藤村 高志
スマイルプロデュース 代表
全肯定!心理カウンリングおよび笑顔ママ講座 創始者
1965年 生まれ 山口県出身/大阪府在住
活動地域:全国
ブログ:http://ameblo.jp/takadin/
ホームページ:http://smileproduce.com/
PROFILE
社員3万人、某超大手企業で中国地区の営業統轄責任者として約1,000人の社員を統括。
サラリーマンとして一応の成功をおさめるものの、24時間365日仕事に没頭する中で、
大和 まな
1961年5月11日 生まれ 東京都出身/愛知県在住
活動地域:名古屋市近郊 稲沢市近郊 春日井市
PROFILE
はじめまして、菜っぱ こと 大和まな です。
家庭内が平和であってほしい
物ごころついた時からの私の願いです
それをかなえるために 私は自分の感情を押し殺して
悩みなんか何もないいい子をやってきました
でも 何ができても コンプレックスは強くなり
みんなに好かれても 自己嫌悪の塊で
本当の自分がばれたら
何もかも失ってしまう恐怖から
空っぽの心を抱えながら
一生懸命違う自分を演じていました
福田 靖子
1968年 生まれ 愛知県出身/愛知県在住
活動地域:愛知県
PROFILE
はじめまして、福田靖子 です。
短大を卒業後、
小学生の時からの夢だった保育士になりました。
ずっと夢だった保育士でしたが、
結婚して主人や子ども達との時間を大切にしたい!
そんな想いで、保育士の仕事を退職しました。
子ども達が大きくなって、
いま再び、子育ての経験を生かして保育士として働いています。
藤原有紀
1973年8月1日 生まれ 東京都出身/大阪府在住
活動地域:関西地区
PROFILE
はじめまして。
ゆきんこ こと 藤原有紀 と申します。
私はずっと・・
自分には価値がないと思っていました。
私は生まれつきの心臓の病気で、
何度も手術を受けたので身体に傷痕が残っています。
子どもの頃から
「私はみんなとは違うんだ。出来損ないなんだ。」
と思ってきました。
大人になるにつれ、
身体の傷がコンプレックスとなり女性としての自信も持てなくなりました。
自分の傷を嫌っていました。ずっと見ない様にしてきました。
いつも自分を隠したい気持ちがありました。
東園 恭子
1964年 生まれ 広島県出身/広島県在住
活動地域:広島県
ブログ:http://ameblo.jp/haru-ha-akebono/
PROFILE
夫の死 子供の不登校から
自分のことを 妻失格・母親失格と
思っていましたが
カウンセリングを受け
自分が自分らしく
幸せに生きることで
家族が幸せになるのだと
気付きました
賀数 久美子
1972年7月1日 生まれ 札幌市出身/札幌市在住
活動地域:札幌近郊/北海道内/関東
PROFILE
皆様、はじめまして。
全肯定!心理カウンセラーの賀数(かず)久美子です。
全肯定!心理カウンセラーの賀数(かず)久美子です。
子どもの頃、両親は共働きでしたので、妹と2人部屋で、寂しく待つ毎日。 そのせいか、少しでも失敗をすると大きな声で怒鳴られたり、 暴言で脅かされたり、タンスの中に閉じ込められたりすることもありました。 夜中には、父と母の喧嘩、「ドンっ」と壁を叩く音や大きな罵声に、 怖くて布団をかぶり耳を塞ぐ日もありました。
その頃言われ続けたのが、 「甘えるんじゃない!」「お姉ちゃんなんだからガマンしないさい!」 「しっかりしなさい!」「空気を読みなさい!」「気を遣いなさい!」 私は「しっかりしなくてはいけない」「子どもであってはいけない」 そうしなければ、私は愛されないんだ、と強く思っていました。
中1の時に、両親が離婚。 私の心の中は、寂しさと怒りでいっぱいになりました。
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宇野まゆ子
1971年2月25日 生まれ 愛知県出身/愛知県在住
活動地域:愛知県東海市ほか知多地域、名古屋市周辺
PROFILE
こんにちは、全肯定!であなたに寄り添うカウンセラー宇野まゆ子です。
私の過去、それはひたすら我慢と孤独の人生でした。
幼少期は、不仲な自営の両親のもとで育ち、
いつもひとりで寂しく過ごし、
物心ついたころには、
母の言うことをなんでも素直に聞く、
面倒をかけない、
“母の愚痴”を聞く、
そんな日常を過ごしていました。
小学校から中学校の間は、ヒドイいじめにあい、
中1の時には、父親が自殺、
国広 仁美
1970年11月16日 生まれ 兵庫県出身/兵庫県在住
活動地域:関西地区
PROFILE
みなさん、こんにちは。
くにちゃんこと、国広 仁美 です。
くにちゃんこと、国広 仁美 です。
20歳直前に結婚して 第一子を出産直後に パートナーの不倫をしり 精神的なショックから体調を崩し 立ち直れずに離婚。 実家で両親に助けてもらいながら 生活していたものの いろんなことに厳しく 世間体を気にする母から キツい言葉を浴びせられ、傷つきながらも 経済的に自立出来ないがゆえに 苦しい同居を続けていました。
長谷川 すみえ
1980年 生まれ 東京都出身/東京都在住
活動地域:関東地区
PROFILE
みなさん、こんにちは。
私は、10代の頃、信頼していた人から性的な被害をうけました。
しかし、その出来事の核心部分の記憶は欠けており、また感情が伴っていませんでした。
記憶をなくし、感情を抑え続けることで、私はその出来事に恐怖を感じずに済みました。
しかし結婚後、それは無意識の行動として影響を及ぼし始めたのです。
結婚当初は、何も感じることなく触れる事が出来たのに、徐々に夫とのスキンシップに、恐怖を感じるようになり、ある日は、突き飛ばすように夫を拒否してしまいました。
嫌いな訳でも愛していない訳でもないのに、夫に触れることができない。
ストレスからか?病気なのか?
