっと笑顔にできてた
私のために頑張ってくれてたのに
本当にわがままで沢山お仕事断ってしまって
困らせてしまってごめんなさい
今でも後悔してます


そしてその後当時の事務所では
もうグラビアができなかったので
今の事務所に移籍しました


色々な邪念を振り切って
絶対に中途半端にしないという
強い意志でまたグラビアを始めました


これが5年前です


移籍してすぐ私の希望で
DVDが決まり撮影しました

マネージャーさんには今までのことを
お話ししてたので凄く心配してくれてました


私は頑張るぞ!って気持ちでいざ挑んだ撮影


裏で号泣でした

ただ水着で立ってるだけなのに
何で私は水がないところで水着着て
ビデオで撮られてるんだろうって
もう嫌で嫌で嫌で
なんでこんなに嫌なのにまた自分から
やりたいって言ったんだろうって
自分が自分でわからなくて

でもなんか分からないけど
頑張りたかったし
頑張らなきゃいけないと思ったんです

ここでグラビアを辞めてしまったら
私の人生は全て中途半端になると思ったんです


そして現場は気合いで乗り切り
事務所にはそんな無理してやらないでいい
もうグラビアは辞めようと言われました

凄く悔しかった。本気で挑んだのに
勝手に涙がでてきてしまうことが悔しかった…

どうしても頑張りたくて再出発したことだから
生半可な気持ちじゃなかったから
マネージャーさんと話し合い気持ちを伝え
グラビアを続けていくことになりました

それから毎年2本ずつDVDを撮り続けました

そして復帰して3年経った頃

撮影していてふと楽しいという感情が
産まれました

今思ってもあの瞬間は不思議で
自分の中でも驚きました

いつもと同じ撮影なはずなのに
特別なにか変わったわけでもないのに
楽しいって思えたんです

めっちゃ嬉しかった
やっと楽しいって思えたって凄く嬉しかった

それからはグラビアの撮影も苦ではなくなり
楽しくできるようになりました

そんな時ファンの方から写真集が見たいと
言って頂きました

そこで事務所に相談して
ファンの方が希望するもの、
自分の撮りたいものを撮ってもらいたい
色々考えた末に
クラウドファンディングをすることに決めました


それから1年3ヶ月


写真集のみならずみなさんのおかげで写真展も
開催することできました




 


そしてまた新たな新しい感情に出逢えました


それは、






グラビアをやって良かった






という感情でした。


楽しいと思えても
グラビアをやって良かったと
思ったことはなかったんです


みんなのおかげでずっとずっと望んでた
出逢いたかった感情に出逢わせてくれました

涙が止まりませんでした

嫌いから始まった私とグラビアのストーリー


どんなに楽しいって思っても
グラビアをやってて良かったと思える日が
来るなんて思わなかった


そして取材を沢山していただく中で
気づいたのがグラビアを始めて
ちょうど10年目だったということ


この10年間本当に沢山色んなことがありました

でも逃げずに頑張ってきて良かった
自分を信じて芯を曲げずに
やりきることができて良かった

今はとても晴れやかな気持ちです


Googleででくる画像だって誇りです
私が一生懸命頑張ってきたことだから

バカにされたって関係ないです
私が一生懸命頑張ってきたことだから


こんな風に高校生の頃から言えてたらなぁ
これが成長でしょうか


ここまで私1人だったら絶対来れてなかった
マネージャーさんや応援してくれてる
みなさんが支えてくれたから
10年間諦めずにここまで走って
目標に辿り着くことができました


グラビアに対して
もうやり残したことはないなって思えました。


そしてこんなにやりきったのに
まだ人生は続くのねなんて思ったり

ゲームだったら、映画だったら
この物語はもう終わりなはずなのに

私の物語はどうやらまだまだ続きます


20才の時グラビアを克服しないと
次の章に行けないと思っていた私

でも確実にこの章は閉じました


そして27才の頃から30才になる前に
次の章をどうするか自分の中で決めてました


新たな章もまた素敵な章にするために
まだまだ頑張って生きたいと思います


次の章では人のために生きる章にしたいです。

いや、します。



今回は写真展というよりは
グラビアとの思い出について
書いてしまいました!笑


相変わらず文章をまとめるのが下手で
長く書いてしまいましたが
最後まで読んでくださって
ありがとうございました✨

また改めて写真展については書きますね🕊




最後に一言

頑張って来れたのはどんな時でも
応援してくれるみんながいるから。
いつも支えてくれてありがとう。大好き!