若干、過去記事を弄ってみた。
レファランスコードを引くのが面倒臭い、あるいはやり方を分からない方のために、画像LINKを追加した。
どうでしょう?
また、それに併せて、若干読み間違えていた所を修正。(内緒)
どこを変更したのかは、各自、ご確認いただけるとありがたいです。

さて、前回のエントリーで暗殺に成功した安重根。

彼は、旅順監獄中で書いた手記における「伊藤博文罪悪」と1909年10月30日の第一回訊問の際、伊藤博文の殺害理由である十五ヶ条を述べている。
今回はそれを取り上げてみたい。

1.1867年、大日本明治天皇陛下の父親太皇帝陛下を弑殺した大逆不道のこと

(訊問の際は第14、今を去る42年前、現日本皇帝の御父君に当らせらるる御方を伊藤さんが失ひました其事は皆韓国民が知つて居ります)

孝明天皇の事である。
孝明天皇の崩御は1866年12月25日であり、その頃伊藤博文は長州におり、宮中に入れる身分ではない。
まして伊藤を重用したのは明治天皇である。

2.1894年、人を韓国に遣わして兵を皇宮に突入させ、大韓皇后陛下を弑殺したこと

(訊問の際は第1、今より10年許伊藤さんの指揮にて韓国王妃を殺害しました)

1895年10月8日の閔妃暗殺事件の事である。
首謀者を三浦梧樓とする説、大院君の協力要請に三浦が乗っかった説など様々な説がある。
 
当時、伊藤博文は内閣総理大臣であったのは事実だが、政府が直接関与した資料は無い。
三国干渉の直後であり、奉天(遼東)半島還付条約の調印(レファレンスコード:A01200801700)も済ませていないこの時期、そのような命令を伊藤が下すはずが無いと考えるのが通常であろう。

3.1905年、兵力を以て大韓皇室に突入し、皇帝陛下を脅迫して五条約(第二次日韓協約)を定めたこと

(訊問の際は第2、今より5年前伊藤さんは兵力を以つて5ヶ条の条約を締結せられましたが夫は皆韓国に取りては非常なる不利益の箇条であります)

従前のエントリーで記載したとおり、大韓帝国は国家として完全に破綻していたのであり、そこまで追い込んだのは、宮中であることに安は気付いていない。
若しくは、見えないふりをしているのかも知れない。
 
また、当時は韓国においても国際法が研究されたようであるが、解釈として間違えている。
この当時と現在とで、ほとんど認識が変わっていないところは、笑っておけば良いのだろうか?

4.1907年、さらに兵力を加えて以て韓国皇帝の前に突入し、抜剣して脅迫によって七条約(第三次日韓協約)を定め、その後大韓皇帝陛下を廃位したこと

(訊問の際は第3、今より3年前伊藤さんが締結せられました12ヶ条の条約は何れも韓国に取り軍隊上非常なる不利益の事柄でありました。
及び第4、伊藤さんは強いて韓国皇帝の廃位を図りました)

この条約の原因は、高宗が第二次日韓協約を無視して、ハーグに密使を送ったことである。
宣戦布告に値してもおかしくない行為であった。
また、高宗に退陣を最も強く迫ったのは、当時の内部大臣宋秉畯と総理大臣李完用である。

5.韓国内の山林川沢、鉱山、鉄道、漁、農、商、工業等をすべて収奪したこと

(訊問の際はなし)

2月22日のエントリーのとおり、財政に困窮し、利権を売り払っていたのは宮中である。
また、李氏朝鮮のどこに収奪するだけの商工業があったというのか?
全て、外国資本を基調としたものだけである。

6.いわゆる第一銀行券を韓国内に強制してみだりに通用させ、全国の財政を枯渇させたこと

(訊問の際は第10、何等充つへき金なきにも不拘性質の宜しからさる韓国官吏に金を与へ韓国民に何等の事も知らしめずして終に第一銀行券を発行して居ります)

1904年の目賀田男爵の貨幣整理については長くなるため別の機会を得たいと思うが、李朝末期の貨幣状態は、葉銭、白銅貨、ルーブル、日本銀、中国銭が混在しており、同一国内での、この貨幣状態では十分な経済活動を支える事はできず、貨幣制度の改革が急務とされた事は、朝鮮朝廷でも認識されていた事である。
 
日本、中国商人が白銅貨の買占めに走り、白銅貨の暴落の噂が流されたため、朝鮮商人が白銅貨の整理に走り、不必要な被害が発生したのは事実であるが、買占めが行われるほど有利な交換条件だったのである。
 
そして、不良官僚を登用していたのは誰であろうか?