しかし、その出来事の核心部分の記憶は欠けており、また感情が伴っていませんでした。
記憶をなくし、感情を抑え続けることで、私はその出来事に恐怖を感じずに済みました。
しかし結婚後、それは無意識の行動として影響を及ぼし始めたのです。
結婚当初は、何も感じることなく触れる事が出来たのに、徐々に夫とのスキンシップに、恐怖を感じるようになり、ある日は、突き飛ばすように夫を拒否してしまいました。
嫌いな訳でも愛していない訳でもないのに、夫に触れることができない。
ストレスからか?病気なのか?
鈴木 明子
1980年生まれ 愛知県出身/愛知県在住
活動地域:中部地区
PROFILE
みなさん、こんにちは。
あきちん こと 鈴木明子です
いま考えると、彼女はすごく育てにくい子でした
理由もわからず癇癪を起す。いったん癇癪を起すと、何時間でも自分の世界に入り
私が介入すると、自分で自分の頭をたたく「どうしたらいいのかまったくわからない」
育児書を色々と読み漁りましたが、やはりなかなかうまくいかず
私は、日々の育児に疲れ果てていました
そんな日々の繰り返しの中
長女が3歳の時に、自閉症(高機能自閉症とADHD)と診断されました
いま考えると、彼女はすごく育てにくい子でした
理由もわからず癇癪を起す。いったん癇癪を起すと、何時間でも自分の世界に入り
私が介入すると、自分で自分の頭をたたく「どうしたらいいのかまったくわからない」
育児書を色々と読み漁りましたが、やはりなかなかうまくいかず
私は、日々の育児に疲れ果てていました
そんな日々の繰り返しの中
長女が3歳の時に、自閉症(高機能自閉症とADHD)と診断されました
桜井 アリサ
1976年 生まれ 神奈川県在住
活動地域:横浜市近郊(対面)、全国(電話&無料アプリにて)
PROFILE
皆さん、はじめまして!
全肯定!心理カウンセラー 桜井アリサと申します。
◆私の父には「愛人」と「愛人の子」がいました。
私が母のお腹にいる頃、若くして社長となった父に、
「自分は不妊症だから」と近づく1人の女性が現れました。
それは、母を気に入らない祖母が、父母を別れさせる為に準備した女性でした。
父の愛人になったその女性は、やがて妊娠しました。
約束が違うと慌てた父は「認知すれば子どもは自分で育てる」
という女性の言葉を信じ、母に内緒で認知の書類に判を押します。
頃合いを見計らい、祖母は婚外子の事を母に告げました。
母は、悲しみにうちのめされ、心はボロボロになってしまいましたが
小さな子供を抱えた上に、妊娠中の体ではどうすることもできず
仕事や家事育児に追われながら、必死に生きていました。
全肯定!心理カウンセラー 桜井アリサと申します。
◆私の父には「愛人」と「愛人の子」がいました。
私が母のお腹にいる頃、若くして社長となった父に、
「自分は不妊症だから」と近づく1人の女性が現れました。
それは、母を気に入らない祖母が、父母を別れさせる為に準備した女性でした。
父の愛人になったその女性は、やがて妊娠しました。
約束が違うと慌てた父は「認知すれば子どもは自分で育てる」
という女性の言葉を信じ、母に内緒で認知の書類に判を押します。
頃合いを見計らい、祖母は婚外子の事を母に告げました。
母は、悲しみにうちのめされ、心はボロボロになってしまいましたが
小さな子供を抱えた上に、妊娠中の体ではどうすることもできず
仕事や家事育児に追われながら、必死に生きていました。
斎藤 ますみ
1964年 生まれ 北海道出身/愛知県在住
活動地域:札幌近郊(対面)、全国(電話&zoomカウンセリング)
横谷 心音
1965年 生まれ
活動地域:関東地区
PROFILE
あなたはどう思っているの?
あなたはどう感じているの?
そういったことを求められない環境で生きてきたことに、
全く気づかず、ただ、役割をこなすことで、
自分の存在価値を見出してきました。
幼いころから、
そうやって、自分が家族の中の役割を果たすことで、
大切に守っていると思っていた、優しく繊細な命は、、
ある冬の日、逝ってしまいました。