おはようございます、すぅです。
10月に突入しましたね~!
ビシッとキメるスーツ姿の男性を見て、共に気が引き締まるこの頃です。
今日はプライベートな話ですが、
自分のためにも、残しておきたいなと思ったので書きます。
昨日、我が家の姉娘(6歳)が幼稚園をお休みしました。
体調不良でもなく、ただ、「ようちえんにいきたくない」と。
オイオイ何を軟弱なことを!と思っちゃいがちな一言ですが、
実際、彼女から、「行きたくない」意志が出たのは、初めて。
何か思うところがあるのだろうな…。今日は彼女の話を聴こう。
そう決めて、幼稚園をお休みすることにしました。
怒られるのが、嫌だから。
怒られると、悲しいから。
それが彼女の気持ちでした。
ちょっと人よりマイペースなところがあり、
それで周囲に迷惑をかけることも多々、
ほぼ毎日、先生にお叱りを受けているとのこと。
お友達にも何かにつけて「のろい!」「ダメ!」と、怒られていると。
先生に言われることに対しては、納得しているようですが、
お友達に対しては、疑問を感じていました。
でも自分の気持ちを言うと、余計に相手に怒られると思うと、
辛いけれど、伝えることができないって。
日頃、妹に対してグッと我慢することも多いせいか、
幼稚園でも、諦めと我慢を繰り返し…ここまで来たようでした。
胸が痛くなりました。
こんな小さなうちから、自分の気持ちを押し込めている。
「感情」を出すことを恐れ、自信も失っている。
そしてその原因は、幼稚園内だけではない、
むしろ、このところ厳しく接していた私達夫婦にあると痛感したのです。
(明らかに、「叱る」を超えていました…)
「Nちゃんは、じょうずにできないから」
「Nちゃんが、いつもおそいから」
「Nちゃんが、わるいことしちゃったしね」
娘は淋しそうな表情で、つぶやきました。
下手だから、怒ったわけじゃない。
できるようになるために、懸命に言っていたのであり、
悪いことをしたから、怒ったのではない。
でも、彼女には、そんなことは理解できない。
親が語気強く、感情的に言ってしまえば、
その言葉のシャワーを、「言葉のまま」に浴びて、
自分を受け入れてもらえなかったと感じてしまう。
ネガティブな自分が、全てに…。
心に深い傷ができていました。
存在否定。
私が、子どものころから、苦しんでいたこと。
親となった今、あろうことか自分が子どもを否定していた…。
今もなお、認められたい、受け容れられたいって思っているのに。
私の中の、「小さな私」が泣いていました。
(どうして、また繰り返されてしまうのだろう…。
両親から、たくさんのギフトをもらいましたが、
この乗り越えるべき壁も、成長のためのギフトなのかもしれません。
当時の親の影を背面に感じながら、子どもと接している自分がいます。
正直、息苦しさを感じ、逃げたくなることも多いです…。
でも、この壁を子どもに受け継ぎたくないので、私でストップさせます!)
このまま同じ関わり方をしていたら、傷が深くなってしまう。
「自分達が変えていこう。もっともっと褒めてあげよう」と夫婦で話しました。
良さを教え、称えてあげようって。
例え小さなことだとしても、彼女の自信につながるように。
最初は実感が持てないかもしれないけれど、何度でも、何度でも。
自分が素敵な存在なんだ、「それでいいのだ」って思えるように。
褒められるって、何て、あったかいんだろう。
凄く嬉しい。やる気も湧いてくる!!
ちょうど、その日の朝、Skypeセッションで、
嬉しいフィードバックを受けて、力をもらったばかりでした。
苦手だと思っていたことを、絶賛されたのです。
私でも、いいんだ。できてたんだ!大丈夫なんだ!!
そう自分で思えた時の、満たされた感じ。幸福感。湧きあがる、自信。
徐々にでもいい。変わっていこう!
いっぱい褒めて。いっぱい認めて。
【自己肯定感】
私も娘と一緒に、育んでいきたいと思います。
結局、お友達に対しては、
「お友達って年長さん?Nちゃんと一緒なんだね」
「お友達が自分の気持ちを言っているのに、Nちゃんが言っちゃいけないと思うかな?」
「お友達にできないことで、Nちゃんができていることってある?」
そんな質問と会話で、思うところがあったらしく。
「みんな年長かー。言ってみようかな~。できるかな、でもな~」と、
ニヤニヤ、クネクネしながら、しばらくつぶやいていました。
今朝も、起きたては気乗りしていないようでしたが、
気持ちの再確認をしているうちに、表情が明るくなって、
「ようちえん、楽しいしね~」と、元気に登園していきました。
小さな背中に、精一杯の応援を。
いってらっしゃい。
「安心して戻っておいでね。いつでも聴くからね!」そう言える、
『母は港(byママイキ語録)』でありたいと思った、晴天の朝でした。