7.国債一千三百万元を韓国に強制して引き受けさせたこと

(訊問の際は第11、韓国民の負担に帰すへき国債2,300万円を募り之を韓国民に知らしめずして其金は官吏間に於て勝手に分配したりとも聞き又土地を奪りし為なりとすと聞きました之韓国に取りては非常なる不利益の事であります)

国庫破綻していたのだから、どこかから金を調達せねばならないのは当然である。
日本が負担した金は、当時の日本にとっても莫大な金額である。
「官吏間に於て勝手に分配したりとも聞き又土地を奪りし為なりとすと聞きました」に至っては伝聞であり、2月26日のエントリーでhitkot氏の調査内容を紹介したとおり、国債報償期成会の幹部の使い込みであった。
もっとも、これも韓国側に言わせれば「日帝の隠蔽」であるらしい。

8.韓国内学校の書籍を圧力によって押収焚焼し、また内外の新聞を人民に伝わらしめないこと

(訊問の際は第8、韓国の学校に用ひたる良好なる教科書を伊藤さんの指揮の許に焼却しました
及び第9、韓国人民に新聞の購読を禁しました)

安の考える良好な教科書とは、何であろうか?
事実に基づかない現代の韓国の国定国史教科書は、安にとって良好な教科書だろうか?(笑)
 
また、新聞の購読を禁止したとは何の事であろう?
『皇城新聞』が反日世論喚起による張志淵の逮捕により、一時停刊となった事くらいしか思いつかない。
『大韓毎日申報』については、イギリス人であるベッセルが社長をしていた事もあって、そのような話は聞いた事がない。

9.韓国内において、国権回復のために蜂起した多数の義士を暴徒と称し、たえず銃殺あるいは絞殺し、甚だしきは義士の家族も全部殺戮して、その数は十余万人にのぼれること

(訊問の際は第6、条約締結に付国民が憤り義兵が起りましたが其関係上伊藤さんは韓国の良民を多数殺させました)

正規の条約に基づいて韓国に駐留する日本軍を「義兵」と称して襲う者に対して自衛権を発動したのは当然の事である。
また、「義兵」の戦死者は約17,000名である。
本気で十万人以上も死ぬ程、支持されていたと思っているのであろうか?
そうだとしたら、実におめでたい。

10.韓国青年の外国留学を禁止したこと

(訊問の際はなし)

自らは、比較的自由に上海やハルピンに出国しているではないか。
何が禁止にあたるのか、理解しがたい。

11.いわゆる韓国政府大官の五賊、七賊等と一進会の輩を結合し、韓国人は日本の保護を欲すると言わしめたこと

(訊問の際は第13、韓国の欲せざるにも拘はらず伊藤さんは韓国保護に名を籍り韓国政府の一部の者と意思を通し韓国に不利なる施政を致して居ります)

五賊とは、第二次日韓協約の時の内部大臣李址鎔、外部大臣朴齊純、軍部大臣李根澤、学部大臣李完用、農商工部大臣權重顯の5名で、一般に乙巳五賊と言われる。
 
七賊は、丁未七賊と呼ばれ、第三次日韓協約時の内閣総理大臣李完用、内部大臣任善準、度支部大臣高永喜、軍部大臣李秉武、学部大臣李載崑、農商工部大臣宋秉畯、法部大臣趙重應の7名である。
 
言わせたというより、当時の国際情勢においては、それ以外に方策が無かったのである。
もし安重根が、巷で言われているとおり高潔な人物であるならば、正しい情報を得られていれば同様の選択をしたと考えるが、どうであろうか?

12.1909年、さらに五条約(韓国司法及監獄事務委託に関する覚書)を強制して定めたこと

(訊問の際はなし)

条約ではないのだが、この1909年7月12日の覚書以外に該当するものが無い。
また、実は法部大臣が廃止されたのは1909年10月31日勅令第85号によってであり、伊藤暗殺後の事であった。

13.韓国三千里の彊土をあたかも日本の属邦であるかのごとく宣伝すること。

(訊問の際はなし)

実態がそうであるので、仕方が無いとしか言えない。
そもそも清の属国であったのを独立させてやったにも係わらず、ロシアに事大し、そのような状況を招いたのは、誰であったか。

14.韓国は、1905年以来、安寧の日はなく、二千万生霊の哭声は天を振わし、今にいたるも殺戮は絶えず、砲声弾雨も止まないにもかかわらず、独り伊藤のみは韓国が太平無事であると上は明治天皇を欺いている事
(訊問の際は第15、伊藤さんは韓国民が憤慨し居るにも不拘日本皇帝や其他世界各国に対し韓国は無事なりと言ふて欺いて居ります)

安重根が伊藤を暗殺した頃は、韓国内は比較的平穏な状態であって、「義兵」は海外へ逃亡していたではないか。
現に自分はロシアへ逃げているわけだが、どうなのだ?
明治天皇も諸外国も、事態を把握できない程無能ではない。

15.これより東洋の平和は永久に破れ、幾億人が将に滅亡を免れ得ないこと

(訊問の際は第12、伊藤さんは東洋の平和を攪乱しました其の訳と申すは即ち日露戦争当時より東洋平和維持なりと言ひつゝ韓皇帝を廃位し当初の宣言とは悉く反対の結果を見るに至り韓国民2,000万皆憤慨して居ります)

これまで『安応七歴史』、『東洋平和論』を始め、募兵の演説、そしてこの陳述というように、安重根は、明治天皇の宣戦の詔勅に書かれたこの言葉が、大のお気に入りのようである。
故に14において、明治天皇は騙されているとして擁護しているのであろう。
 
さて、東洋の平和を乱し続けたのは、誰であろうか?
日本が韓国を独立させようとするたびに、邪魔し続けたのは誰であろうか?


ご覧頂いたように、情報不足や曲解、伝聞に基づくものであり、とても正当な理由には感じられない。
構造的には、現代韓国も変わっていないのではあるが・・・。